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2023年03月03日

【楠みちはる先生】漫画と言えども、もはや哲学書。

3月3日㈮ 何故か国立競技場近くの車中にて、このブログを書いています。w
まぁ、早く着きすぎて、アポまで時間があるからなのですが。w

先日、本屋さんに行ってみると、楠みちはる先生の「首都高SPL」の最新刊が発売されていたので早速、購入。


楠みちはる先生の作品を最初に読んだのはいつだったのだろう?多分、小学生?「あいつとララバイ」から始まり、「湾岸ミッドナイト」(これが20年近く連載されていたんじゃないかな?)、そしてその派生の「C1ライナー」を経て、「首都高SPL」に。というとは、40年近く愛読している漫画家の先生という事になりますね。(笑)

タイトルからしてお分かりのように、基本、「クルマを題材にした人間模様を描いた作品」です。しかもチューナーだったり、夜中に公道を爆走している人たちを描いた漫画なので、基本、アンダーグランドなんです。なので、クルマに興味のない方には、全く関心を持てない作品群かもしれません。

しかし、読んでみればわかるんですが、もの凄く名言が詰まっています。例えば最新作だと・・・・

「ムダ振りと空振りの違い…分かるか?
出来ない理由を時間をかけて探し出したり、意味の無い会議を難しい言葉でそれらしくしたり、それがムダ振り。ボールを見ず、本質を見ずただ振るだけ。対して空振りはボールを見て当てにゆく。似たように見えても2つは全然違う…ムダ振りは人の気持ちを削ぐ、空振りは削がない。空振りでいい、やろうよ」

「偉い人にねモノを頼むのは難しいんだよ。偉い人にはいろんな人が寄ってくるから、ソコで初めて頼みに行っても、まず無理。(つまり…偉くなる前にコネを作っておくわけですか?その見極めは?) そんなのわからないよ。神様じゃないし誰が偉くなるかなんて。やっぱり縁なのかな、人を選んで出逢おうとしても無理なんだよ」

「指図とアドバイス、バカはその違いがわからない。指図は命令だから聞きたくない。でもアドバイスは聞かなければいけない。アドバイスは助言そして忠告。心から相手のコトを思っている言葉だから」(でも、言っている本人はバカだから、それが出来ないんだ)

「いろいろ考えてオレは2つのコトに気づいたのよ。(ふたつ?)「悪いことはしない」「人の気持ちになって考える」だ。(小学生ですかー)コレが意外と真理なのよ。例えばいいコトって意外と難しい。お前、道に落ちているゴミ拾っているか?案外できないだろ。でも捨てないコトは出来るだろ。それが「悪いことをしない」よ。「人の気持ちになって考える」コレもまた難しいのよ。(それはやってます、意外と)そうかナ、まず自分が先じゃないか?ほとんどの者は自分の立場からモノを言う。自分の立場が先にあって相手は後だろ。相手の気持ちを先、それは無理でもじぶんと相手は必ず同じ位置に。寺田にはあったよ、そーゆーあたり前のコトが。悪いコトはしない、人の気持ちになって考える。70過ぎの小学生だ。イヤんなるよ。」(注:寺田とは過去に裏切られ、再会した元部下の事)

「だってほら、その方がカッコいいだろ。バカはバカなり、考えなきゃダメよー」


1冊、187Pの中に、これだけの言葉が詰まってる。もはや、僕にとっては哲学書のような作品。一見すると当たり前のようなことを、ここまで深く感じ、学ばせてくれる楠先生の作品って素晴らしいと思います。作風のちょっと男臭さも、登場人物の不器用な感じも含めて。

ご興味のある方はぜひ。
清高、結構、学ばせて頂いています。骨身にしみている感じもします。
  

2023年03月01日

【JALばっかり褒めてますが…】トラブル時こそ勝負処!

3月1日㈬ ちょっと時間が空いたので、ニュースサイトをチェックしていたら、こんな記事が


「機長は胃がキリキリしたはず」JAL機“深夜のUターン”舞台裏を元パイロット・元管制官・乗客らが検証

月に4~6回、搭乗する身としては、タイトルを見て思わずクリックしてしまいました。国内線で6時間、しかもダイバード。これ、お客さんもしんどいけど、働いている人はもっと大変だったはず。で、記事を読んでみたらやっぱりすごい。

なんか最近、JALばっかり褒めている気がするんですが・・・・。
ただ、本当に企業体質が変わったと思うんですよね。

いつも、チェックインギリギリの僕が言うのもなんですが、定時発着率は優秀だし、グランド&機内スタッフの皆さんもとってもフレンドリーで。一昔前のJALだったら考えられないなって乗るたびに感じています。

先日も結構ハードな出張で「リラックスしたいな」と思っていたら、ちょうど搭乗便のクラスJが空いていると知り、思わずアップグレード。2,000円の追加料金で、あのシートならプチ贅沢で乗ってしまいます。w
それで驚いたのが、乗り継ぎカウンターのスタッフの方が変更手続きの際に、「渡邉様は通路席がお好みのようですので、足元の広いお席でよろしいでしょうか?」って、おっしゃるじゃないですか‼

まさに、そうなんです。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、ワイドボディー機(機内に通路が2本ある機体)の場合、通路に挟まれた席、は、それ以外の席に比べて足元スペースが若干、広くなっていることが多いのです。それを知っているため、なるべく、DかGの席を選んで予約してるんです。

多分、僕の予約していたチケットで判断してくださったと思いますが、それにしても凄い対応だと思いません?
しかも、この時は、エコノミーのファーストクラスシート(と、僕が勝手に言っている)、ドア付近の超足広シート。
無論、大満足。快適な移動…というか爆睡出来ました。

今回の記事にもあるように、90分ディレイで出発して、福岡空港に降りれず、関空で給油し、羽田に戻る。しかも羽田着は、深夜2:50。福岡を諦めダイバードを決意したのが22時過ぎだとしても、そこから関空・羽田で、5時間で300名オーバーのお客様対応が始めるわけですが、その間、どれだけのスタッフが関わったのか…本当に頭の下がる思いです。

こういう時に、その企業姿勢や、実力が問われる、本当にそう思います。
一人一人のスタッフが、顧客のために何が出来るのか?確かにマニュアル等が存在すると思いますが、それを着実に出来るレベルの高さに驚きます。しかも、小さな会社ではなく、JALという、元々は国営?って揶揄されるようだった企業がこんな風になるなんて。

トラブルで6時間、飛行機に乗りたいとは思いません。でも、この経験、正直してみたい気がします。(笑)
「危機に際して、心が躍る」は失礼かもしれないけれど、間違いなく、そこが勝負処。それは企業も人も一緒。ますますJALが好きになっちゃいました。

清高も、うお時も、まだまだ基礎・基本レベルが低すぎます。
学ばなきゃ。

追記:青組の友人の皆様、ゴメン、当分赤組でいさせて。お許しを。(笑)







  

2023年03月01日

【プチご褒美はブルックリンラガーで】うお時・令和4年期終了!

2月28日㈪

今日で、株式会社うお時の令和4年期が終わりました。激動の1年にふさわしい、ドタバタな最終日となりました。
思えば、今年も色々ありました。

お弁当部門は、前期に立てた経営戦略計画を常に見直し・修正を加えながら、スタッフの協力のもとにどんどん改善が進んできている気がします。幸いなことに、思ったよりも物価上昇の影響を今のところ受けておらず、前期末に計画した内容で着地出来そうな見込みです。
また近々、4番目の新ブランドをネット上でスタートする計画もあり、来期(3月1日)以降もとっても楽しみな状況です。

濱街沿線ダイアリー(エリアコミュニケーション事業部)も、ビジネスモデル確立し、来期以降、こちらもかなり期待できそうです。

今期を振り返ると、明らかに前期までに比べて、多くの方々にお逢い出来た1年だったと感じています。ご縁というか。コロナ渦真っ只中から、withに移行してきたのかもしれませんが。

実際、日本全国、様々な場所にお邪魔しました。特に強く印象に残っているのは、夏にYMSの1員として訪問した、オオサカジンとの合同セミナー&交流会。この場でお逢いした株式会社ハジメフーズ山元社長とのご縁で、サポート業務のお仕事がスタートしました。久々の飲食業でのお仕事ですが、ディスカッションやレクチャーを通じて、色々な事を学ばせて頂いています。具体的には、飲食業とデリバリー業、関西と関東などの違いを感じつつ、山元社長以下、スタッフの皆さんとコミュニケーションを取らせて頂き、共に考え行動し成果を出すべく動いています。責任重大ですが、愉しい日々を過ごしています。実際、リニューアル1号店が3月10日までには、グランドオープンの見込み(営業しながらの改善なので、グランドオープンと言えるかは微妙ですが)。ただ、このお店は、ハジメフーズさんで今までやらなかった方法論で意見集約、Reブランド化した店舗。正直、かなりドキドキしてますが、とても楽しみにしています。

今まで自分が考え、行動し、学んできたことを、違った形で活かす。そして、その過程でさらに学ぶことができる。
そんな日々を過ごせています。正直、最高です!

また、この合同セミナーでお逢いした方々と、今後も色々なことで、より深くお付き合いできそうな予感がしています。来季がとてもワクワクしています。

でも、僕がこういう幸運、愉しい生活が出来ているのも、すべては弊社スタッフのおかげです。僕不在でも、みんなが自分の仕事をしっかりこなしてくれている、いや、それ以上にみんなで考え、僕に提案してきてくれる。正直、「僕がいなくても会社、全然大丈夫じゃないか?」なんて思ったりしています。そんなスタッフ、いや、仲間がいるから、よりお客様に喜んでいただくためには?、あるいは、より効率的に?、そのPDCAのスピードが速くなっている、そんな気がしてなりません。結果、会社の売り上げや現場をみていると、前期までとは全く違う形・雰囲気になっています。何より自主性、責任感をみんが感じているのが良く分かります。本当に頑張ってくれています。ありがたいです。

この1年を振り返って痛感していることは・・・
僕は本当、人に恵まれている。
その人たちは、総じて、真面目で努力家な人ばかり。
そういった方々に囲まれて、過ごせた令和4年期でした。

本当にありがとういございます。
心から感謝いたします。

来期は、僕の周りにいる人々のために、自分が出来る事、ベストを尽くしたい。
そんな生き方をしたい。
今年より、もっと多くの方々の笑顔がみれたらいいな、そう思っています。

経営者にとって、期末はある意味、大晦日であり、元旦でもある。
本ブログを書いている間に、新年を迎えました。w
今期も日々、ベストを尽くします。

清高、うお時も、まだまだです。
令和5年期も、どうぞ、宜しくお願い致します。


本当は「おつかれ生です」のマルエフにしようかと思ったのですが、ガッキーがCM降板してしまったので、大好きなブルックリン・ラガーで。w
ベランダ、肌寒かったですが、めちゃ美味かったです!来年の今日も美味しいビールが飲めるように頑張ります!



  

2023年02月26日

【鶴爺に逢いたい】BAR BAR BARまで閉店とは

2月26日㈰ 朝からコインランドリーで洗濯機を回し、帰宅しながらコーヒーを飲んでいると、カナロコでこんな残念な記事を発見。

横浜・関内の老舗ジャズレストラン「Bar Bar Bar」 3月閉店、移転へ

ここ数か月、名店と言われるお店の移転・閉店のニュースばっかりで気落ちしていましたが…。まさか、横浜・関内を代表するお店までもが移転とは。

記事中にも書かれていますが、このお店のオーナーだった、鶴岡さん。僕の祖父の代からお付き合いして頂き、親父は六ちゃん、僕はキヨと可愛がって頂いた、僕のゴッドファーザーの1人です。僕が30歳で横浜に戻ってきたときに、この鶴爺と小林紙工の故・小林光政さんに、様々な方々をご紹介して頂き、街づくりや、人とのコミュニケーションの仕方を身をもって教えて頂いた大恩人。(光政氏のリンク先の文章は、2009年の文章。初代若旦那とは、実は僕の当時のハンドルネームで、僕もすごく若いです。)

鶴爺は本当にカッコよくて。横浜とジャズをこよなく愛し、自らがJC(日本青年会議所)に在籍中、現在の横浜スタジアム建設のための資金を集め、今はDeNAベイスターズに吸収合併されてしまいましたが、長年にわたり横浜スタジアム社長を務められた方でもありました。確か、FM横浜のスタートにも尽力され、横浜の音楽会にも多大な影響力を与えた凄い爺様です。(噂では、横浜レゲェ祭をスタジアムで開催する際にも、相当、動かれたというお話もあります)

まぁ、こんなとんでもない方なのですが、僕にとっては普通の爺様で・・・。
生前、たまたま、夜のお店で偶然遭遇し、「キヨはこんなお店に来れる年齢になったのか、あんなに小さかったのに」と言われたのが妙に恥ずかしかったっけ?また、ある時はジャズの話になった時に、「キヨは何を聴いてる?」って尋ねられ、「オスカー・ピーターソンと、ジョン・コルトレーンが好き」って言ったら満面の笑みで、「良い趣味だ」って褒めてもらったっけ。結婚披露パーティーにお誘いしたら、「爺が行ったら若い者が気を遣う。でも面白い物を届けてやる」って言って、スタジアムで売り子がしょっているビールサーバーと生ダルが3本届いたっけ。w

BAR BAR BAR、2Fのライブハウスで飲んでいると、自分の赤ワインのボトルを持ってきて、僕が一緒にデートしているガールフレンドを勝手にナンパしてた鶴爺の顔が忘れられません。デートの約束をしようとしてる70過ぎの爺さんなんて、なかなかいないでしょ、普通。w

晩年、月1回で、昼ご飯をご一緒させて頂き、「関内の名店は後継者不足でなくなってしまうかもしれないけど、その精神やレシピを後世に残せないか?」という宿題を僕に与えてくださいました。今から思えば、鶴爺の遺言だと思っています。実は、おととし、神奈川県東部のポータルサイト運営を始めたのも、この遺言が頭にあったからなんです。webという情報サイトがあれば、そこに情報だけは残すことが半永久的に出来るんじゃないか?って。まだまだ形になっていないけど。

宿題の回答も、まだまだ出来てない中、今回のニュース。
とっても残念で仕方がありません。

いつもお洒落で、カッコよくて、面倒見が良くて、僕みたいなガキでもちゃんと大人として扱ってくれた。これが「粋」っていう事だと思う。いつも奢ってくださって、「キヨも自分より若い奴には同じ事をするんだよ、割り勘なんて死んでもするなよ。それが濱っ子ってもんだ」って。でもその後に「まぁ六ちゃんの息子だから、おごりすぎて心配だな(笑)」ってオチがつくのも、お約束でした。

没後5年、もっと鶴爺から色々な事を聞きたかったな。鶴爺に、「今の俺、どうですか?」って尋ねたいな。
「鶴爺みたいに、粋な濱っ子になれてますか?」って。
そんな、僕にとっての思い出のある場所が、無くなってしまいます。寂しいですね。本当に。

形あるものは、いつかは壊れる。でも、今回は閉店ではなく移転。これからのBar Bar Barがとっても楽しみです。
鶴爺の心意気が残る事を祈るばかりです。新店、また爺さんの事をを思い出すためにも、お邪魔したいと思います。楽しみです!
爺さん、俺も爺さんみたいな粋な大人になるべく頑張るよ!

清高、まだまだです。


鶴爺との写真を探したんですが、見つからなくて。見つけたのは12年前に、「イベントやるから告知手伝え」って言われて渡されたチラシのみ。もうあれから、そんなに経つんですね。爺さん、僕も48になったよ!


  

2023年02月25日

【実家ルール違いで夫婦喧嘩】僕が鬱病から学んだこと

2月25日㈯ 出社して、デスクワークをひと段落したのでニュースサイトを見ていたら、こんな記事をみつけました。

「洗濯物は裏返し」「年越しはざるそば」…“実家ルール”違いで夫婦げんか 勃発させないための予防策

タイトルをみて、「うんうん」と思ってので、読み進めてみました。僕自身が離婚経験者なので、一瞬で頭の中にいろいろなことが浮かんだわけです。それを今回まとめてみようかと思ってます。長くなったら、ごめんなさい。

人は「100人いればみんな違う」。実は、これって頭の中ではわかってるんですが、自分との関係が近く(濃く)なると、そう思えなくなることって多くないですか?例えば、「こんな感じでお願い」とか、「こういう風にするだろうな」、あるいは「普通はこうだろう」、「これやったら、喜んでくれるかな?」とか・・・でも、大概の場合、それじゃ通じないことが多いと思いません?それで最悪、けんかになったり…

僕に親しい人は良くご存じの話なのですが、僕はちょっと不思議な家族・環境で育っています。いい意味でも、悪い意味でも。
実は、僕の祖母と叔母は、とある宗教の熱心な信者で事あることに教会に行き、教祖様にお伺いを立てる、そんな2人です。別にそれ自体は、信教の自由ですし、とやかく言うつもりはありません。ただ、子供の頃から、「なんで自分で決められないのだろう?」って感じていたのは事実です。まぁ、良いことも悪いことも「お告げ」次第なわけですから。。子供心に何故?と思う事が多かったですし。理解できないから、とことん戦う、反抗心ばかりの幼少期でしたね。w

それゆえ、僕が小学生の高学年の頃には、自分自身の事は自分で決める、良く言えば自尊心、悪く言えばうぬぼれ、が強いガキだったと思います。まぁ、それが好奇心に繋がり、いろんな事を経験できたから、結果オーライなのかもしれませんが。

なので、自分は自分という意識、特に会社を継いでからはその意識が凄く強かったと思います。僕が先頭に立って、考えたことをバリバリやって会社を再生、良くさせるぞ!みたいな。正直、18年前の僕は自分が正しい、「スクラップ&ビルド」、「叔母や両親とけんかしても、絶対に考えを譲らない」そんな人でした。そして結果をだせばスタッフがついてきてくれる、みたいな。

そして、それから数年して結婚しました。そして、7年近く結婚生活を過ごし、結果、離婚しました。
原因は、色々ありますが、一番の理由、それは僕自身にあったと思っています。

僕が「こう考えれば、きっとうまく行く」、「このやり方だったら大丈夫」、そんな過信が大きな失敗に繋がり、事業は危機を迎え、僕自身も鬱病になりました。自分自身の生き方を突き進んできたら、結局、何もかもうまく行かなくなり、死まで考えるようになってました。
この鬱病という病は非常に厄介で、僕の場合、常にイライラして自分でも何をしでかすかわからない感じで。実際、多くの人を傷つけてしまいました。そして、その傷つけている自分にも腹が立ち、最悪のスパイラル、もう自暴自棄になってしまう、本当に恐ろしい病気です。

離婚するまで、本当に長い時間を要しました。彼女への反省と後悔、そして自分自身の至らなさ、弱さを痛感して、もう何も考えられなくなってた、そんな感じです。寂しくって、辛くて、誰かに助けてもらいたくて…上手く表現できないくらい混沌とした無気力な精神状態。

そんな日々を過ごしていたころ、主治医にこんな風に言われました。
「もう、全部やめちぇえば良いじゃん。出来ないなら、全部やろうとせず、出来る人に渡してしまえばいいじゃん」って。
そこで初めて、「あぁ、もうこのまんなじゃどうにもならん」、って思えたんです。
そこから、社内では、各担当責任者を決めて、それぞれのリーダーと話をしながら形を纏めていく。社外では専門家に話を聞いたうえで、交渉や仕事を進めていく、そんなやり方をしてみようかなって。つまり1歩を踏み出せたんです。小さな1歩ですが。

一言でいえば、自分がしたいことをするために、どうやれば知恵や、労力をみんなが貸してくれるのかな?って考えるようになったんです。
つまり、自分を過信せず、その事々に関係する人に相談やフォローしてもらいながら物事を進めていく、みたいな生き方になってきたんです。
そうしたら、ものすごく面白くなっちゃったんです。自分と人の考え方や視点・捉え方の違いを知ることができ、日々、愉しくなっちゃったんです。愉しくなると人生って不思議なもので、、どん底から、仕事、僕自身が抜け出せそうな、そんな希望を見出すことが出来ました。それから数年経ち、本当にまだまだですが、大分、周辺環境が良くなってきたと感じています。

長くなりましたが、僕は、大失敗を通じて、心まで病んだ結果、そこで初めて自分の至らなさや傲慢に気づけたと思っています。
もう二度と繰り返したくない経験ですが、そこから僕の生き方、考え方が変わってきた気がします。
やっと「100人いれば100個の考え方がある」を理解したんだと思います。そして、その違いこそが面白い、と。
むしろ違うからこそ、自分らしく生きれるって!


叔母とも「方法論は違うけど、あきらめずに、常に変化して来たから、うお時は70年過ごせたんだね」なんて話を出来るようになりましたし、友人には「清高さんだけだよ、話を否定しないのは」なんて言われたり。あるいは、「聞き上手、おだて上手」なんて言われたり。元々、好き嫌いがはっきりしていたのですが、今は人を嫌いにならなくなったから不思議です。多分、嫌な部分ではなく、面白い部分・良い部分、共感できる部分を知ろうとしているからなのかな、なんて思っていますが。

失敗を乗り越えれば、あるいは乗り越えようとすれば、必ず人は成長する。環境が人を育てる。
それを痛感している日々です。正直、生きててよかったなぁ~と思います。

どんどん聞き上手になって、100人100個の意見や思いを聞いて、みんなで面白いことを始めたり、やりたいな。
何かを悩んでいる人に、僕が何か出来る事をサポート出来ないかな? みたいな。
そんな人生を過ごしていきたいな、そう思っている日々です。

人を理解する、という事は、聞き上手になる事。
もっともっと、聞き上手になりたいな、と思う日々です。
なので、もっともっと、僕に想いや考えをお話しください。その時間が僕にとっては本当に幸せな時間なので。
(結婚前、いやもっと前に判っていれば、僕の人生、もっと愉しかったかも…という気持ちは正直ありますが 笑)

うお時も清高も、まだまだこれからです。
皆様、色々と勉強させてください。宜しくお願い致します。


(見るからに生意気そうでしょ、僕…笑)

  

2023年02月22日

【横浜BAYらっきょまで・・・・】大好きだったのにな。。

2月22日㈬ 横浜・馬車道にあるスープカレーのお店「横浜BAYカレー らっきょ」の破産のニュースを知りました。このお店は、横浜におけるスープカレーの草分け的存在のお店で、僕も大好きなお店でした。

元々はコの字?U字型カウンター?レイアウトのお店で、いつも行列が出来ていた人気店。骨付きの鶏もも肉ががっつり入っていて、少し酸味のあるスープが後を引く味でした。その後、地下ながらも箱の大きなお店になり、営業を続けられていました。でも、数日前に前を歩いた時に、閉店しているのに気づき、そして今日、破産のニュース。



また、大好きだったお店が閉まってしまいました。
とはいえ、先日の川村屋さん同様、最後に行ったのはいつだったか思い出せないくらい前ですが。
何となく、カウンターだけのお店から、移転した際に、その雰囲気の変わりように違和感を感じたので、多分、それ以来お邪魔していないような気がします。

最近、特に痛感していることがあるんです。
それは、「美味しいものを作っているから売れるはず」とか、「この場所にお店を出したから大丈夫」と思って出店しても、決して生き残れるわけではない、という事です。しかも、こちらのお店のように人気店という実績があっても、です。
破産の原因は報道されていません。おそらくコロナ渦での顧客層の変化なのかな、とは思いますが。


よく「成功体験が大きいほど、目が曇る」と言いますが、うまく行っているときに改善を続けていかないと、実は普遍化して飽きられてしまう。家系ラーメンだって、20年前と今の商品って明らかに粘度というか煮込みが違う。より濃厚になってきた、と言えばそうなのですが。
あるいは、横浜で超有名な某カツレツ屋さんのように、毎シーズンごとに自家製ソースに使う食材を変えているとの事。一見判りづらいけれど、常に微調整・改善を続けているから、その美味しさは飽きられることがなく、名店として存続し続けている、という事実。

つまり、よりお客様に美味しく召し上がっていただくために・・・・
お客様が、その料理を楽しんで頂ける雰囲気を提供し続けるために・・・・

自分たちが作りたいものを提供するのではなく、お客様が求めているものをより進化・深化させることが、顧客満足を高めるコツなんじゃないか、と。つまり、そのお客様ニーズのコアな部分を自店の武器にすれば、お客様に自店の魅力を訴求しやすくなる。
そう考えると、やっぱり1番大切なのは、最初の作り込みなんだな、と。

お客様はこの料理を、こんな雰囲気のお店で食べたい、そう思っているはず。
だから、それを叶える為には・・・・・最初にどれだけブランディングイメージを考えてお店を作り、その後も、あれもこれもではなく、そのお店の商品・サービスを進化・深化させ続けることがお客様に飽きを感じさせず、顧客満足を得る方法なのかな、と考えています。

集中と選択、一点突破。そしてブレないこと。
大企業ではないので、ヒト・モノ・カネは限られている。
だからこそ、勇気を出して、絞るしかない。そして日々改善をし続けていかなきゃいけない。

清高もうお時もまだまだです。がんばらねば。。。
  

2023年02月20日

【The original sound track】人生は野菜スープだね

2月19日㈰、久々に相鉄線に乗りました。何年ぶりだろう。電車に乗り、思い出が結構ある駅を通り過ぎ、横浜駅に到着するころ、ふと目の前にものすごくオシャレをしている女性と、ジャージ姿の男性が楽しそうに会話をしているのが目に留まりました。

その時、僕は少し酔っていたのだけど…
その風景を見ていて、この曲が頭に浮かんだんです。

10CC Life Is a Minestrone (from The original sound track 1975)



なんだか楽しそうだなぁ~って正直思ったんです。
しかも、2人の服装のギャップがすごいなあ~って。

考えてみれば当たり前で・・・・
確かに見た目の第一印象ってとっても大事だけど、その人の本質は話してみたり、付き合ってみなきゃ絶対にわからないはず。見た目で、???と一瞬思った僕は、少しばっかり固定概念にとらわれてやっているのかな?と。

それで、Life Is a Minestroneを思い出したんです。正確に言うと、この曲の大好きな好きな歌詞部分を…

Love is a fire of flaming brandy
Upon a Love is a fire of flaming brandy
Upon a crepe suzette
Let's get this romance cooking, honey
But let us not forget

愛はブランデーでフランベしたようなもの
愛は、ブランデーでフランベしたクレープシュゼットみたいなもの
だから、この(熱々の)料理のロマンスを楽しもう
でも、忘れないでね

Life is a minestrone
Served up with parmesan cheese
Death is a cold Lasagne
Suspended in deep freeze

人生はミネストローネスープ
パルメザンチーズをかけた(熱々を)提供された
死は、冷たいラザニア
冷凍されたままの(ラザニア)

相変わらずの適当訳なので、ニュアンスだけ感じて頂ければ幸いなのですが。。ちなみに()は僕が意訳・追加した内容です。

まぁ、解釈はいろいろとあると思うのですが、僕的に書くのであれば...
良好な関係を保つには、野菜スープみたいに、素材を活かしてコトコト煮込んで、熱々で食べよう。でも、自分らしさを出さなければ、冷凍食品のラザニアのように、その関係は終わってしまう。
自然体で良いじゃん、そして時間をかけて理解し、協力していこう!いつまでも熱々のミネストローネスープのようにね。そんな感じじゃないかと。

人は型や、常識に囚われがち。最初から、そんな型や常識に囚われず、自然に関係を作っていけばいい。
それをするためには、自由で、正直に、そして凝り固まった常識や型で人を判断しないことから始まるんじゃないかな、と。

歩幅が体形によって違うように、人との関係づくりも、それぞれのスピードで良いんじゃないか?
アラフィフになり、僕、ひょっとしたら、すこし焦っていたんじゃないか?家族関係や会社をよりよくしようとするあまりに。
そんな事を思った日曜日となりました。

自然体で、自分の気持ちに正直に。
周囲を気にすることなく、自分(自分達)の思ったスピードでコトコト煮込んでいけばいい。
そんな気づきの日曜日でした。

なかなか難しい事だけど、自分らしく生きてくってことは、そういう事なんじゃないかと。
清高、頑張りたいと思います。

ちなみに、このLife Is a Minestroneが収録されているThe original sound trackは1975年発表の大傑作アルバム。ツンデレ好きにはたまらない、I'm Not in Loveも収録されています。こっちのほうが有名かも。下記に、Life Is a Minestrone、リンクを貼っておくので、お時間あるときにでも是非、聴いてみてくださいね。











  

2023年02月17日

【川村屋さん閉店の報を聞いて】伝統・老舗という言葉に思う事

2月17日㈮ JR桜木町駅にある立ち食い蕎麦屋「川村屋」さんが、3月いっぱいで閉店の報を聞きました。このお店は、伊藤博文から営業許可もらい店舗をスタートしたと言われるほど長く、今年で123年を迎える老舗中の老舗。123年ってすごいですよね。オープン5年で8割が閉店しちゃう飲食業界の中で、本当にすごい歴史だと思います。

なので、ネットニュースが流れると、SNSで、その驚きや残念さを書き込んだコメントを多く見かけています。正直、僕にとっても寂しい。学生時代、テニススクールの帰りに仲間と通った懐かしい思い出が頭をよぎります。まぁイセザキ界隈の下町っ子には、大概そんな思い出があるお店だと思います。
そんなわけで、前の駅舎時代から利用してたから、かれこれ35年くらいはお店を知っています。。でも、最近、お邪魔していたかというと…最後にお邪魔したのはいつだったか、多分、10年近く伺ってなかったのでは…と。

このニュースを読んで思ったことは、「老舗」とか「伝統」って何なんだろう?と。
店歴、社歴なのか?あるいは、変わらないことなのか?

弊社は、爺さんが創業して僕で70年続いているけど、「老舗」とか「伝統」とか、正直あまり意識していない。確かに商品名や、自社を説明するときに、そう言った単語を使う事はあるけれど、日常意識しているか?と聞かれると完全に否です。ただ、恵まれていると思うのは、70年続いた中で、今、ビジネスをするためのヒントがたくさんあるという事。それは商品だったり、叔母や母、そして、その中で育った僕の経験だったり。

うお時で爺さんから続く伝統、というかブランドのコアな部分は「冷めても美味しい料理(弁当)をお届けする」。それだけです。でも、爺さん、親父、そして僕は、全く違うアプローチをしています。何故なら、時代が変わり、お客様が変わってきたから。

例えば、ロゴ1つとってもそう。
7~8年前まで、うお時はこんなロゴでした。


でも、今は・・・


以前のロゴには、渡邉家としての思い入れもあり、僕自身も、うお時=井桁の六(旧ロゴ)だとずっと思ってましたから。
でも、悩んだ末に変えました。それな何故か?

一言でいえば、インターネットでお弁当販売をするようになった時に、「井桁の六」ではうお時らしさが伝わらない、と感じたからです。確かに旧ロゴを知ってる方はいらっしゃいます。でも、知らない人にとっては、全くわからない。
つまり、販売の仕方=商売環境が変わったから、それに合わせて、見せ方を変えた、という事なんです。
ロゴを変えても、うお時の本質「冷めても美味しい料理(弁当)をお届けする」、は変わらない、むしろより多くの方々に知っていただくチャンスだと感じたからです。

横濱うお時=魚が得意なお弁当屋さん、どうですか、今のロゴのほうが判りやすくありませんか?
このロゴに合わせて、今の商品群を考えました。何となく感じていたブランドイメージを、ロゴやコンセプトに一旦まとめて、それに合わせて顧客を想定し、その顧客層に商品とアピールしていく方法に意識とフローを変えました。でも、基本は何も変えない。むしろ、より良く改善していく。結果、うお時は既存のお客様のみならず、新規のお客様もご利用頂けるようになりました。おかげさまで、コロナ渦もなんとか乗り越えられそうな気がします。希望的観測ですが。wでも、これだって何年続くか判りません。常にこのルーティーンを繰り返していく事が、お客様満足を高める方法の1つだと思うわけです。

失敗や何かのきっかけで、今まで当たり前と思っていた事を見直してみると、意外と面白い視点が見えてくる。
でも、コアな部分は絶対に譲らない。方法論や戦略を顧客に合わせる。きっと、これが3代続いた理由なんじゃないかと思います。
そして、これがそれこそ100年、200年続いてきた会社が本当の意味で「老舗」なんじゃないか、と。

今、飲食を取り巻く環境はものすごく厳しいです。原価高騰に人件費UP。そして集客を計算できる物件の家賃は高く、正直、ビジネスとして飲食業、かなり厳しいです。(昨日のニュースで、飲食大手ロイヤルでさえ最終利益は2%ですよ。すかいらーくは大赤字。)

会社をやめる、お店をやめる、というのはある意味、自分の人生が終わる、それくらいの意味を持っていることだと思います。まさに苦渋の選択なのは過去の経験からすごく分かります。閉店理由は様々だと思います。むしろ単純ではなく、複合した理由が積み重なって、だと思います。正直、弊社だって、いつ倒産するか、判りません。危機感だらけです、本当に。
だからこそ、常にお客様意識を学び続けなければいけないと思います。飲食業に従事する者、経営者は。その勉強を活かして、一見するとわからないけど、でも、何処よりも進化、深化し続けることが老舗になると思います。

清高もうお時も、まだまだ勉強し続けなきゃ、と。
そして、常に改善(進化・深化)をし続けなければ、と。

時間作って川村屋さんの天ぷらそば、食べに行こうと思います。123年間、本当に進化・深化の日々の繰り返しだったと思います。ガキの頃には判りませんでしたが、その凄さを最後に勉強させて頂こうと思います。
みなさまも是非、老舗の凄さを味わいに行きませんか!
  

2023年02月15日

【孔子の教えから】温故知新、人はいつでも同じ

2月15日㈬、本当に久々に朝5時台に出社しました。
数年前、キッチンに入り調理を担当していたころは、それこそ4時5時は当たり前、場合によっては1時2時に出社していたものですが、メニューを固定化し、スタッフのみんなも各々の仕事をより高いレベルで行ってくれるようになったおかげで、1日500とか600食といった大量のご注文を頂いても、僕がキッチンに入ることは、ほぼなくなりました。
まぁ、それでも人員が足りず、お客様にご迷惑をおかけしているのは、経営者として恥ずべきことではあるのですが。。

閑話休題、最近、とっても感じることがあります。
インターネットの普及で、世の中、とっても便利になりました。どこにいても仕事は出来るし、買い物もできる。
でも、それって本当に意味があるのか?と。

例えば・・・・
より便利さ、快適さを追求するがあまり高級になってしまった商品、
あるいは便利さゆえに、ネット中心のコミュニケーションが主体となり、意思疎通が難しくなっている人間関係、
情報が多すぎて、マーケットが絞り込めず、やりたいことや、作りたい商品の価値を見出せない企業、経営者。

便利さの反面、実は世の中、その便利さを享受している人間自身が難しくしているのでは、と。

そんな事を思っていたら、大昔に読んだ孔子に、こんな言葉があったのを思い出しました。
Life is really simple but we insist on making it complicated
人生は本当に単純、しかし、私たちがそれを難しくしている。

色々考えすぎて、八方美人になっていないか?
色々考えすぎて、人に合わせて妥協ばかりしていないか?
色々考えすぎて、人に合わせようと頑張りすぎていないか?

単純化するという事は、自分自身を見つめなおすこと。
それはとっても勇気がいる事だけど、それが判れば、無理したり、必要以上に背伸びをしなくても良いのでは?と、最近思うようになりました。
やはり己を知る、という事は、とても強い、という事なんだと思います。

そして自分がシンプルになる、という事は、周囲からも理解されやすい。

これは人生にも、仕事にも言えるんじゃないかと。
単純化する勇気を持ち続けたい、心からそう思っています。

清高も、うお時も。
より単純に、そしてそれに全力を尽くす。
孔子の教え、50手前で理解できた気がします。あとは実践し続けるのみです。


追記:妙な例えで恐縮ですが・・・・

スズキ・アルト。これ、近年の自動車にしては、本当に必要な物しかついてない。でも、その分、リーズナブル。車=移動手段として考えるなら、別にそれ以上の便利さや快適さを求めなくても良い。これも単純化の一つの答え、そして商品ブランドですよね。シンプルという事は、やっぱりわかりやすい、という事なんだな、と改めて思う商品です。





  

2023年02月12日

【母校・山手学院の大先輩】湯澤先輩の講話を拝聴しました

2月8日㈬ 毎月恒例の第147回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)でした。
今回の講師は、わが母校・山手学院の株式会社ユサワフードサービス社長・湯澤先輩(10期)の講話でした。ちなみに、僕は22期なので、ひと回り上の大先輩です。



前にも書いたことがあるかもしれませんが、今から7~8年前にビジネスで大失敗して、破産か自殺か、もうそれだけしか考えられなかった日々を過ごしていたころ、湯澤先輩の著書、「ある日突然40億の借金を背負うーそれでも人生はなんとかなる。」を偶然見つけ、本当にかすかな希望を持てたことが、今の僕に繋がっています。恐る恐る、最初の1歩を踏み出せたというか、まさにそんな感じでした。
その後も、うつ病の発症や、離婚、数々のトラブル・ピンチを経験してきましたが、本当に自分も会社も生き残ってこれたのは、この本と、比較的身近と思える先輩の存在が僕に勇気を与えてくださったから、と言えるかもしれません。

もちろん、その間、僕を支えてくれた大切な友人の皆様・スタッフ・関係者の皆様には、日々感謝しかありません。僕は本当に人、出会いに恵まれていると痛感しています。本当にありがたいです。

そんな湯澤先輩とは、数年前に初めてお会いし、それからお時間を頂いたり、お付き合いをさせて頂いています。その先輩が、YMSで登壇されるなんて…正直、かなりテンション上がってました。しかも、今回の参加者にも母校のOBの方々が多く、個人的にはいつもと違う、妙にワクワクした時間を過ごさせて頂きました。

先輩のお話の中で、僕の心に残っていることは大きく分けて3つ。
①弱い所を伸ばすのではなく、強みを活かす
②ESの向上がCSの向上につながる
③経営者はいつだって、never never never give up!

特に③は、わが母校・山手学院の江守院長(故人)がスピーチの度におっしゃっていた言葉。ある意味「校是」みたいな、そんなスピリット。そのスピリットを先輩も心に刻まれている。それが嬉しく、そしてもっと頑張らなきゃ、と思っている次第です。まだまだ、これからです!
湯澤先輩、本当にありがとうございました!

山手学院湯澤先輩と渡邉清高
(セミナー後の懇親会での記念写真。)

尚、147回YMSの詳細に関しては、僕の親友・窪田さんが、詳細を説明されています。下記にURLを貼り付けますので、皆様、是非、ご一読ください。経営者に限らず、生きていくうえで本当に色々なヒントを与えて頂ける内容だと思いますので。
Blog: 窪田恭史のリサイクルライフ
「どんな物にもヒビがある。だが光が差し込むのはそこからであるー第147回YMS」