2023年05月29日
【社長あるある】段々、数字が好きになって来ました…
5月29日
5月15日、ちょうど2週間前に新ブランド『きんのとき』をローンチしたわけですが、本当にあっという間で。各種メディアに取り上げて頂いたことで、自分でもびっくりするような現状になっています。改めて、『ブランドコンセプトと、そのストーリー』が本当に大事だな、と痛感しております。
この2週間の事は、こちらを
https://www.uotoki.com/e1603904.html
で、この驚きを、どうやったら客観的に見ることができるか?
辿り着いた答えが、やっぱり数字なんですよね。売上だけではなく、ホームページの反響、製造にかかった工数・時間、そういったものを説明しようとすると、どうしても主観が入ってしまう。その主観というのは、あくまで自分の感覚で事象を捉えて、考えて、発信するものだから、人によって、その差異が出てしまう。
でも、数字に置き換えると、かなり現実的、客観的に説明できる。
ただ、難しいのが、その数字が、何に比べて、どう違うのか?それがいいことなのか?悪いことなのか?という比較をしてあげないと、多くのスタッフは理解が出来ない。何故なら、スタッフみんなが数字を意識して、毎日仕事をしているわけではないですから。
弊社の場合だと、恐らく製造個数、売上くらいは日々意識していると思うけど、それが月単位、年単位なんて・・・。
というわけで、過去3年間の決算書と損益計算書を見直して、数値化、データ化してみました。
例えば・・・・
①自社に直接ご注文をくださるお客様の割合
②お客様の平均単価。(1個当たりの購買単価)
③ホームページビュー数から受注に至る割合
④物価上昇による仕入れ価格の高騰、それがいつ頃から顕著になってきたのか?
などなど、他にも色々ありますが、これらを数字に落とし込んでみました。
この作業、スタッフに現状把握をしてもらうために作ったのですが・・・・
細かい数字を纏めてみるだけで、全体像が見えてくる。
むしろ自分の頭の中がとてもクリアーになっていく。
そのクリアーになった状態で、「では、どう解決していくか?」、あるいは「伸ばしていくか?」の方法論を考えれば良いわけで、感覚だよりの判断より、より明確に、且つ、スピーディーに経営判断が出来るようになる。やっぱり「数字は嘘つかない」と同時に「数字管理が会社経営の基本」というのを改めて痛感している次第です。
でも、この基本の大切さを学んだのは、やっぱり、過去の失敗からです。
確かにサラリーマン時代から数字やデータの重要性は理解していた。(と思います)。でも、年商が小さく、自分も現場に入らなければならないようになると、本当に今日、明日の事しか考えられなくなる。そうなると、数字を段々意識していかなくなる。結果、勘だよりの経営になり、気がつくと大きな落とし穴にはまり…最悪、本当に改善点を見出すことが出来ず、結果、より大きな損害を生むことになる。下手したら破産や廃業だったかも。
無論、数字管理だけでは会社経営できません。数字はあくまでも実績の積み重ね、なのですから。
この数字を活かすも、殺すも、恐らく大切なのが経営者の「勘」。
でも、この「勘」は感覚ではなくて、例えば、「物価上昇はいつまで続くのだろう?」、「今、流行っているものって何だろう?」、「同業者の動向はどうだろう?」といった、情報を仕入れて、自分なりに導き出した、ある種の「思考」あるいは「方向性」。
経理や財務が苦手でした。本当に。でも、本当に現場だけで感じる勘、フィーリングだけの勘というべきか、そんな経営をした結果、気がつけば大変なことになっていました。そんな轍を踏まないように、問題点の抽出、スタッフへの共有、この2点を客観的に伝えるために、自分なりに数字を分析するようになったら…意外と数字を見るのが好きになってきた気がします。無論、胃が痛くなるような数字を見なきゃいけない時はありますが。
基本に忠実に。常に感覚ではなく数字を。そして、日々、情報を集め、「勘」を研ぎ澄ませていく事。
これが経営者の仕事の基本なんじゃないか、と思う今日、この頃です。
大分、高いお金を勉強代に費やしてしまいましたが。
今でも、経営や財務は苦手です。w
清高、まだまだです。
写真は、3月下旬に鉢を植え替えた我が家のガジュマル君。
色々調べて、根詰まりが原因と判明して、鉢を大きいのに移し替えたら、あっという間に元気になりました。
問題点に気づき、対応策を考え、実行する。「おそらく」とか「多分」って感じてることの中に、本当は問題点があるんじゃないか。
だからこそ、そういう事こそ、より確実に数値化していく必要があると思います、経営者って。
弊社もこのガジュマルみたいに、一気に成果が出ると良いのですが・・・・
(ガジュマルの移し替えはこちらから)
今日も最後までお付き合い頂き、感謝です。ありがとうございます。
5月15日、ちょうど2週間前に新ブランド『きんのとき』をローンチしたわけですが、本当にあっという間で。各種メディアに取り上げて頂いたことで、自分でもびっくりするような現状になっています。改めて、『ブランドコンセプトと、そのストーリー』が本当に大事だな、と痛感しております。
この2週間の事は、こちらを
https://www.uotoki.com/e1603904.html
で、この驚きを、どうやったら客観的に見ることができるか?
辿り着いた答えが、やっぱり数字なんですよね。売上だけではなく、ホームページの反響、製造にかかった工数・時間、そういったものを説明しようとすると、どうしても主観が入ってしまう。その主観というのは、あくまで自分の感覚で事象を捉えて、考えて、発信するものだから、人によって、その差異が出てしまう。
でも、数字に置き換えると、かなり現実的、客観的に説明できる。
ただ、難しいのが、その数字が、何に比べて、どう違うのか?それがいいことなのか?悪いことなのか?という比較をしてあげないと、多くのスタッフは理解が出来ない。何故なら、スタッフみんなが数字を意識して、毎日仕事をしているわけではないですから。
弊社の場合だと、恐らく製造個数、売上くらいは日々意識していると思うけど、それが月単位、年単位なんて・・・。
というわけで、過去3年間の決算書と損益計算書を見直して、数値化、データ化してみました。
例えば・・・・
①自社に直接ご注文をくださるお客様の割合
②お客様の平均単価。(1個当たりの購買単価)
③ホームページビュー数から受注に至る割合
④物価上昇による仕入れ価格の高騰、それがいつ頃から顕著になってきたのか?
などなど、他にも色々ありますが、これらを数字に落とし込んでみました。
この作業、スタッフに現状把握をしてもらうために作ったのですが・・・・
細かい数字を纏めてみるだけで、全体像が見えてくる。
むしろ自分の頭の中がとてもクリアーになっていく。
そのクリアーになった状態で、「では、どう解決していくか?」、あるいは「伸ばしていくか?」の方法論を考えれば良いわけで、感覚だよりの判断より、より明確に、且つ、スピーディーに経営判断が出来るようになる。やっぱり「数字は嘘つかない」と同時に「数字管理が会社経営の基本」というのを改めて痛感している次第です。
でも、この基本の大切さを学んだのは、やっぱり、過去の失敗からです。
確かにサラリーマン時代から数字やデータの重要性は理解していた。(と思います)。でも、年商が小さく、自分も現場に入らなければならないようになると、本当に今日、明日の事しか考えられなくなる。そうなると、数字を段々意識していかなくなる。結果、勘だよりの経営になり、気がつくと大きな落とし穴にはまり…最悪、本当に改善点を見出すことが出来ず、結果、より大きな損害を生むことになる。下手したら破産や廃業だったかも。
無論、数字管理だけでは会社経営できません。数字はあくまでも実績の積み重ね、なのですから。
この数字を活かすも、殺すも、恐らく大切なのが経営者の「勘」。
でも、この「勘」は感覚ではなくて、例えば、「物価上昇はいつまで続くのだろう?」、「今、流行っているものって何だろう?」、「同業者の動向はどうだろう?」といった、情報を仕入れて、自分なりに導き出した、ある種の「思考」あるいは「方向性」。
経理や財務が苦手でした。本当に。でも、本当に現場だけで感じる勘、フィーリングだけの勘というべきか、そんな経営をした結果、気がつけば大変なことになっていました。そんな轍を踏まないように、問題点の抽出、スタッフへの共有、この2点を客観的に伝えるために、自分なりに数字を分析するようになったら…意外と数字を見るのが好きになってきた気がします。無論、胃が痛くなるような数字を見なきゃいけない時はありますが。
基本に忠実に。常に感覚ではなく数字を。そして、日々、情報を集め、「勘」を研ぎ澄ませていく事。
これが経営者の仕事の基本なんじゃないか、と思う今日、この頃です。
大分、高いお金を勉強代に費やしてしまいましたが。
今でも、経営や財務は苦手です。w
清高、まだまだです。
写真は、3月下旬に鉢を植え替えた我が家のガジュマル君。
色々調べて、根詰まりが原因と判明して、鉢を大きいのに移し替えたら、あっという間に元気になりました。
問題点に気づき、対応策を考え、実行する。「おそらく」とか「多分」って感じてることの中に、本当は問題点があるんじゃないか。
だからこそ、そういう事こそ、より確実に数値化していく必要があると思います、経営者って。
弊社もこのガジュマルみたいに、一気に成果が出ると良いのですが・・・・
(ガジュマルの移し替えはこちらから)
今日も最後までお付き合い頂き、感謝です。ありがとうございます。
2023年05月17日
【僕にとって本質って何?】やっぱりシンプルなのが1番じゃないのかな?
5月15日㈪
すこし遅れましたが、この日、弊社新ブランド「きんのとき」をサイトオープン致しました。このブランドのストーリーはリンクを貼るので、詳しくはこちらをチェックして頂きたいのですが・・・・。最初のインスピレーションは、2月3日、僕のおばあちゃんの命日に、叔母と話をしていて、ふと思いつき、横浜中央市場青果部のドン・藤岡さんにご相談して・・・・そこから結局、弊社を含む4社で商品開発となったわけですが・・・。
その過程で感じたことは、それぞれの会社・店舗の「強み」を活かす、その相乗効果がより高い価値を生むのでは?と。
今回の「きんのとき」プロジェクトは、これから数か月、半年、1年後という期間で、その結果が出てくると思いますが。
でも、きっと多くのお客様にご満足して頂けるブランドになると信じています。
今回、実質、思いつきから、形になるまで、つまりオープンまで約2か月で出来たのは、まさに、各社の「強み」を活かせたからだと思っているんです。プロデューサー的、指揮者的な視点でプロセスを考え、皆さんにお願いが出来たから。それぞれでイメージを共有して、それぞれが、それを活かすアイディアを捻りだし、UPグレードしていく。結果、こだわりだらけの商品が出来上がる。僕1人で考えるより、はるかに面白く、美味しいお弁当をお客様に訴求、提案することができる。(藤岡さん、関係者の皆様ありがとうございます)
長くなりましたが、この「強み」というのは、言い換えれば「本質」だと思うんです。
その会社がお客様に一番訴求したい商品やサービス、技術は何か?という事なんです。
今、飲食業、本当に厳しいです。withコロナになり人流は戻りつつありますが、人件費・物価高騰のあおりを受けて、経営環境は正直厳しい。でも、よくよく観察してみると、コロナ渦以前から厳しかったお店は厳しいまま、だけど、コロナ渦前、あるいは期間中に、それなりに収益を出せていたお店は予約を取れないくらい繁盛しているお店もある。(もちろん一部ですが)
それらに共通しているのは、わかりやすさ、なんじゃないか?と。
このお店、「うちはこれが売りなんです!」の「これ」がブレていないお店、それがポイントなんじゃないか、と。つまり「強み」=「本質」=「これが売り」なんじゃないかな?と。
僕はどうしても、お弁当という、言い方を変えれば自店の印象をどう伝えて、お客様に弊社を選んでいただくか?というビジネスをしているので、どうしても食べる方のマーケティング思考に陥りがちですが…でも「冷めても絶対に美味しい弁当を作る」、これだけは一貫しています。
ただ、ご利用頂くお客様を想定して、それに合わせてブランドをご用意して差別化を図っているだけなのです。
つまり、自社の本質を、どう活用・応用していくか?それだけを考え続けている。つまり、とってもシンプル。
この「これが売り」を経営者が理解していないと、2つの悪影響が出ると思います。
まず1つ目が、自社の強みが判っていないから、どうしても価格勝負になってしまう。まぁ、元々、「安さ」で売っていた経営者はあくまでも価格に囚われていて、その商品価値をちゃんと伝えきれてなかったりする。そうすると、なかなか値上げできず、結果、お客様が増えても、この物価高の影響で利益が出ない、出にくい構造になってしまう。
2つ目、これ結構多いパターンだと思うのですが、今まで、こうやってきたから、やっぱり同じやり方じゃなきゃダメじゃない。みたいな経営者。
よくあるパターンとしては、以前と同じ価格なのに、注文したら明らかにボリュームや質が下がってしまっている。結果、以前よりも顧客満足度が下がり、売上低下につながってしまう。でも、実は②の場合、「売り」が判っているのに、変化を躊躇している場合が多いような気がしますが。
「売り」を理解したうえで、商品価値の伝え方や、価格、方法論(例えば飲食店であればお皿や盛り付けスタイルを変える)を変えていなかなければ、このafterなのかwithなのか分かりませんが、このコロナ渦の時代には生き残っていけないんじゃないか?と本当に思っています。
宴会の規模は縮小していくでしょうし、若者のアルコール離れが顕著になり、2次会そのものが無くなってきています。結果、営業時間中の回転数が落ちてくる=来客数の減少は当面、避けられない現実だと思うので。
だからこそ、弊社、この「きんのとき」以降、reブランドや商品や価格変更をここ数か月で一気にやってしまおうと思っています。
それだけ、時代が変わった、本当に肌身で感じています。だからこそ、以前のモデル、スタイルを変えることは怖いことですが、やるしかない、そう思っています。
でも1つだけ、時代が変わっても、変わらない「売り」があっても良いと思っています。
それはサービス、言い換えれば、「人」。
お客様にサービスを提供する側の人間として、より高いレベルでお客様に満足して頂くためには…を考えて行動する。
自店の「売り」をちゃんと説明できる、「売り」がブレないように、やり方を変えてみる。そういうアクション、つまり挑戦できる。
この経験を通じて、サービスは向上・成長できる、と僕は信じています。
これは仕事だけでなく、生きていくうえでも同じなのかも。
自分はこんな人です、これが好きです、と言える人には、共感できる仲間が増えていく。
そこから、輪が広がり、色々な事が学べる。
つまり、己を知ろうとすることが、人生を豊かにする。これは、常識や一般論とかけ離れたことでも良いと思っています。
ビジネスでモデルやスタイルを変えるように、自分が興味を持ったことにチャレンジしてみる。
その結果、経験という貴重な学びが得られる。
どんなに時代が変わっても、自分と向き合い、変化し続ける事が、より人生を豊かにすることなのかもしれません。それは個人も法人も一緒で。いかに自分の「売り」を見つけて、それを活かしていくか、楽しんでいくか、すべてはそこに尽きるのでは、と。
四十にして迷わず、と言いますが、正直、悩みっぱなし。(笑)
でも、悩んでいるからこそ、チャレンジし続けるしかない。成長し続けるしかない。
それは、僕も、会社も。
だから、変化する事への恐怖を克服しなきゃいけない、そう信じるしかない。
やっぱり、シンプルなのが一番。
清高、まだまだです。
写真は弊社新ブランド「きんのとき」のフラッグシップ商品。詳細は、こちらのメニューページをご覧ください。
きんのときホームページ https://kinnotoki.yokohama/
きんのときストーリー https://kinnotoki.yokohama/information/
きんのときメニュー https://kinnotoki.yokohama/order/
【きんのときプロジェクトチームの皆様】
蔦金商店 http://www.tsutakin.com/
SEOS平井写真館 https://seos.co.jp/
ツルミ印刷 http://www.tsurumi-p.co.jp/
すこし遅れましたが、この日、弊社新ブランド「きんのとき」をサイトオープン致しました。このブランドのストーリーはリンクを貼るので、詳しくはこちらをチェックして頂きたいのですが・・・・。最初のインスピレーションは、2月3日、僕のおばあちゃんの命日に、叔母と話をしていて、ふと思いつき、横浜中央市場青果部のドン・藤岡さんにご相談して・・・・そこから結局、弊社を含む4社で商品開発となったわけですが・・・。
その過程で感じたことは、それぞれの会社・店舗の「強み」を活かす、その相乗効果がより高い価値を生むのでは?と。
今回の「きんのとき」プロジェクトは、これから数か月、半年、1年後という期間で、その結果が出てくると思いますが。
でも、きっと多くのお客様にご満足して頂けるブランドになると信じています。
今回、実質、思いつきから、形になるまで、つまりオープンまで約2か月で出来たのは、まさに、各社の「強み」を活かせたからだと思っているんです。プロデューサー的、指揮者的な視点でプロセスを考え、皆さんにお願いが出来たから。それぞれでイメージを共有して、それぞれが、それを活かすアイディアを捻りだし、UPグレードしていく。結果、こだわりだらけの商品が出来上がる。僕1人で考えるより、はるかに面白く、美味しいお弁当をお客様に訴求、提案することができる。(藤岡さん、関係者の皆様ありがとうございます)
長くなりましたが、この「強み」というのは、言い換えれば「本質」だと思うんです。
その会社がお客様に一番訴求したい商品やサービス、技術は何か?という事なんです。
今、飲食業、本当に厳しいです。withコロナになり人流は戻りつつありますが、人件費・物価高騰のあおりを受けて、経営環境は正直厳しい。でも、よくよく観察してみると、コロナ渦以前から厳しかったお店は厳しいまま、だけど、コロナ渦前、あるいは期間中に、それなりに収益を出せていたお店は予約を取れないくらい繁盛しているお店もある。(もちろん一部ですが)
それらに共通しているのは、わかりやすさ、なんじゃないか?と。
このお店、「うちはこれが売りなんです!」の「これ」がブレていないお店、それがポイントなんじゃないか、と。つまり「強み」=「本質」=「これが売り」なんじゃないかな?と。
僕はどうしても、お弁当という、言い方を変えれば自店の印象をどう伝えて、お客様に弊社を選んでいただくか?というビジネスをしているので、どうしても食べる方のマーケティング思考に陥りがちですが…でも「冷めても絶対に美味しい弁当を作る」、これだけは一貫しています。
ただ、ご利用頂くお客様を想定して、それに合わせてブランドをご用意して差別化を図っているだけなのです。
つまり、自社の本質を、どう活用・応用していくか?それだけを考え続けている。つまり、とってもシンプル。
この「これが売り」を経営者が理解していないと、2つの悪影響が出ると思います。
まず1つ目が、自社の強みが判っていないから、どうしても価格勝負になってしまう。まぁ、元々、「安さ」で売っていた経営者はあくまでも価格に囚われていて、その商品価値をちゃんと伝えきれてなかったりする。そうすると、なかなか値上げできず、結果、お客様が増えても、この物価高の影響で利益が出ない、出にくい構造になってしまう。
2つ目、これ結構多いパターンだと思うのですが、今まで、こうやってきたから、やっぱり同じやり方じゃなきゃダメじゃない。みたいな経営者。
よくあるパターンとしては、以前と同じ価格なのに、注文したら明らかにボリュームや質が下がってしまっている。結果、以前よりも顧客満足度が下がり、売上低下につながってしまう。でも、実は②の場合、「売り」が判っているのに、変化を躊躇している場合が多いような気がしますが。
「売り」を理解したうえで、商品価値の伝え方や、価格、方法論(例えば飲食店であればお皿や盛り付けスタイルを変える)を変えていなかなければ、このafterなのかwithなのか分かりませんが、このコロナ渦の時代には生き残っていけないんじゃないか?と本当に思っています。
宴会の規模は縮小していくでしょうし、若者のアルコール離れが顕著になり、2次会そのものが無くなってきています。結果、営業時間中の回転数が落ちてくる=来客数の減少は当面、避けられない現実だと思うので。
だからこそ、弊社、この「きんのとき」以降、reブランドや商品や価格変更をここ数か月で一気にやってしまおうと思っています。
それだけ、時代が変わった、本当に肌身で感じています。だからこそ、以前のモデル、スタイルを変えることは怖いことですが、やるしかない、そう思っています。
でも1つだけ、時代が変わっても、変わらない「売り」があっても良いと思っています。
それはサービス、言い換えれば、「人」。
お客様にサービスを提供する側の人間として、より高いレベルでお客様に満足して頂くためには…を考えて行動する。
自店の「売り」をちゃんと説明できる、「売り」がブレないように、やり方を変えてみる。そういうアクション、つまり挑戦できる。
この経験を通じて、サービスは向上・成長できる、と僕は信じています。
これは仕事だけでなく、生きていくうえでも同じなのかも。
自分はこんな人です、これが好きです、と言える人には、共感できる仲間が増えていく。
そこから、輪が広がり、色々な事が学べる。
つまり、己を知ろうとすることが、人生を豊かにする。これは、常識や一般論とかけ離れたことでも良いと思っています。
ビジネスでモデルやスタイルを変えるように、自分が興味を持ったことにチャレンジしてみる。
その結果、経験という貴重な学びが得られる。
どんなに時代が変わっても、自分と向き合い、変化し続ける事が、より人生を豊かにすることなのかもしれません。それは個人も法人も一緒で。いかに自分の「売り」を見つけて、それを活かしていくか、楽しんでいくか、すべてはそこに尽きるのでは、と。
四十にして迷わず、と言いますが、正直、悩みっぱなし。(笑)
でも、悩んでいるからこそ、チャレンジし続けるしかない。成長し続けるしかない。
それは、僕も、会社も。
だから、変化する事への恐怖を克服しなきゃいけない、そう信じるしかない。
やっぱり、シンプルなのが一番。
清高、まだまだです。
写真は弊社新ブランド「きんのとき」のフラッグシップ商品。詳細は、こちらのメニューページをご覧ください。
きんのときホームページ https://kinnotoki.yokohama/
きんのときストーリー https://kinnotoki.yokohama/information/
きんのときメニュー https://kinnotoki.yokohama/order/
【きんのときプロジェクトチームの皆様】
蔦金商店 http://www.tsutakin.com/
SEOS平井写真館 https://seos.co.jp/
ツルミ印刷 http://www.tsurumi-p.co.jp/
2023年05月12日
【改めて思う事】経営者は人気商売ではない、という事
5月11日
毎月恒例の、ハジメフーズ全社会議に出席のため、大阪へ。
相変わらず、朝7:30に伊丹に降りてから、会議、MTG、臨店で1日が終わった。
ふと、会議に参加して思った事。
危機感がない、という事。現状に対して、不安や不満を持っている人がいないという事なのか・・・
ずっと俯いて会議に参加している店長が目立った印象。
各店の数字把握や、アルバイトスタッフ用のチェックシートをディスカッションする場であるはずなのに、正直、プレゼンター以外からの発言が全くない。。
これは僕が常勤でないからそう感じるのか?
あるいは、みんな諦めているのか?
無責任に言ってしまえば、僕は社外の人間なので、僕が出来る事、お手伝いできることは限られているし、僕が負う責任は、そんなに重くない。
でも仕事として引き受けた以上は、現状把握と、僕の経験から、次の方法論を提案する事。そして、それを実行して、着実に成果を積み重ねていく事、それをサポートするのが僕の役目。
悶々とした思いで会議が終わり、ある店長を含め3人でMTGというか、会話をしていた時に、「あぁ、会社風土が変わらない原因の一つがこれだったのか」という事を改めて感じた。そして、その根っ子の部分を変えなくては、店長たちが成長しない、と痛感した。
店長たちが成長しなければ、お店は決して良くならず、結果、お客様が魅力を感じないお店になってしまう。
それを何とかするために、僕は、この会社の仕事を引き受けたのだ、という事を思い出した。
なので、社長MTGの時に、社長に現状を踏まえたうえで、ある提案をした。
この提案が受け入れられるかどうかは、社長の判断次第だろうけれど、少なくとも、僕がこの会社の社長だったら、まずはこの手しかないんじゃないか・・と。劇薬的な手段・方法ではあるけれど。これをしなければ、みんなの意見や思いをディスカッションできる環境にならないんじゃないか?と。
出来ていない、問題点ばかりを見つけて、それを問いただすことは簡単。でも、なぜ、そういう事例が起きたのか?その根本原因を見つけて、手術しなければ会社はつぶれてしまう。そう、誰かが悪役になって、過去の成功体験や方法論をぶっ壊して、新しいやり方を、スタッフみんなと作り上げていくしかない。それが僕の社外取締役としての役目。
経営者は人気商売ではない。皆に愛される社長が、いい経営者とは限らない。時にやさしく、時に寄り添い、そして、時に決断を下す。
理想論ではなく、現実を受け入れて、その決断・判断を出来るかどうかが、経営者の役目なんだ、と改めて感じた次第。
ハジメフーズの為に、僕は悪役になる!
そう決めた今回の出張でした。
頑張っているスタッフにも、この思いがいつか解ってくれることをくれることを信じて。
清高、まだまだです。がんばらねば!
地元・横浜からかなり遠いのに、この風景を見た時に、「やっぱり、やることは一緒なんだよな」と。
場所や職種は違っても、経営者に必要なのは、覚悟!それしかない、と。
毎月恒例の、ハジメフーズ全社会議に出席のため、大阪へ。
相変わらず、朝7:30に伊丹に降りてから、会議、MTG、臨店で1日が終わった。
ふと、会議に参加して思った事。
危機感がない、という事。現状に対して、不安や不満を持っている人がいないという事なのか・・・
ずっと俯いて会議に参加している店長が目立った印象。
各店の数字把握や、アルバイトスタッフ用のチェックシートをディスカッションする場であるはずなのに、正直、プレゼンター以外からの発言が全くない。。
これは僕が常勤でないからそう感じるのか?
あるいは、みんな諦めているのか?
無責任に言ってしまえば、僕は社外の人間なので、僕が出来る事、お手伝いできることは限られているし、僕が負う責任は、そんなに重くない。
でも仕事として引き受けた以上は、現状把握と、僕の経験から、次の方法論を提案する事。そして、それを実行して、着実に成果を積み重ねていく事、それをサポートするのが僕の役目。
悶々とした思いで会議が終わり、ある店長を含め3人でMTGというか、会話をしていた時に、「あぁ、会社風土が変わらない原因の一つがこれだったのか」という事を改めて感じた。そして、その根っ子の部分を変えなくては、店長たちが成長しない、と痛感した。
店長たちが成長しなければ、お店は決して良くならず、結果、お客様が魅力を感じないお店になってしまう。
それを何とかするために、僕は、この会社の仕事を引き受けたのだ、という事を思い出した。
なので、社長MTGの時に、社長に現状を踏まえたうえで、ある提案をした。
この提案が受け入れられるかどうかは、社長の判断次第だろうけれど、少なくとも、僕がこの会社の社長だったら、まずはこの手しかないんじゃないか・・と。劇薬的な手段・方法ではあるけれど。これをしなければ、みんなの意見や思いをディスカッションできる環境にならないんじゃないか?と。
出来ていない、問題点ばかりを見つけて、それを問いただすことは簡単。でも、なぜ、そういう事例が起きたのか?その根本原因を見つけて、手術しなければ会社はつぶれてしまう。そう、誰かが悪役になって、過去の成功体験や方法論をぶっ壊して、新しいやり方を、スタッフみんなと作り上げていくしかない。それが僕の社外取締役としての役目。
経営者は人気商売ではない。皆に愛される社長が、いい経営者とは限らない。時にやさしく、時に寄り添い、そして、時に決断を下す。
理想論ではなく、現実を受け入れて、その決断・判断を出来るかどうかが、経営者の役目なんだ、と改めて感じた次第。
ハジメフーズの為に、僕は悪役になる!
そう決めた今回の出張でした。
頑張っているスタッフにも、この思いがいつか解ってくれることをくれることを信じて。
清高、まだまだです。がんばらねば!
地元・横浜からかなり遠いのに、この風景を見た時に、「やっぱり、やることは一緒なんだよな」と。
場所や職種は違っても、経営者に必要なのは、覚悟!それしかない、と。
2023年04月22日
【気長さって愛かも】人財育成に関して思う事
4月20日㈭~22日㈯
今日は、今回の大阪出張の最終日。このblogもフライト待ちの空港で書いています。
今回も相変わらずドタバタな日程で、ホテルで睡眠をとっている以外、すべて仕事という・・・・相変わらずな出張でした。
初日にお邪魔したのは、香里園(寝屋川市)にある、鶏からと鉄板鍋のお店、儿(jin)。
このお店は、僕が社外取締役を務めているハジメフーズから、独立した店長が個人経営しているお店。数字をみていて興味があったので、ちょっと、いやかなり大阪市内からは行きづらい場所ではあるんですが、お邪魔した次第。
14卓で44~45名くらいのサイズ感のお店です。で、色々と話をしたのですが、仕事に対する意識、経営に対する意識というのかな、それが物凄く高い、そう感じた次第です。もちろん、お料理も、サービスもバッチリ。オープンから10年以上経過しているお店なので、業態疲労が進んでいる感は否めませんが、少しのリニューアル、見せ方の変化で、大分、このお店は変われると思うんです。コロナ渦からすこしづつではありますが、持ち直してきているし、個人的に、とっても楽しみです。
翌日は、朝から、ハジメフーズの直営店舗・店長会議と、本社で社長・総務会議の2本でぎっちり夕方まで。
夕刻からは、会長を交えて、何故か餃子パーティーに参加させて頂き、色々なご経験をお伺いする事が出来ました。
プライム・リンク時代の後輩の名前がチラホラ出てきて、あっという間に22時過ぎまで。愉しいひと時でした。ありがとうございます。
それで店長会議なのですが・・・・
前日にOBの店長と話をしたせいもあるのだろうけど、なんだか・・・・。
店長の意識というか、責任感を感じることが出来ない内容で、久々に雷を落としてしまいました。現状認識の甘さ、数値管理の意味、それらが全く出来ていない。でも一番、僕が頭に来たのは、自分から考えて発言しようとする人間がいなかったこと。また、発言内容もマイナスばかり、つまり言い訳しか言わない事。現況数字を見る限り、考えうるすべての事をやらなきゃいけない、ディスカッションしなきゃいけないのに、現状維持、あるいは、ネガティブな事しか思い浮かばない・・・。
正直、俺、なんで月2回、大阪まで来て彼らと仕事しているんだろう?と思ったら腹が立って。。
確かに、店長陣が物を考えない、あるいは発言できない理由、そういう社風になってしまっている理由はわかっています。何故なら、以前の弊社・うお時もそうだった時期があるから。
でも、社長として、会社存亡の危機であることを伝えたら、パート・アルバイトスタッフが様々なアイディアを出してきてくれて、結果、今の社風になっています。
なので、同じように、ハジメフーズでも、現状数字を毎月みんなに伝え、それぞれが考えたことをディスカッションし、PDCAを回していく、その流れを作ろうとしているのですが、あまりに危機意識、やる気が感じられない。
それでみんなに伝えたんです。君たちよりアルバイトの方が仕事ができるっておかしくないか?と。
直営3店舗のうち、1店舗、Kぽちゃというサムギョプサルがメインの韓国料理店があるのですが、このお店、営業的に非常に厳しくて。
なので、この店舗、営業しながらではあるのですが、3月15日にリニューアルオープンをしました。予算的には、本当に限られた予算
内で、いかにお店を良くするか?という課題に対して、取った手法が・・・・
働いているスタッフ、主に女子大生に、どんなお店だったらこのお店に来たいって思う?と、MTGを開催し意見をヒアリングしたのです。
それを僕と店長が意見集約をして、総務セクションと1つ1つをカタチにしていった結果・・・・
リニューアル後、約1か月ですが、確実に売り上げが伸びて来ています。場所柄、3月より4月の売上が落ちる傾向があるのにです。
(リニューアル後のKぽちゃ)
つまり・・・
大人な店長よりも、大学生たちの方が、危機感や、アイディアを発信できてる、という現状。
確かに、責任感がなく、思いつきだろう?という方もいるでしょうが、その思い付きでもディスカッションをし、肉付けすれば武器になりえる。
でも、何も感じない、考えなければ、思いつきでさえも発言・発信できない。ディスカッションにも至れない。
そういった彼らを変えるためには・・・・
やっぱり社風を変える事しかないと思います。つまり、即効性は無いけれど、長期にわたり、少しづつ、トライ&エラーを繰り返しながら、チャレンジしていく、発言しやすい環境を整える事しかない、と。
残念なことに、僕には子供はいません。でも、気長に我慢し続け、店長陣の成長を待つ、見守るというのは、きっと、子育てと一緒なんじゃないか、と。無論、ビジネス、商売なので、お金が途切れるまでに何とかしなきゃいけない、そのための僕のお仕事な訳ですが。
1人1人の得意なところを活かしつつ、上手くみんなのモチベーションを上げながら、成長を見届けたい、そんな気持ちでいっぱいです。
教えることは学ぶ事。
本当に清高、まだまだだと思います。大阪に来ると、自分の力不足をより感じづにはいられません。
追記:店長会議を通じて、少しだけ期待を持てるようなことが起きました。
以前から某店長に相談していた、キラーコンテンツ、こんな感じでどうですか?と。
一見すると普通の肉寿司なのですが、彼はこんな風にサーブするとの事
焼肉屋さんに来て、店長が目の前で仕上げるメニュー。こんなサービスがあったら、とっても面白いですよね。
彼はキッチン上がりの店長なので、接客をどうやったら楽しんでもらえるか?を考えるために与えたタスクですが、結果、こういう方法を考え、5月からのメニューの目玉として打ち出す予定です。
正直、心の中では焦りまくりですが・・・・
少しづつ、丁寧に、一緒に問題をクリアーしながら成長していきたいと思っています。
ひょっとしたら、僕、愛が足りないのかもしれません。兄弟愛が。
でも、ダメダメな自分なりにコツコツ、取り組んでいきます!少しづつでも確実に。
素晴らしい経験をさせて頂けている、と心から感謝しています。
山元社長、本当にありがとうございます!
次回の大阪、約20日後ですが、楽しみです!
今回も長文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
今日は、今回の大阪出張の最終日。このblogもフライト待ちの空港で書いています。
今回も相変わらずドタバタな日程で、ホテルで睡眠をとっている以外、すべて仕事という・・・・相変わらずな出張でした。
初日にお邪魔したのは、香里園(寝屋川市)にある、鶏からと鉄板鍋のお店、儿(jin)。
このお店は、僕が社外取締役を務めているハジメフーズから、独立した店長が個人経営しているお店。数字をみていて興味があったので、ちょっと、いやかなり大阪市内からは行きづらい場所ではあるんですが、お邪魔した次第。
14卓で44~45名くらいのサイズ感のお店です。で、色々と話をしたのですが、仕事に対する意識、経営に対する意識というのかな、それが物凄く高い、そう感じた次第です。もちろん、お料理も、サービスもバッチリ。オープンから10年以上経過しているお店なので、業態疲労が進んでいる感は否めませんが、少しのリニューアル、見せ方の変化で、大分、このお店は変われると思うんです。コロナ渦からすこしづつではありますが、持ち直してきているし、個人的に、とっても楽しみです。
翌日は、朝から、ハジメフーズの直営店舗・店長会議と、本社で社長・総務会議の2本でぎっちり夕方まで。
夕刻からは、会長を交えて、何故か餃子パーティーに参加させて頂き、色々なご経験をお伺いする事が出来ました。
プライム・リンク時代の後輩の名前がチラホラ出てきて、あっという間に22時過ぎまで。愉しいひと時でした。ありがとうございます。
それで店長会議なのですが・・・・
前日にOBの店長と話をしたせいもあるのだろうけど、なんだか・・・・。
店長の意識というか、責任感を感じることが出来ない内容で、久々に雷を落としてしまいました。現状認識の甘さ、数値管理の意味、それらが全く出来ていない。でも一番、僕が頭に来たのは、自分から考えて発言しようとする人間がいなかったこと。また、発言内容もマイナスばかり、つまり言い訳しか言わない事。現況数字を見る限り、考えうるすべての事をやらなきゃいけない、ディスカッションしなきゃいけないのに、現状維持、あるいは、ネガティブな事しか思い浮かばない・・・。
正直、俺、なんで月2回、大阪まで来て彼らと仕事しているんだろう?と思ったら腹が立って。。
確かに、店長陣が物を考えない、あるいは発言できない理由、そういう社風になってしまっている理由はわかっています。何故なら、以前の弊社・うお時もそうだった時期があるから。
でも、社長として、会社存亡の危機であることを伝えたら、パート・アルバイトスタッフが様々なアイディアを出してきてくれて、結果、今の社風になっています。
なので、同じように、ハジメフーズでも、現状数字を毎月みんなに伝え、それぞれが考えたことをディスカッションし、PDCAを回していく、その流れを作ろうとしているのですが、あまりに危機意識、やる気が感じられない。
それでみんなに伝えたんです。君たちよりアルバイトの方が仕事ができるっておかしくないか?と。
直営3店舗のうち、1店舗、Kぽちゃというサムギョプサルがメインの韓国料理店があるのですが、このお店、営業的に非常に厳しくて。
なので、この店舗、営業しながらではあるのですが、3月15日にリニューアルオープンをしました。予算的には、本当に限られた予算
内で、いかにお店を良くするか?という課題に対して、取った手法が・・・・
働いているスタッフ、主に女子大生に、どんなお店だったらこのお店に来たいって思う?と、MTGを開催し意見をヒアリングしたのです。
それを僕と店長が意見集約をして、総務セクションと1つ1つをカタチにしていった結果・・・・
リニューアル後、約1か月ですが、確実に売り上げが伸びて来ています。場所柄、3月より4月の売上が落ちる傾向があるのにです。
(リニューアル後のKぽちゃ)
つまり・・・
大人な店長よりも、大学生たちの方が、危機感や、アイディアを発信できてる、という現状。
確かに、責任感がなく、思いつきだろう?という方もいるでしょうが、その思い付きでもディスカッションをし、肉付けすれば武器になりえる。
でも、何も感じない、考えなければ、思いつきでさえも発言・発信できない。ディスカッションにも至れない。
そういった彼らを変えるためには・・・・
やっぱり社風を変える事しかないと思います。つまり、即効性は無いけれど、長期にわたり、少しづつ、トライ&エラーを繰り返しながら、チャレンジしていく、発言しやすい環境を整える事しかない、と。
残念なことに、僕には子供はいません。でも、気長に我慢し続け、店長陣の成長を待つ、見守るというのは、きっと、子育てと一緒なんじゃないか、と。無論、ビジネス、商売なので、お金が途切れるまでに何とかしなきゃいけない、そのための僕のお仕事な訳ですが。
1人1人の得意なところを活かしつつ、上手くみんなのモチベーションを上げながら、成長を見届けたい、そんな気持ちでいっぱいです。
教えることは学ぶ事。
本当に清高、まだまだだと思います。大阪に来ると、自分の力不足をより感じづにはいられません。
追記:店長会議を通じて、少しだけ期待を持てるようなことが起きました。
以前から某店長に相談していた、キラーコンテンツ、こんな感じでどうですか?と。
一見すると普通の肉寿司なのですが、彼はこんな風にサーブするとの事
焼肉屋さんに来て、店長が目の前で仕上げるメニュー。こんなサービスがあったら、とっても面白いですよね。
彼はキッチン上がりの店長なので、接客をどうやったら楽しんでもらえるか?を考えるために与えたタスクですが、結果、こういう方法を考え、5月からのメニューの目玉として打ち出す予定です。
正直、心の中では焦りまくりですが・・・・
少しづつ、丁寧に、一緒に問題をクリアーしながら成長していきたいと思っています。
ひょっとしたら、僕、愛が足りないのかもしれません。兄弟愛が。
でも、ダメダメな自分なりにコツコツ、取り組んでいきます!少しづつでも確実に。
素晴らしい経験をさせて頂けている、と心から感謝しています。
山元社長、本当にありがとうございます!
次回の大阪、約20日後ですが、楽しみです!
今回も長文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
2023年04月18日
【you're not alone】久々に鬱病が再発するかと…
4月18日㈫
先週後半~週末にかけて、久々に公私に渡り「これでもか!」というほどのトラブルや、出来事、情報が入ってきて、久々に鬱が再発するかと思いました。いや、本当にしんどくて、きつかったです。
あまりにも色々な事があったので、個々の詳細は省きますが、数日経ち、振り返ってみた結果・・・・
『あっ、俺、仕事に夢中過ぎたのは、独りっきりになるのが嫌だったんだ』という事に気づいたこと。
数年前の経営危機から鬱病発症したわけですが、その時、まず考えたのは、会社(経営)をなんとかしなきゃ、という事。あの頃、もし会社が破産してたら、金融機関の連帯保証人になっていた両親の財産まで差し押さえられてしまう。だから、まずは会社を立て直さなきゃ、と思い、動き出したのが鬱を脱する第1歩だったと思うんです。その直後に親父が急逝。この頃は、本当に死ぬんじゃないか、って思うほど、鬱状態が酷かった時期でした。
再生のために、まずお弁当の販売部門(B to C)を部門閉鎖し、デリバリーに特化することを決め、それまでと全く違う、横濱うお時をReブランディング&ネットでの受注販売を開始したのが4年前。つまりコロナ渦の1年前。部門閉鎖という事はリストラをしたという事です。このストレスはさらに鬱病を悪化させたな、と今なら客観的に思います。そのためか、この頃から夫婦別居しなきゃと思い、結果、後刻、離婚に至りました。
ご存じのようにコロナ渦が来て、運が良く、神奈川県のコロナ陽性・軽症者収容施設(ホテル)にお弁当を搬入するお弁当屋さんのJV(みたいな集合体というのが正しいのかな?)に参画し、結果的に見れば、今までお弁当を必要としなかった企業、お客様ご本人に、弊社のお弁当を知っていただくことができ…折から会食が難しい環境だったので、デリバリー需要拡大の波に上手く乗ることができ、コロナの影響、少なくて済みました。
そして、この横濱うお時Reブランドの経験を活かし、「洋食喫茶イセザキ」「濱乃や」等のブランディングを立ち上げ、2021年(2年前)には、お弁当の販売促進のために、活用されていなかった横浜のブログポータルサイトを買収・改修して『濱街沿線ダイアリー』の運用を開始。
この『濱街沿線ダイアリー』を運営する、エリアコミュニケーション事業部では、ママさんSEとライターをスタッフに抱え、神奈川県東部の情報を発信するだけでなく、僕が今まで実践してきた、webマーケティング手法、販促手法を他業種の方々に提供するビジネスもスタートしました。
この『濱街沿線ダイアリー』が参画する全国のポータルサイトArearesと連携して、全国各地の食材探し、セミナーの旅が始まったのもこの頃から。
また、以前にも経験があったのですが、昨年秋より、株式会社ハジメフーズのコンサルタントを経て社外取締役に就任し、現在月2回の大阪出張。飲食店舗部門事業を中心に売上・収益率の改善のためにお仕事をさせて頂いています。
結果、おかげさまで弊社の経営環境は大分、改善してきています!
経営改善が進んでも、悩みが尽きないのが、経営者の面白いではあると思うのですが・・・。w
改善はしてきていますが、まだまだなんですよね、それでも力不足を実感してますが。
まぁ、自分で考えても、この数年間の仕事量・アウトプットは・・・・。
波乱万丈、ジェットコースターみたいな人生だと思ってます。
正直言って、かなり充実した毎日を過ごしています。平日は…
でも、週末や祝日、嫌いなんです、というか怖いんです、本当のことを言うと。
前述したように、鬱病から脱する事が出来たのは、仕事に没頭できたから。でも、なぜ、ここまで没頭出来たかというと、鬱で失った元嫁さんや、親友に、いつの日か「あの頃は本当にごめんなさい。でも、今の僕は大丈夫だよ」って言いたかった、思ってほしかったから、それだけだったと。現実的に考えれば、それって、とんでもなく甘い夢みたいな話ですが。でも、その微かな希望というか光が見えたから、最初の1歩を踏み出せたと思うんです。無論、それを可能にしてくれたのは、以前、このブログで纏めたように、僕の周りに、僕を助けてくれた方々が沢山いたからに外ならず、本当に運が良かったと思っています。僕は本当に人に恵まれている、そう思います。
これも以前、ブログで書きましたが、渡邉家はとっても特殊な家族で。祖母と叔母は熱心な宗教の信者。そして、これは初めて書くと思いますが、親父はとんでもない放蕩息子。僕と同様、心が弱かったのかな?あるいは元々が病弱だったから?か、親父が元気で仕事をしている思い出が僕には全くないんです。本当に。良い記憶として覚えているのは、一緒にゴルフ練習したり、旅行したり、派手な車を乗り回したり。でも、やっぱり悪い記憶の方が多くて、失踪して、親父の車を探しに母と羽田空港に行ったり、長期入院中に病院を抜け出して騒動を起こしたり、家に引きこもってたり、年末年始には毎年恒例の夫婦大喧嘩…。お袋はとんでもなく忙しく過ごしているのに、なんで親父は??
その分、子供の頃から母が不憫に見えて、「あんな親父、大人になりたくない」と反面教師として育ったと思います。
だから、きっと、僕にとって結婚は、凄く意味があったことだと思います。
そして、それがうまく行かなかったことに、トラウマを感じているのかもしれません。結局は親父と一緒になってしまったんじゃないか?と。
なので、週末、デパートやスーパー、あるいは家族連れが集まるようなスポットに行くと、気分が滅入ってしまう。
結果、週末、深酒してしまう事が多いような気がします。
長くなりましたが・・・
「鬱病になって失ったもの、つまり信用を取り戻したい」ってことが、鬱病を克服するきっかけになったと思います。
そのために仕事に没頭し、会社もなんとかなって来つつあるけれど…あれ、僕、全く鬱病を発症した時と全く変わってないじゃん。周りは変わっているのに、と今回、感じてしまったんです。正直「寂しい…」と。寂しさを感じたくないから、週末が嫌いだったんですね、僕は。
でも、今回、再発せずに済んだのは、こんな僕でも必要としてくれる人がいる、と感じることが出来たから。孤独じゃないから。
偶然にも、僕以上に過去から苦しみを抱えている友人からSOSの連絡が入ってきたり、自分より若い友達が僕の事を見ているって実感できたから。カッコ悪くても、自分をさらけ出せば、彼らの役に立てるかもしれない。見知らぬ人でも、過去の僕と同じように苦しんでいる人がいるかもしれない、その人に何かを伝えることが出来たらと思って書いています。
今の僕の希望の光は、同じような事を悩んでいる人に、「大丈夫だよ、僕だって生き残れたんだから」と伝える事なんじゃないか?
それが使命なんじゃないか?そう考えています。
だから鬱状態に陥ることはあっても、鬱病が再発することは無いと思っています。きっと大丈夫だと。
とはいえ、たまにこうやって、おっこってしまう。
メンタルダウンしてしまう。人間だから仕方ないとはいえ、本当にまだまだですね。強くならなきゃ。
さて、今日も頑張りますか。長文、お付き合いして頂きありがとうございます。
(嫌な思いをされた方がいたら、お詫びします)
追記:いつの日か、元嫁さんと親友、昔みたいに話せたら…という夢、心の片隅に大切に残しておこうと思っています。感謝と共に。
伝えるために書いている訳じゃない…ですからね。w 本当に。
先週後半~週末にかけて、久々に公私に渡り「これでもか!」というほどのトラブルや、出来事、情報が入ってきて、久々に鬱が再発するかと思いました。いや、本当にしんどくて、きつかったです。
あまりにも色々な事があったので、個々の詳細は省きますが、数日経ち、振り返ってみた結果・・・・
『あっ、俺、仕事に夢中過ぎたのは、独りっきりになるのが嫌だったんだ』という事に気づいたこと。
数年前の経営危機から鬱病発症したわけですが、その時、まず考えたのは、会社(経営)をなんとかしなきゃ、という事。あの頃、もし会社が破産してたら、金融機関の連帯保証人になっていた両親の財産まで差し押さえられてしまう。だから、まずは会社を立て直さなきゃ、と思い、動き出したのが鬱を脱する第1歩だったと思うんです。その直後に親父が急逝。この頃は、本当に死ぬんじゃないか、って思うほど、鬱状態が酷かった時期でした。
再生のために、まずお弁当の販売部門(B to C)を部門閉鎖し、デリバリーに特化することを決め、それまでと全く違う、横濱うお時をReブランディング&ネットでの受注販売を開始したのが4年前。つまりコロナ渦の1年前。部門閉鎖という事はリストラをしたという事です。このストレスはさらに鬱病を悪化させたな、と今なら客観的に思います。そのためか、この頃から夫婦別居しなきゃと思い、結果、後刻、離婚に至りました。
ご存じのようにコロナ渦が来て、運が良く、神奈川県のコロナ陽性・軽症者収容施設(ホテル)にお弁当を搬入するお弁当屋さんのJV(みたいな集合体というのが正しいのかな?)に参画し、結果的に見れば、今までお弁当を必要としなかった企業、お客様ご本人に、弊社のお弁当を知っていただくことができ…折から会食が難しい環境だったので、デリバリー需要拡大の波に上手く乗ることができ、コロナの影響、少なくて済みました。
そして、この横濱うお時Reブランドの経験を活かし、「洋食喫茶イセザキ」「濱乃や」等のブランディングを立ち上げ、2021年(2年前)には、お弁当の販売促進のために、活用されていなかった横浜のブログポータルサイトを買収・改修して『濱街沿線ダイアリー』の運用を開始。
この『濱街沿線ダイアリー』を運営する、エリアコミュニケーション事業部では、ママさんSEとライターをスタッフに抱え、神奈川県東部の情報を発信するだけでなく、僕が今まで実践してきた、webマーケティング手法、販促手法を他業種の方々に提供するビジネスもスタートしました。
この『濱街沿線ダイアリー』が参画する全国のポータルサイトArearesと連携して、全国各地の食材探し、セミナーの旅が始まったのもこの頃から。
また、以前にも経験があったのですが、昨年秋より、株式会社ハジメフーズのコンサルタントを経て社外取締役に就任し、現在月2回の大阪出張。飲食店舗部門事業を中心に売上・収益率の改善のためにお仕事をさせて頂いています。
結果、おかげさまで弊社の経営環境は大分、改善してきています!
経営改善が進んでも、悩みが尽きないのが、経営者の面白いではあると思うのですが・・・。w
改善はしてきていますが、まだまだなんですよね、それでも力不足を実感してますが。
まぁ、自分で考えても、この数年間の仕事量・アウトプットは・・・・。
波乱万丈、ジェットコースターみたいな人生だと思ってます。
正直言って、かなり充実した毎日を過ごしています。平日は…
でも、週末や祝日、嫌いなんです、というか怖いんです、本当のことを言うと。
前述したように、鬱病から脱する事が出来たのは、仕事に没頭できたから。でも、なぜ、ここまで没頭出来たかというと、鬱で失った元嫁さんや、親友に、いつの日か「あの頃は本当にごめんなさい。でも、今の僕は大丈夫だよ」って言いたかった、思ってほしかったから、それだけだったと。現実的に考えれば、それって、とんでもなく甘い夢みたいな話ですが。でも、その微かな希望というか光が見えたから、最初の1歩を踏み出せたと思うんです。無論、それを可能にしてくれたのは、以前、このブログで纏めたように、僕の周りに、僕を助けてくれた方々が沢山いたからに外ならず、本当に運が良かったと思っています。僕は本当に人に恵まれている、そう思います。
これも以前、ブログで書きましたが、渡邉家はとっても特殊な家族で。祖母と叔母は熱心な宗教の信者。そして、これは初めて書くと思いますが、親父はとんでもない放蕩息子。僕と同様、心が弱かったのかな?あるいは元々が病弱だったから?か、親父が元気で仕事をしている思い出が僕には全くないんです。本当に。良い記憶として覚えているのは、一緒にゴルフ練習したり、旅行したり、派手な車を乗り回したり。でも、やっぱり悪い記憶の方が多くて、失踪して、親父の車を探しに母と羽田空港に行ったり、長期入院中に病院を抜け出して騒動を起こしたり、家に引きこもってたり、年末年始には毎年恒例の夫婦大喧嘩…。お袋はとんでもなく忙しく過ごしているのに、なんで親父は??
その分、子供の頃から母が不憫に見えて、「あんな親父、大人になりたくない」と反面教師として育ったと思います。
だから、きっと、僕にとって結婚は、凄く意味があったことだと思います。
そして、それがうまく行かなかったことに、トラウマを感じているのかもしれません。結局は親父と一緒になってしまったんじゃないか?と。
なので、週末、デパートやスーパー、あるいは家族連れが集まるようなスポットに行くと、気分が滅入ってしまう。
結果、週末、深酒してしまう事が多いような気がします。
長くなりましたが・・・
「鬱病になって失ったもの、つまり信用を取り戻したい」ってことが、鬱病を克服するきっかけになったと思います。
そのために仕事に没頭し、会社もなんとかなって来つつあるけれど…あれ、僕、全く鬱病を発症した時と全く変わってないじゃん。周りは変わっているのに、と今回、感じてしまったんです。正直「寂しい…」と。寂しさを感じたくないから、週末が嫌いだったんですね、僕は。
でも、今回、再発せずに済んだのは、こんな僕でも必要としてくれる人がいる、と感じることが出来たから。孤独じゃないから。
偶然にも、僕以上に過去から苦しみを抱えている友人からSOSの連絡が入ってきたり、自分より若い友達が僕の事を見ているって実感できたから。カッコ悪くても、自分をさらけ出せば、彼らの役に立てるかもしれない。見知らぬ人でも、過去の僕と同じように苦しんでいる人がいるかもしれない、その人に何かを伝えることが出来たらと思って書いています。
今の僕の希望の光は、同じような事を悩んでいる人に、「大丈夫だよ、僕だって生き残れたんだから」と伝える事なんじゃないか?
それが使命なんじゃないか?そう考えています。
だから鬱状態に陥ることはあっても、鬱病が再発することは無いと思っています。きっと大丈夫だと。
とはいえ、たまにこうやって、おっこってしまう。
メンタルダウンしてしまう。人間だから仕方ないとはいえ、本当にまだまだですね。強くならなきゃ。
さて、今日も頑張りますか。長文、お付き合いして頂きありがとうございます。
(嫌な思いをされた方がいたら、お詫びします)
追記:いつの日か、元嫁さんと親友、昔みたいに話せたら…という夢、心の片隅に大切に残しておこうと思っています。感謝と共に。
伝えるために書いている訳じゃない…ですからね。w 本当に。
2023年04月04日
【I.G.Y】まさか東大総長の発言に共感できるなんて・・・・
4月4日㈫
世間では統一地方選挙ですね。僕も自民党員なので、多少、政治に興味があり、先日、友人議員の演説会に参加してみました。彼の主張、とても腑に落ちる素晴らしい政策だと思います。是非、市政に活かしてもらいたいと思います。(この話は後刻、また)
実は、ちょっと前のニュースなのですが、こんなサイトを見つけました。
令和4年度 東京大学学位記授与式 総長告辞
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_12.html?fbclid=IwAR17wrwixq3tBOqbhTg3Zdd9AukVtfgW4bmyEdCMV1pbgHuqTT3XmqEdEdI
本ブログのタイトルを見て、‼と思われた方、多分、洋楽好きか、あるいは50代以上の方だと思うのですが…。この東大総長のスピーチに、なんと、Donald Fagenの名曲【I.G.Y】が引用されています。
この【I.G.Y】は、1982年に発表された名曲で、曲名を知らなくても聞き覚えのある方は多いのではないでしょうか?
I.G.Yとは、International Geophysical Year、つまり国際気象年の頭文字を取ったもので、高度に科学技術が進化し、人類のために自然環境を変えてしまう事が本当に幸せで素晴らしいことなのか?
それを
“What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free”と問いている皮肉交じりの名曲です
(ほろ酔いの時に、このフレーズをよく口ずさんでいる僕がいますw)
で、今回、藤井東大総長が引用されていたのは、この歌詞を踏まえたうえで…
①自分で情報を集める技術・方法を身に着ける事
②データの背後にある、見えていない現実を感じるセンスを磨いてほしい
③ビックデータに影響されることなく、自分のセンスをベースに未来を見据えて欲しい
その上で・・・
たとえ世界がどんなに大変な状況にあったとしても、決して未来への希望を失わないでほしいと思います。そして諦めないで、これからも学び続けていただきたいと思います。世界中の誰もが先ほど触れたようなセンスを磨いていけば、前に紹介した私が好きな歌に込められていた「皮肉」を乗り越え、実感とともに
“What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free”
と歌えるでしょう。この歌詞がみなさんの声で、素直に歌われる日が来ることを願っています。 みなさんのこれからの活躍を、大いに期待しています。修了、誠におめでとうございます。(上記、斜文・赤字はスピーチから引用)
いや、痺れました、本当に。
お弁当屋さんをやっていると、インターネットでどういう商品、サービスを提供、アピールするか、つまりwebマーケティングの思考に陥りがちなのですが、本当に大切なのは、そのお弁当を食べて頂くお客様の顔、シチュエーションをいつでも想像できているか?という事。基本の基を、まさかI.G.Yを通じて、東大総長が語られるとは・・・
これはお弁当屋さんに限らず、経営者、人生にも言える事だと思うんです。
色んな情報を集めて、その情報の真偽を確認して、その上で自分で未来を考えて生きていく。とんでもなく拡大解釈をするならば、頭でっかちな生き方・考え方をするな!自分を含めた、人間関係にとって、何がベストか、そして、その状況を作るためにはどうすればいいのか?
それを体験から生まれたデータ、つまり経験を活かして、未来を描いて欲しい。
その未来のために、感性を磨き、常に学び続けることが必要。
まさに同感。本当にそう思います。
ネットや本で知識を得ることは大切。でも、本当に大切なのは、自分で体験して理解する事。つまり経験を積み、その上で、自分なりの価値観を持つこと。僕は、自分にとって何が嬉しい、大切、それを自分で知る事こそ、自分らしく生きる第1歩だと思っています。それを東大総長は見事に語ってくださっています。
知識ばかり多くなって、経験をしない、そんな人が多くなっている気がする、最近、僕、そう思っています。だからこそ、このスピーチが心に響きました。便利な事=決して幸せではない、ということを。東京大学なんて全然無縁の世界だと思っていましたが、ものすごく親近感を藤井総長のスピーチで感じました。やっぱり、人ありき、なんですよね。
名スピーチです。是非、ご覧頂ければと思います。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_12.html?fbclid=IwAR17wrwixq3tBOqbhTg3Zdd9AukVtfgW4bmyEdCMV1pbgHuqTT3XmqEdEdI
世間では統一地方選挙ですね。僕も自民党員なので、多少、政治に興味があり、先日、友人議員の演説会に参加してみました。彼の主張、とても腑に落ちる素晴らしい政策だと思います。是非、市政に活かしてもらいたいと思います。(この話は後刻、また)
実は、ちょっと前のニュースなのですが、こんなサイトを見つけました。
令和4年度 東京大学学位記授与式 総長告辞
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_12.html?fbclid=IwAR17wrwixq3tBOqbhTg3Zdd9AukVtfgW4bmyEdCMV1pbgHuqTT3XmqEdEdI
本ブログのタイトルを見て、‼と思われた方、多分、洋楽好きか、あるいは50代以上の方だと思うのですが…。この東大総長のスピーチに、なんと、Donald Fagenの名曲【I.G.Y】が引用されています。
この【I.G.Y】は、1982年に発表された名曲で、曲名を知らなくても聞き覚えのある方は多いのではないでしょうか?
I.G.Yとは、International Geophysical Year、つまり国際気象年の頭文字を取ったもので、高度に科学技術が進化し、人類のために自然環境を変えてしまう事が本当に幸せで素晴らしいことなのか?
それを
“What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free”と問いている皮肉交じりの名曲です
(ほろ酔いの時に、このフレーズをよく口ずさんでいる僕がいますw)
で、今回、藤井東大総長が引用されていたのは、この歌詞を踏まえたうえで…
①自分で情報を集める技術・方法を身に着ける事
②データの背後にある、見えていない現実を感じるセンスを磨いてほしい
③ビックデータに影響されることなく、自分のセンスをベースに未来を見据えて欲しい
その上で・・・
たとえ世界がどんなに大変な状況にあったとしても、決して未来への希望を失わないでほしいと思います。そして諦めないで、これからも学び続けていただきたいと思います。世界中の誰もが先ほど触れたようなセンスを磨いていけば、前に紹介した私が好きな歌に込められていた「皮肉」を乗り越え、実感とともに
“What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free”
と歌えるでしょう。この歌詞がみなさんの声で、素直に歌われる日が来ることを願っています。 みなさんのこれからの活躍を、大いに期待しています。修了、誠におめでとうございます。(上記、斜文・赤字はスピーチから引用)
いや、痺れました、本当に。
お弁当屋さんをやっていると、インターネットでどういう商品、サービスを提供、アピールするか、つまりwebマーケティングの思考に陥りがちなのですが、本当に大切なのは、そのお弁当を食べて頂くお客様の顔、シチュエーションをいつでも想像できているか?という事。基本の基を、まさかI.G.Yを通じて、東大総長が語られるとは・・・
これはお弁当屋さんに限らず、経営者、人生にも言える事だと思うんです。
色んな情報を集めて、その情報の真偽を確認して、その上で自分で未来を考えて生きていく。とんでもなく拡大解釈をするならば、頭でっかちな生き方・考え方をするな!自分を含めた、人間関係にとって、何がベストか、そして、その状況を作るためにはどうすればいいのか?
それを体験から生まれたデータ、つまり経験を活かして、未来を描いて欲しい。
その未来のために、感性を磨き、常に学び続けることが必要。
まさに同感。本当にそう思います。
ネットや本で知識を得ることは大切。でも、本当に大切なのは、自分で体験して理解する事。つまり経験を積み、その上で、自分なりの価値観を持つこと。僕は、自分にとって何が嬉しい、大切、それを自分で知る事こそ、自分らしく生きる第1歩だと思っています。それを東大総長は見事に語ってくださっています。
知識ばかり多くなって、経験をしない、そんな人が多くなっている気がする、最近、僕、そう思っています。だからこそ、このスピーチが心に響きました。便利な事=決して幸せではない、ということを。東京大学なんて全然無縁の世界だと思っていましたが、ものすごく親近感を藤井総長のスピーチで感じました。やっぱり、人ありき、なんですよね。
名スピーチです。是非、ご覧頂ければと思います。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_12.html?fbclid=IwAR17wrwixq3tBOqbhTg3Zdd9AukVtfgW4bmyEdCMV1pbgHuqTT3XmqEdEdI
2023年03月29日
【アラフィフの独り言】年齢を重ねる事って幸せな事だよね
3月29日㈬
今日は、本当に雑感を纏めたいと思います。ただ感じるままに。
ご存じの方、多いかもしれませんが、僕は月に2回ほど大阪出張しています。この出張は弊社「うお時のお弁当部門」ではなく「エリアコミュニケーション事業部」のお仕事として行っています。で、具体的に何をしているかというと、株式会社ハジメフーズという飲食関連企業のコンサルティング業務を行っています。それで、毎回、会議や臨店を通じて、社長以下、店長、バイトスタッフともコミュニケーションをとっています。一応、肩書も「社外取締役」という役職でお仕事をさせて頂いています。
それで、話は前後するのですが、以前にも書いたことがあると思うのですが、約20年前に株式会社プライム・リンクという会社に勤めていた時期があります。このプライム・リンクは、日本全国の有望な飲食店を見つけ、FC化し、全国に広げていく、そんな会社でした。そのため、1年近く大阪に住んでいたこともありました。この時、会社として携わっていた飲食ブランドはいくつかあるのですが、一番思い出に残っているのが「牛角」でした。オープン担当のマネージャーとして、加盟店様のオープン準備のため、10日間、新店にお邪魔し、スタッフ面接や教育、実際のオープンまでを1つのパックとして、文字通り、お店からお店に渡り歩く、そんな生活でした。そして、その後、採用担当になり、大阪在住から横浜に戻り、週に1~2回の大阪出張という生活を経験し、プライム・リンクを辞した後、実家である弊社に戻ってきました。
今回、ひょんなことがきっかけとなり、ハジメフーズの山元社長と出会い、ご一緒にお仕事をさせて頂くことになりました。考えてみれば、大阪の企業様。しかも、20年ぶりに飲食店舗の現場に携わる事になったわけですが…
ある種のデジャブ感を感じています。そういえば、昔も同じような事で悩んでいたよな、とか、同じような事を言ってたよな、とか。
あの時と一緒かも…みたいな。
(ハジメフーズ会議風景。若い店長陣なので、すごい刺激をもらっています)
この20年間、ずっとそばに居続けてくれた人もいる。
もう会えないと思っていたけれど、20年間で再会できた人もいる。
そして、この20年間の経験を必要としてくれる人がいる。
確実に、20年間、いや少なくとも、この数年で僕の人生は激変したと思っています。でも、そのような方々に出会ってしまうと、なんだか恥ずかしいような嬉しいような、そして刺激を与えあうような、そんな空気感を感じてしまうから不思議なんです。
多分、僕が一番変わったこと、それは「決断と頑固さ」だと思います。サラリーマンを辞してから、決めたことをやり切る事、悩んでいることを決断する事、それを是として過ごしてきました。それこそ独裁者並みに。w でも未熟だったから、独りよがり、全然周囲に伝わらなかったことも多かったです。でもブレちゃいけない、そう思っていたのは事実です。
ただし、それは鬱病になるまで。鬱病の時は、本当に自分で何も決められなくなって…朝出かけるときに着ていく服、晩御飯のメニュー、スーパーでの買い物、すべてが息苦しくて何も決められなかった。イライラしてた。でも、今思えば、そんなときにでも、「ちょっと手伝ってほしい」とか「相談のってくれる」なんて声をかけられると、その時はものすごく楽しかった記憶があります。不思議ですよね、自分の事を自分で決められないくせに、人に頼まれると、全然苦じゃなくむしろ楽しい。ある種の現実逃避だったのかもしれません。
でも、考えてみると、昔から、僕、そんな奴だった気がします。
ただ、人との距離感や、伝え方が少し変わっただけで。
目の前にいる人に喜んでもらいたい、それだけしか考えられない人間だから。
自分の本質は変えられない。だけど、意識は変えられる。そうすれば思考や行動が変わり、結果が変わる。
ありたい自分の姿、周囲に映る自分の姿を意識できれば。
僕の場合は、「自分ひとりじゃどうにもならん、誰かに助けてもらわなきゃ死ぬ」から、意識が変わったと思います。その意識変化が、僕の生活・生き方を変えたのだと思います。頼られることが好きなら、自分が頼ってもいいんじゃないか、って。
20年ぶりに再会した元直属の上司がいて、再会直後は「キヨは変わらないなぁ~」と言われるのに、「別れ際には、全然変わったなぁ。大人になったなぁ」なんて言われたり。別の元上役からも「立場が人を作るんだね、成長したね」と言われたり。
先日も、1年ぶりにお逢いした、企業経営の大先輩に「まさか、清ちゃんとこんな話が出来るようになるとは思わなかったよ!」と。
50歳近くになって、自分で考え、決断し、行動が出来る。確かに誰かが僕を守ってくれるわけではないので、その人生はシンドイと言えばシンドイです。でも、それだけ、自分がどうすればいいのか、常に考えて時間を過ごせるというのは、なんと幸運なんだろうと。その分、きっと学びが多いはずだから。そして、そんな生き方を通じて学んだ経験を必要としてくれる方々がいて、その方々の苦しみや喜びを共有できる現実って、なんて幸せなんだろう、そう思います。まさに幸せのスパイラルですね。
でも、その分、心にとげのように引っかかっていることがあります。
鬱病を患っているときに、ご迷惑をかけ、傷つけ、不快な思いをされて離れていった皆さんに嫌な思いをさせてしまった事です。正直、なんと表現していいのか、いまだに言葉が浮かびません。本当に申し訳ない、それだけじゃ不十分なのはよくわかっているのですが。どうお詫びをすればいいのか、全く見当もつきません。
でも、経験上、僕は運命論者ではないですが、これだけは言えます。
再会できる人には再会できるし、出来ない人との思い出は死ぬまで胸の中に残り続けるという事を。
もし再会することがあれば、その方が望むような距離感、付き合いがまた出来たら、と思っています。
そのためには、もっともっと自分を高めなきゃ。嫌な思いをさせてしまった分、より自分が成長して、その方のために出来ることを考え、行動できるような人間にならなきゃ、と。無論、相手が何を望んでいるかを考えたうえで。
歳をとる、という事は、しんどいことも多々ありますが・・・・
でも等身大の自分でいれば、歳をとった分、いろんな事を学び、経験できる。
歳を重ねるって、本当に幸せだな、と痛感しています。そして、いつかの再会を期待している自分がいます。甘い、と言われるかもしれないけれど。
清高、まだまだです。
今日は、本当に雑感を纏めたいと思います。ただ感じるままに。
ご存じの方、多いかもしれませんが、僕は月に2回ほど大阪出張しています。この出張は弊社「うお時のお弁当部門」ではなく「エリアコミュニケーション事業部」のお仕事として行っています。で、具体的に何をしているかというと、株式会社ハジメフーズという飲食関連企業のコンサルティング業務を行っています。それで、毎回、会議や臨店を通じて、社長以下、店長、バイトスタッフともコミュニケーションをとっています。一応、肩書も「社外取締役」という役職でお仕事をさせて頂いています。
それで、話は前後するのですが、以前にも書いたことがあると思うのですが、約20年前に株式会社プライム・リンクという会社に勤めていた時期があります。このプライム・リンクは、日本全国の有望な飲食店を見つけ、FC化し、全国に広げていく、そんな会社でした。そのため、1年近く大阪に住んでいたこともありました。この時、会社として携わっていた飲食ブランドはいくつかあるのですが、一番思い出に残っているのが「牛角」でした。オープン担当のマネージャーとして、加盟店様のオープン準備のため、10日間、新店にお邪魔し、スタッフ面接や教育、実際のオープンまでを1つのパックとして、文字通り、お店からお店に渡り歩く、そんな生活でした。そして、その後、採用担当になり、大阪在住から横浜に戻り、週に1~2回の大阪出張という生活を経験し、プライム・リンクを辞した後、実家である弊社に戻ってきました。
今回、ひょんなことがきっかけとなり、ハジメフーズの山元社長と出会い、ご一緒にお仕事をさせて頂くことになりました。考えてみれば、大阪の企業様。しかも、20年ぶりに飲食店舗の現場に携わる事になったわけですが…
ある種のデジャブ感を感じています。そういえば、昔も同じような事で悩んでいたよな、とか、同じような事を言ってたよな、とか。
あの時と一緒かも…みたいな。
(ハジメフーズ会議風景。若い店長陣なので、すごい刺激をもらっています)
この20年間、ずっとそばに居続けてくれた人もいる。
もう会えないと思っていたけれど、20年間で再会できた人もいる。
そして、この20年間の経験を必要としてくれる人がいる。
確実に、20年間、いや少なくとも、この数年で僕の人生は激変したと思っています。でも、そのような方々に出会ってしまうと、なんだか恥ずかしいような嬉しいような、そして刺激を与えあうような、そんな空気感を感じてしまうから不思議なんです。
多分、僕が一番変わったこと、それは「決断と頑固さ」だと思います。サラリーマンを辞してから、決めたことをやり切る事、悩んでいることを決断する事、それを是として過ごしてきました。それこそ独裁者並みに。w でも未熟だったから、独りよがり、全然周囲に伝わらなかったことも多かったです。でもブレちゃいけない、そう思っていたのは事実です。
ただし、それは鬱病になるまで。鬱病の時は、本当に自分で何も決められなくなって…朝出かけるときに着ていく服、晩御飯のメニュー、スーパーでの買い物、すべてが息苦しくて何も決められなかった。イライラしてた。でも、今思えば、そんなときにでも、「ちょっと手伝ってほしい」とか「相談のってくれる」なんて声をかけられると、その時はものすごく楽しかった記憶があります。不思議ですよね、自分の事を自分で決められないくせに、人に頼まれると、全然苦じゃなくむしろ楽しい。ある種の現実逃避だったのかもしれません。
でも、考えてみると、昔から、僕、そんな奴だった気がします。
ただ、人との距離感や、伝え方が少し変わっただけで。
目の前にいる人に喜んでもらいたい、それだけしか考えられない人間だから。
自分の本質は変えられない。だけど、意識は変えられる。そうすれば思考や行動が変わり、結果が変わる。
ありたい自分の姿、周囲に映る自分の姿を意識できれば。
僕の場合は、「自分ひとりじゃどうにもならん、誰かに助けてもらわなきゃ死ぬ」から、意識が変わったと思います。その意識変化が、僕の生活・生き方を変えたのだと思います。頼られることが好きなら、自分が頼ってもいいんじゃないか、って。
20年ぶりに再会した元直属の上司がいて、再会直後は「キヨは変わらないなぁ~」と言われるのに、「別れ際には、全然変わったなぁ。大人になったなぁ」なんて言われたり。別の元上役からも「立場が人を作るんだね、成長したね」と言われたり。
先日も、1年ぶりにお逢いした、企業経営の大先輩に「まさか、清ちゃんとこんな話が出来るようになるとは思わなかったよ!」と。
50歳近くになって、自分で考え、決断し、行動が出来る。確かに誰かが僕を守ってくれるわけではないので、その人生はシンドイと言えばシンドイです。でも、それだけ、自分がどうすればいいのか、常に考えて時間を過ごせるというのは、なんと幸運なんだろうと。その分、きっと学びが多いはずだから。そして、そんな生き方を通じて学んだ経験を必要としてくれる方々がいて、その方々の苦しみや喜びを共有できる現実って、なんて幸せなんだろう、そう思います。まさに幸せのスパイラルですね。
でも、その分、心にとげのように引っかかっていることがあります。
鬱病を患っているときに、ご迷惑をかけ、傷つけ、不快な思いをされて離れていった皆さんに嫌な思いをさせてしまった事です。正直、なんと表現していいのか、いまだに言葉が浮かびません。本当に申し訳ない、それだけじゃ不十分なのはよくわかっているのですが。どうお詫びをすればいいのか、全く見当もつきません。
でも、経験上、僕は運命論者ではないですが、これだけは言えます。
再会できる人には再会できるし、出来ない人との思い出は死ぬまで胸の中に残り続けるという事を。
もし再会することがあれば、その方が望むような距離感、付き合いがまた出来たら、と思っています。
そのためには、もっともっと自分を高めなきゃ。嫌な思いをさせてしまった分、より自分が成長して、その方のために出来ることを考え、行動できるような人間にならなきゃ、と。無論、相手が何を望んでいるかを考えたうえで。
歳をとる、という事は、しんどいことも多々ありますが・・・・
でも等身大の自分でいれば、歳をとった分、いろんな事を学び、経験できる。
歳を重ねるって、本当に幸せだな、と痛感しています。そして、いつかの再会を期待している自分がいます。甘い、と言われるかもしれないけれど。
清高、まだまだです。
2023年03月26日
【目撃者】ガジュマルは見ている!w
3月26日(日)
午後、帰宅出来たのでホームセンターに珍しく立ち寄り。
で、何を購入しに行ったかというと、なんと園芸用品です。
実は別居を期に、1人暮らしに戻った際に、なんとなく部屋が殺風景に感じたので、僕の身長(170cm)ぐらいあるガジュマルの木を購入して部屋に飾っているんです。ガジュマルを選んだのは…
①ガジュマル、育てやすいってオススメして頂いたから
②結婚生活を通じて沖縄が大好きになったから
③ペットを飼う自信がなかったので、観葉植物でも育ててみようかな、と思ったから
そういえば、この木を自宅まで運ぶのに、愛車ビートルの幌を開けて、無理くり積んで来たっけ。あれ、信号に止まる度にみなさんに見られて恥ずかしかったな。でも今となれば、あれも良い思い出です。w
で、肝心のガジュマル君、ここ数か月、あんまり元気がなくなってきてて。葉っぱが落ちるのは季節柄仕方ないのですが、新芽が出て来なくて。調べてみたら、どうも根腐りしているようで。解決策としては、大きい鉢に移し変える必要との事。本来であれば春先~梅雨ぐらいの期間に移し替えるのがベストらしいのだけど、流石にそこまで持たないんじゃないか、と。
で、決断しました。
園芸、土いじりなんてした事無いですが、ガジュマル君は唯一の同居人なので、長生きしてもらわなきゃ困るので。
鉢と受け皿、軽石、軽石を包むネット、観葉植物用の土、軍手、スコップ、新聞紙。なんせ身長が高いですから、鉢の直径は35cm、深さもそこそこ。かなり重い。スタッフさんに伺ったところ、この鉢、基本的に室外用らしいです。
それらを車に積み、自宅まで。お弁当屋さんの車なので台車をいつも積んでいて本当に良かった。w
そして、お家でベランダに新聞紙を敷いて初園芸。今までの鉢が小さかった、というより育ちすぎたのか、抜き取る作業だけで約15分。そこから、新しい鉢に、ネットで包んだ軽石を底にひき、購入して来た土を軽く乗せ、そこにガジュマル君を移植。前の鉢から抜いた土と、残りの土を混ぜて鉢に加えて。ただ、結構なサイズなので、なかなか直立出ず、スコップで刺しては土を混ぜの作業を繰り返して完成。多分、20分ぐらやっていたんじゃないかな。そして最後に、たっぷりのお水を注いで、作業していたベランダを片付けて作業終了。農家の皆さんは本当に大変だな、と痛感。
ガジュマル君、元気になってくれると良いのですが。
で、感じたことなんですが・・・
器、つまりキャパって大切だな、と。放っておいたら、ウチのガジュマル君みたいに根が詰まり、成長が止まり、衰弱してしまう。
だからこそ、どこかのタイミングで鉢を変えてあげないと、順調に育ってくれない。これって、人生と同じことなんじゃないか、と毎日水を差し、タイミングをみて鉢を植え替えないと、元気に育ってくれない。言い換えれば、毎日積み重ねたことを、どこかのタイミングで活かしたり、その先の事を考えてアクションしないと、成長していかない。まさに人生そのものなんじゃないかな、って。
もっと成長したいから、日々出来る事を続け、チャンスを活かさなきゃ成長は止まってしまう。つまり同じ日は決してなく、そこに満足していたら僕自身も根腐れしちゃう。逆に、チャンスを活かし、さらなる経験を積んでいければ、自分の器・キャパシティーを広げることになる。初めて植え替え、移し替えっていう行為をしてみて、そんな風に感じました。
当たり前の日常の中に、色々な気づきとチャンスがあり、チャレンジできる可能性がある。それを活かすも殺すも自分次第。
忙しさにかまけて、ガジュマル君、構ってあげれなくてごめんね。でも大切な事を教えてもらえたよ。本当にありがとう。
今度時間が出来たら…今の家に住み始めて2年半。大分、荷物が増えたので収納を整備しようと思っています。さてさて、何を感じるか、とても楽しみです。
日々の中に学びがある。
清高、まだまだです。
(今までの倍くらいの、大きな鉢になりました。ガジュマル君がもし言葉を話せたら…いろんなことを暴露されそうでマジで怖いですw)
午後、帰宅出来たのでホームセンターに珍しく立ち寄り。
で、何を購入しに行ったかというと、なんと園芸用品です。
実は別居を期に、1人暮らしに戻った際に、なんとなく部屋が殺風景に感じたので、僕の身長(170cm)ぐらいあるガジュマルの木を購入して部屋に飾っているんです。ガジュマルを選んだのは…
①ガジュマル、育てやすいってオススメして頂いたから
②結婚生活を通じて沖縄が大好きになったから
③ペットを飼う自信がなかったので、観葉植物でも育ててみようかな、と思ったから
そういえば、この木を自宅まで運ぶのに、愛車ビートルの幌を開けて、無理くり積んで来たっけ。あれ、信号に止まる度にみなさんに見られて恥ずかしかったな。でも今となれば、あれも良い思い出です。w
で、肝心のガジュマル君、ここ数か月、あんまり元気がなくなってきてて。葉っぱが落ちるのは季節柄仕方ないのですが、新芽が出て来なくて。調べてみたら、どうも根腐りしているようで。解決策としては、大きい鉢に移し変える必要との事。本来であれば春先~梅雨ぐらいの期間に移し替えるのがベストらしいのだけど、流石にそこまで持たないんじゃないか、と。
で、決断しました。
園芸、土いじりなんてした事無いですが、ガジュマル君は唯一の同居人なので、長生きしてもらわなきゃ困るので。
鉢と受け皿、軽石、軽石を包むネット、観葉植物用の土、軍手、スコップ、新聞紙。なんせ身長が高いですから、鉢の直径は35cm、深さもそこそこ。かなり重い。スタッフさんに伺ったところ、この鉢、基本的に室外用らしいです。
それらを車に積み、自宅まで。お弁当屋さんの車なので台車をいつも積んでいて本当に良かった。w
そして、お家でベランダに新聞紙を敷いて初園芸。今までの鉢が小さかった、というより育ちすぎたのか、抜き取る作業だけで約15分。そこから、新しい鉢に、ネットで包んだ軽石を底にひき、購入して来た土を軽く乗せ、そこにガジュマル君を移植。前の鉢から抜いた土と、残りの土を混ぜて鉢に加えて。ただ、結構なサイズなので、なかなか直立出ず、スコップで刺しては土を混ぜの作業を繰り返して完成。多分、20分ぐらやっていたんじゃないかな。そして最後に、たっぷりのお水を注いで、作業していたベランダを片付けて作業終了。農家の皆さんは本当に大変だな、と痛感。
ガジュマル君、元気になってくれると良いのですが。
で、感じたことなんですが・・・
器、つまりキャパって大切だな、と。放っておいたら、ウチのガジュマル君みたいに根が詰まり、成長が止まり、衰弱してしまう。
だからこそ、どこかのタイミングで鉢を変えてあげないと、順調に育ってくれない。これって、人生と同じことなんじゃないか、と毎日水を差し、タイミングをみて鉢を植え替えないと、元気に育ってくれない。言い換えれば、毎日積み重ねたことを、どこかのタイミングで活かしたり、その先の事を考えてアクションしないと、成長していかない。まさに人生そのものなんじゃないかな、って。
もっと成長したいから、日々出来る事を続け、チャンスを活かさなきゃ成長は止まってしまう。つまり同じ日は決してなく、そこに満足していたら僕自身も根腐れしちゃう。逆に、チャンスを活かし、さらなる経験を積んでいければ、自分の器・キャパシティーを広げることになる。初めて植え替え、移し替えっていう行為をしてみて、そんな風に感じました。
当たり前の日常の中に、色々な気づきとチャンスがあり、チャレンジできる可能性がある。それを活かすも殺すも自分次第。
忙しさにかまけて、ガジュマル君、構ってあげれなくてごめんね。でも大切な事を教えてもらえたよ。本当にありがとう。
今度時間が出来たら…今の家に住み始めて2年半。大分、荷物が増えたので収納を整備しようと思っています。さてさて、何を感じるか、とても楽しみです。
日々の中に学びがある。
清高、まだまだです。
(今までの倍くらいの、大きな鉢になりました。ガジュマル君がもし言葉を話せたら…いろんなことを暴露されそうでマジで怖いですw)
2023年03月21日
【reminiscence】 Black is beautifulだった時代
3月21日㈫
昨晩、久々にピザを食べに行きました。多分、ピザ屋さんに行ったのは、もう3~4年前。僕にとってピザはちょっと特別な食べ物で、なんとなく1人で食べたくないというか、みんなでワイワイ食べたいというか、そういう食べ物なんです。何故かというと、僕の社会人としてのキャリアスタートはピザーラ本部からだったから。研修が終わり、日吉店に配属され、金・土・日は本当に忙しくて、それこそ1日100枚とか平気で焼いていました。デリバリーに伺うと、お客様がピザをお待ちになってて、お子様がいるお宅だったりすると、もう大騒ぎで。だから、ピザって楽しい商品って思いが強いんです。だから、デリバリーピザ屋さんの元店長なのに、どうしても1人で取って食べるというのが、つまらない、寂しく感じてしまう…まぁ、そんな特別な食べ物なんです。なので、別居・離婚以来、恐らくコロナで自宅療養中に頼んだ1回ぐらいしかピザを食べてなかった、そんな気がします。
前置きが長くなってしまいましたが、数日前に、こんなニュースを読みました。
シカゴピザが自己破産へ 負債15億円、西日本中心に70店舗
https://www.sankei.com/article/20230314-MWDWZW32DJMAXMOPP6YSXERY5M/
僕が店長をやっていた、約25年前、シカゴさんは横浜にも店舗がありました。何度か食べた記憶がります。
ショックだったのは、コロナ渦で弊社も含めて、デリバリー需要が増えている中で、この老舗チェーンが自己破産に追い込まれたこと。記事を読んでいたら、ゴーストキッチン化していたのかな、様々なブランドを展開されていたようで、多分、そこでコストコントロール等が出来てなかったのかな、と勝手に推測しています。(あくまでも、僕の私感なので、お許しを)
で、この記事を読んで思った事、いや思い出したこと。
ピザーラの店長時代は本当によく働いていたなって。w 週1日のお休み、通常は14時出勤で営業終了とデスクワークを片付けると25時くらいまで勤務。ただし土日のいずれかは、朝9時に出社して、やはりラストまで。毎週、日々の売上計画を立て、そこからアルバイトのシフトを組み、新商品やイベント等を告知するチラシの発注と配布エリア・時期を考えたり。無論、ピークタイムにはコールドテーブルの前に立ったり、オーブンの出口でピザをカットしたり、時間が厳しい時にはデリバリーに行ったり。。事故やトラブルがあればいつでも店舗、あるいは社宅から現場に直行みたいな。そんな生活を2年ちょっと経験しました。
今なら完全にblack企業。w
でも、あの頃やっていたことが、全て、今の僕に繋がっている、活きているから不思議。
お弁当屋さんの商品開発、シフト管理、販促(今は紙ではなくインターネットになっちゃいましたけど)立案、エリアマーケティング、他社との差別化…これらの基礎は全て、ピザーラで学んだこと。しかも、今は、それをレクチャーする側になっているから、人生は面白い。
大きい声では言えませんが、僕にとってピザーラ時代は、Belle Epoque!
そして、Black is beautiful だった時代。今は胸を張って言えるから不思議なものです。
望むと望まずとも、人生には縁がある。その縁を活かすか、あきらめるかは自分次第。でも、あの時入社を決めて、大卒2か月後に店長となり責任を与えられ、日々、シンドイ生活を経験できたからこそ、今の僕がある。無論、あの頃は、今のようになるなんて思ってなかったけど。でも、その縁だけはある意味平等な気がする。
久々にピザを食べに行って、そんなことを思いながら深酒した夜。
これからもきっと色々なご縁が僕を待っているはず。成功するか失敗するか分からないけれど、まずはチャレンジしなきゃ。失敗を恐れたり、失敗を活かせず同じような失敗ばっかり繰り返してたら、本当に貴重な時間、人生を無駄にしてしまうんじゃないか、と。
そんな生き方だけはしたくない、本当にそう思います。
人生はまだまだ続く。だからこそ、今までの自分が経験していたことをちゃんと生かして、更なる高みを目指さなきゃ。
清高、まだまだです。
(関内某所にある、超絶うまさのピザ屋さん。店名は内緒です。)
昨晩、久々にピザを食べに行きました。多分、ピザ屋さんに行ったのは、もう3~4年前。僕にとってピザはちょっと特別な食べ物で、なんとなく1人で食べたくないというか、みんなでワイワイ食べたいというか、そういう食べ物なんです。何故かというと、僕の社会人としてのキャリアスタートはピザーラ本部からだったから。研修が終わり、日吉店に配属され、金・土・日は本当に忙しくて、それこそ1日100枚とか平気で焼いていました。デリバリーに伺うと、お客様がピザをお待ちになってて、お子様がいるお宅だったりすると、もう大騒ぎで。だから、ピザって楽しい商品って思いが強いんです。だから、デリバリーピザ屋さんの元店長なのに、どうしても1人で取って食べるというのが、つまらない、寂しく感じてしまう…まぁ、そんな特別な食べ物なんです。なので、別居・離婚以来、恐らくコロナで自宅療養中に頼んだ1回ぐらいしかピザを食べてなかった、そんな気がします。
前置きが長くなってしまいましたが、数日前に、こんなニュースを読みました。
シカゴピザが自己破産へ 負債15億円、西日本中心に70店舗
https://www.sankei.com/article/20230314-MWDWZW32DJMAXMOPP6YSXERY5M/
僕が店長をやっていた、約25年前、シカゴさんは横浜にも店舗がありました。何度か食べた記憶がります。
ショックだったのは、コロナ渦で弊社も含めて、デリバリー需要が増えている中で、この老舗チェーンが自己破産に追い込まれたこと。記事を読んでいたら、ゴーストキッチン化していたのかな、様々なブランドを展開されていたようで、多分、そこでコストコントロール等が出来てなかったのかな、と勝手に推測しています。(あくまでも、僕の私感なので、お許しを)
で、この記事を読んで思った事、いや思い出したこと。
ピザーラの店長時代は本当によく働いていたなって。w 週1日のお休み、通常は14時出勤で営業終了とデスクワークを片付けると25時くらいまで勤務。ただし土日のいずれかは、朝9時に出社して、やはりラストまで。毎週、日々の売上計画を立て、そこからアルバイトのシフトを組み、新商品やイベント等を告知するチラシの発注と配布エリア・時期を考えたり。無論、ピークタイムにはコールドテーブルの前に立ったり、オーブンの出口でピザをカットしたり、時間が厳しい時にはデリバリーに行ったり。。事故やトラブルがあればいつでも店舗、あるいは社宅から現場に直行みたいな。そんな生活を2年ちょっと経験しました。
今なら完全にblack企業。w
でも、あの頃やっていたことが、全て、今の僕に繋がっている、活きているから不思議。
お弁当屋さんの商品開発、シフト管理、販促(今は紙ではなくインターネットになっちゃいましたけど)立案、エリアマーケティング、他社との差別化…これらの基礎は全て、ピザーラで学んだこと。しかも、今は、それをレクチャーする側になっているから、人生は面白い。
大きい声では言えませんが、僕にとってピザーラ時代は、Belle Epoque!
そして、Black is beautiful だった時代。今は胸を張って言えるから不思議なものです。
望むと望まずとも、人生には縁がある。その縁を活かすか、あきらめるかは自分次第。でも、あの時入社を決めて、大卒2か月後に店長となり責任を与えられ、日々、シンドイ生活を経験できたからこそ、今の僕がある。無論、あの頃は、今のようになるなんて思ってなかったけど。でも、その縁だけはある意味平等な気がする。
久々にピザを食べに行って、そんなことを思いながら深酒した夜。
これからもきっと色々なご縁が僕を待っているはず。成功するか失敗するか分からないけれど、まずはチャレンジしなきゃ。失敗を恐れたり、失敗を活かせず同じような失敗ばっかり繰り返してたら、本当に貴重な時間、人生を無駄にしてしまうんじゃないか、と。
そんな生き方だけはしたくない、本当にそう思います。
人生はまだまだ続く。だからこそ、今までの自分が経験していたことをちゃんと生かして、更なる高みを目指さなきゃ。
清高、まだまだです。
(関内某所にある、超絶うまさのピザ屋さん。店名は内緒です。)
2023年03月03日
【楠みちはる先生】漫画と言えども、もはや哲学書。
3月3日㈮ 何故か国立競技場近くの車中にて、このブログを書いています。w
まぁ、早く着きすぎて、アポまで時間があるからなのですが。w
先日、本屋さんに行ってみると、楠みちはる先生の「首都高SPL」の最新刊が発売されていたので早速、購入。
楠みちはる先生の作品を最初に読んだのはいつだったのだろう?多分、小学生?「あいつとララバイ」から始まり、「湾岸ミッドナイト」(これが20年近く連載されていたんじゃないかな?)、そしてその派生の「C1ライナー」を経て、「首都高SPL」に。というとは、40年近く愛読している漫画家の先生という事になりますね。(笑)
タイトルからしてお分かりのように、基本、「クルマを題材にした人間模様を描いた作品」です。しかもチューナーだったり、夜中に公道を爆走している人たちを描いた漫画なので、基本、アンダーグランドなんです。なので、クルマに興味のない方には、全く関心を持てない作品群かもしれません。
しかし、読んでみればわかるんですが、もの凄く名言が詰まっています。例えば最新作だと・・・・
「ムダ振りと空振りの違い…分かるか?
出来ない理由を時間をかけて探し出したり、意味の無い会議を難しい言葉でそれらしくしたり、それがムダ振り。ボールを見ず、本質を見ずただ振るだけ。対して空振りはボールを見て当てにゆく。似たように見えても2つは全然違う…ムダ振りは人の気持ちを削ぐ、空振りは削がない。空振りでいい、やろうよ」
「偉い人にねモノを頼むのは難しいんだよ。偉い人にはいろんな人が寄ってくるから、ソコで初めて頼みに行っても、まず無理。(つまり…偉くなる前にコネを作っておくわけですか?その見極めは?) そんなのわからないよ。神様じゃないし誰が偉くなるかなんて。やっぱり縁なのかな、人を選んで出逢おうとしても無理なんだよ」
「指図とアドバイス、バカはその違いがわからない。指図は命令だから聞きたくない。でもアドバイスは聞かなければいけない。アドバイスは助言そして忠告。心から相手のコトを思っている言葉だから」(でも、言っている本人はバカだから、それが出来ないんだ)
「いろいろ考えてオレは2つのコトに気づいたのよ。(ふたつ?)「悪いことはしない」「人の気持ちになって考える」だ。(小学生ですかー)コレが意外と真理なのよ。例えばいいコトって意外と難しい。お前、道に落ちているゴミ拾っているか?案外できないだろ。でも捨てないコトは出来るだろ。それが「悪いことをしない」よ。「人の気持ちになって考える」コレもまた難しいのよ。(それはやってます、意外と)そうかナ、まず自分が先じゃないか?ほとんどの者は自分の立場からモノを言う。自分の立場が先にあって相手は後だろ。相手の気持ちを先、それは無理でもじぶんと相手は必ず同じ位置に。寺田にはあったよ、そーゆーあたり前のコトが。悪いコトはしない、人の気持ちになって考える。70過ぎの小学生だ。イヤんなるよ。」(注:寺田とは過去に裏切られ、再会した元部下の事)
「だってほら、その方がカッコいいだろ。バカはバカなり、考えなきゃダメよー」
1冊、187Pの中に、これだけの言葉が詰まってる。もはや、僕にとっては哲学書のような作品。一見すると当たり前のようなことを、ここまで深く感じ、学ばせてくれる楠先生の作品って素晴らしいと思います。作風のちょっと男臭さも、登場人物の不器用な感じも含めて。
ご興味のある方はぜひ。
清高、結構、学ばせて頂いています。骨身にしみている感じもします。
まぁ、早く着きすぎて、アポまで時間があるからなのですが。w
先日、本屋さんに行ってみると、楠みちはる先生の「首都高SPL」の最新刊が発売されていたので早速、購入。
楠みちはる先生の作品を最初に読んだのはいつだったのだろう?多分、小学生?「あいつとララバイ」から始まり、「湾岸ミッドナイト」(これが20年近く連載されていたんじゃないかな?)、そしてその派生の「C1ライナー」を経て、「首都高SPL」に。というとは、40年近く愛読している漫画家の先生という事になりますね。(笑)
タイトルからしてお分かりのように、基本、「クルマを題材にした人間模様を描いた作品」です。しかもチューナーだったり、夜中に公道を爆走している人たちを描いた漫画なので、基本、アンダーグランドなんです。なので、クルマに興味のない方には、全く関心を持てない作品群かもしれません。
しかし、読んでみればわかるんですが、もの凄く名言が詰まっています。例えば最新作だと・・・・
「ムダ振りと空振りの違い…分かるか?
出来ない理由を時間をかけて探し出したり、意味の無い会議を難しい言葉でそれらしくしたり、それがムダ振り。ボールを見ず、本質を見ずただ振るだけ。対して空振りはボールを見て当てにゆく。似たように見えても2つは全然違う…ムダ振りは人の気持ちを削ぐ、空振りは削がない。空振りでいい、やろうよ」
「偉い人にねモノを頼むのは難しいんだよ。偉い人にはいろんな人が寄ってくるから、ソコで初めて頼みに行っても、まず無理。(つまり…偉くなる前にコネを作っておくわけですか?その見極めは?) そんなのわからないよ。神様じゃないし誰が偉くなるかなんて。やっぱり縁なのかな、人を選んで出逢おうとしても無理なんだよ」
「指図とアドバイス、バカはその違いがわからない。指図は命令だから聞きたくない。でもアドバイスは聞かなければいけない。アドバイスは助言そして忠告。心から相手のコトを思っている言葉だから」(でも、言っている本人はバカだから、それが出来ないんだ)
「いろいろ考えてオレは2つのコトに気づいたのよ。(ふたつ?)「悪いことはしない」「人の気持ちになって考える」だ。(小学生ですかー)コレが意外と真理なのよ。例えばいいコトって意外と難しい。お前、道に落ちているゴミ拾っているか?案外できないだろ。でも捨てないコトは出来るだろ。それが「悪いことをしない」よ。「人の気持ちになって考える」コレもまた難しいのよ。(それはやってます、意外と)そうかナ、まず自分が先じゃないか?ほとんどの者は自分の立場からモノを言う。自分の立場が先にあって相手は後だろ。相手の気持ちを先、それは無理でもじぶんと相手は必ず同じ位置に。寺田にはあったよ、そーゆーあたり前のコトが。悪いコトはしない、人の気持ちになって考える。70過ぎの小学生だ。イヤんなるよ。」(注:寺田とは過去に裏切られ、再会した元部下の事)
「だってほら、その方がカッコいいだろ。バカはバカなり、考えなきゃダメよー」
1冊、187Pの中に、これだけの言葉が詰まってる。もはや、僕にとっては哲学書のような作品。一見すると当たり前のようなことを、ここまで深く感じ、学ばせてくれる楠先生の作品って素晴らしいと思います。作風のちょっと男臭さも、登場人物の不器用な感じも含めて。
ご興味のある方はぜひ。
清高、結構、学ばせて頂いています。骨身にしみている感じもします。