2023年02月25日
【実家ルール違いで夫婦喧嘩】僕が鬱病から学んだこと
2月25日㈯ 出社して、デスクワークをひと段落したのでニュースサイトを見ていたら、こんな記事をみつけました。
「洗濯物は裏返し」「年越しはざるそば」…“実家ルール”違いで夫婦げんか 勃発させないための予防策
タイトルをみて、「うんうん」と思ってので、読み進めてみました。僕自身が離婚経験者なので、一瞬で頭の中にいろいろなことが浮かんだわけです。それを今回まとめてみようかと思ってます。長くなったら、ごめんなさい。
人は「100人いればみんな違う」。実は、これって頭の中ではわかってるんですが、自分との関係が近く(濃く)なると、そう思えなくなることって多くないですか?例えば、「こんな感じでお願い」とか、「こういう風にするだろうな」、あるいは「普通はこうだろう」、「これやったら、喜んでくれるかな?」とか・・・でも、大概の場合、それじゃ通じないことが多いと思いません?それで最悪、けんかになったり…
僕に親しい人は良くご存じの話なのですが、僕はちょっと不思議な家族・環境で育っています。いい意味でも、悪い意味でも。
実は、僕の祖母と叔母は、とある宗教の熱心な信者で事あることに教会に行き、教祖様にお伺いを立てる、そんな2人です。別にそれ自体は、信教の自由ですし、とやかく言うつもりはありません。ただ、子供の頃から、「なんで自分で決められないのだろう?」って感じていたのは事実です。まぁ、良いことも悪いことも「お告げ」次第なわけですから。。子供心に何故?と思う事が多かったですし。理解できないから、とことん戦う、反抗心ばかりの幼少期でしたね。w
それゆえ、僕が小学生の高学年の頃には、自分自身の事は自分で決める、良く言えば自尊心、悪く言えばうぬぼれ、が強いガキだったと思います。まぁ、それが好奇心に繋がり、いろんな事を経験できたから、結果オーライなのかもしれませんが。
なので、自分は自分という意識、特に会社を継いでからはその意識が凄く強かったと思います。僕が先頭に立って、考えたことをバリバリやって会社を再生、良くさせるぞ!みたいな。正直、18年前の僕は自分が正しい、「スクラップ&ビルド」、「叔母や両親とけんかしても、絶対に考えを譲らない」そんな人でした。そして結果をだせばスタッフがついてきてくれる、みたいな。
そして、それから数年して結婚しました。そして、7年近く結婚生活を過ごし、結果、離婚しました。
原因は、色々ありますが、一番の理由、それは僕自身にあったと思っています。
僕が「こう考えれば、きっとうまく行く」、「このやり方だったら大丈夫」、そんな過信が大きな失敗に繋がり、事業は危機を迎え、僕自身も鬱病になりました。自分自身の生き方を突き進んできたら、結局、何もかもうまく行かなくなり、死まで考えるようになってました。
この鬱病という病は非常に厄介で、僕の場合、常にイライラして自分でも何をしでかすかわからない感じで。実際、多くの人を傷つけてしまいました。そして、その傷つけている自分にも腹が立ち、最悪のスパイラル、もう自暴自棄になってしまう、本当に恐ろしい病気です。
離婚するまで、本当に長い時間を要しました。彼女への反省と後悔、そして自分自身の至らなさ、弱さを痛感して、もう何も考えられなくなってた、そんな感じです。寂しくって、辛くて、誰かに助けてもらいたくて…上手く表現できないくらい混沌とした無気力な精神状態。
そんな日々を過ごしていたころ、主治医にこんな風に言われました。
「もう、全部やめちぇえば良いじゃん。出来ないなら、全部やろうとせず、出来る人に渡してしまえばいいじゃん」って。
そこで初めて、「あぁ、もうこのまんなじゃどうにもならん」、って思えたんです。
そこから、社内では、各担当責任者を決めて、それぞれのリーダーと話をしながら形を纏めていく。社外では専門家に話を聞いたうえで、交渉や仕事を進めていく、そんなやり方をしてみようかなって。つまり1歩を踏み出せたんです。小さな1歩ですが。
一言でいえば、自分がしたいことをするために、どうやれば知恵や、労力をみんなが貸してくれるのかな?って考えるようになったんです。
つまり、自分を過信せず、その事々に関係する人に相談やフォローしてもらいながら物事を進めていく、みたいな生き方になってきたんです。
そうしたら、ものすごく面白くなっちゃったんです。自分と人の考え方や視点・捉え方の違いを知ることができ、日々、愉しくなっちゃったんです。愉しくなると人生って不思議なもので、、どん底から、仕事、僕自身が抜け出せそうな、そんな希望を見出すことが出来ました。それから数年経ち、本当にまだまだですが、大分、周辺環境が良くなってきたと感じています。
長くなりましたが、僕は、大失敗を通じて、心まで病んだ結果、そこで初めて自分の至らなさや傲慢に気づけたと思っています。
もう二度と繰り返したくない経験ですが、そこから僕の生き方、考え方が変わってきた気がします。
やっと「100人いれば100個の考え方がある」を理解したんだと思います。そして、その違いこそが面白い、と。
むしろ違うからこそ、自分らしく生きれるって!
叔母とも「方法論は違うけど、あきらめずに、常に変化して来たから、うお時は70年過ごせたんだね」なんて話を出来るようになりましたし、友人には「清高さんだけだよ、話を否定しないのは」なんて言われたり。あるいは、「聞き上手、おだて上手」なんて言われたり。元々、好き嫌いがはっきりしていたのですが、今は人を嫌いにならなくなったから不思議です。多分、嫌な部分ではなく、面白い部分・良い部分、共感できる部分を知ろうとしているからなのかな、なんて思っていますが。
失敗を乗り越えれば、あるいは乗り越えようとすれば、必ず人は成長する。環境が人を育てる。
それを痛感している日々です。正直、生きててよかったなぁ~と思います。
どんどん聞き上手になって、100人100個の意見や思いを聞いて、みんなで面白いことを始めたり、やりたいな。
何かを悩んでいる人に、僕が何か出来る事をサポート出来ないかな? みたいな。
そんな人生を過ごしていきたいな、そう思っている日々です。
人を理解する、という事は、聞き上手になる事。
もっともっと、聞き上手になりたいな、と思う日々です。
なので、もっともっと、僕に想いや考えをお話しください。その時間が僕にとっては本当に幸せな時間なので。
(結婚前、いやもっと前に判っていれば、僕の人生、もっと愉しかったかも…という気持ちは正直ありますが 笑)
うお時も清高も、まだまだこれからです。
皆様、色々と勉強させてください。宜しくお願い致します。
(見るからに生意気そうでしょ、僕…笑)
「洗濯物は裏返し」「年越しはざるそば」…“実家ルール”違いで夫婦げんか 勃発させないための予防策
タイトルをみて、「うんうん」と思ってので、読み進めてみました。僕自身が離婚経験者なので、一瞬で頭の中にいろいろなことが浮かんだわけです。それを今回まとめてみようかと思ってます。長くなったら、ごめんなさい。
人は「100人いればみんな違う」。実は、これって頭の中ではわかってるんですが、自分との関係が近く(濃く)なると、そう思えなくなることって多くないですか?例えば、「こんな感じでお願い」とか、「こういう風にするだろうな」、あるいは「普通はこうだろう」、「これやったら、喜んでくれるかな?」とか・・・でも、大概の場合、それじゃ通じないことが多いと思いません?それで最悪、けんかになったり…
僕に親しい人は良くご存じの話なのですが、僕はちょっと不思議な家族・環境で育っています。いい意味でも、悪い意味でも。
実は、僕の祖母と叔母は、とある宗教の熱心な信者で事あることに教会に行き、教祖様にお伺いを立てる、そんな2人です。別にそれ自体は、信教の自由ですし、とやかく言うつもりはありません。ただ、子供の頃から、「なんで自分で決められないのだろう?」って感じていたのは事実です。まぁ、良いことも悪いことも「お告げ」次第なわけですから。。子供心に何故?と思う事が多かったですし。理解できないから、とことん戦う、反抗心ばかりの幼少期でしたね。w
それゆえ、僕が小学生の高学年の頃には、自分自身の事は自分で決める、良く言えば自尊心、悪く言えばうぬぼれ、が強いガキだったと思います。まぁ、それが好奇心に繋がり、いろんな事を経験できたから、結果オーライなのかもしれませんが。
なので、自分は自分という意識、特に会社を継いでからはその意識が凄く強かったと思います。僕が先頭に立って、考えたことをバリバリやって会社を再生、良くさせるぞ!みたいな。正直、18年前の僕は自分が正しい、「スクラップ&ビルド」、「叔母や両親とけんかしても、絶対に考えを譲らない」そんな人でした。そして結果をだせばスタッフがついてきてくれる、みたいな。
そして、それから数年して結婚しました。そして、7年近く結婚生活を過ごし、結果、離婚しました。
原因は、色々ありますが、一番の理由、それは僕自身にあったと思っています。
僕が「こう考えれば、きっとうまく行く」、「このやり方だったら大丈夫」、そんな過信が大きな失敗に繋がり、事業は危機を迎え、僕自身も鬱病になりました。自分自身の生き方を突き進んできたら、結局、何もかもうまく行かなくなり、死まで考えるようになってました。
この鬱病という病は非常に厄介で、僕の場合、常にイライラして自分でも何をしでかすかわからない感じで。実際、多くの人を傷つけてしまいました。そして、その傷つけている自分にも腹が立ち、最悪のスパイラル、もう自暴自棄になってしまう、本当に恐ろしい病気です。
離婚するまで、本当に長い時間を要しました。彼女への反省と後悔、そして自分自身の至らなさ、弱さを痛感して、もう何も考えられなくなってた、そんな感じです。寂しくって、辛くて、誰かに助けてもらいたくて…上手く表現できないくらい混沌とした無気力な精神状態。
そんな日々を過ごしていたころ、主治医にこんな風に言われました。
「もう、全部やめちぇえば良いじゃん。出来ないなら、全部やろうとせず、出来る人に渡してしまえばいいじゃん」って。
そこで初めて、「あぁ、もうこのまんなじゃどうにもならん」、って思えたんです。
そこから、社内では、各担当責任者を決めて、それぞれのリーダーと話をしながら形を纏めていく。社外では専門家に話を聞いたうえで、交渉や仕事を進めていく、そんなやり方をしてみようかなって。つまり1歩を踏み出せたんです。小さな1歩ですが。
一言でいえば、自分がしたいことをするために、どうやれば知恵や、労力をみんなが貸してくれるのかな?って考えるようになったんです。
つまり、自分を過信せず、その事々に関係する人に相談やフォローしてもらいながら物事を進めていく、みたいな生き方になってきたんです。
そうしたら、ものすごく面白くなっちゃったんです。自分と人の考え方や視点・捉え方の違いを知ることができ、日々、愉しくなっちゃったんです。愉しくなると人生って不思議なもので、、どん底から、仕事、僕自身が抜け出せそうな、そんな希望を見出すことが出来ました。それから数年経ち、本当にまだまだですが、大分、周辺環境が良くなってきたと感じています。
長くなりましたが、僕は、大失敗を通じて、心まで病んだ結果、そこで初めて自分の至らなさや傲慢に気づけたと思っています。
もう二度と繰り返したくない経験ですが、そこから僕の生き方、考え方が変わってきた気がします。
やっと「100人いれば100個の考え方がある」を理解したんだと思います。そして、その違いこそが面白い、と。
むしろ違うからこそ、自分らしく生きれるって!
叔母とも「方法論は違うけど、あきらめずに、常に変化して来たから、うお時は70年過ごせたんだね」なんて話を出来るようになりましたし、友人には「清高さんだけだよ、話を否定しないのは」なんて言われたり。あるいは、「聞き上手、おだて上手」なんて言われたり。元々、好き嫌いがはっきりしていたのですが、今は人を嫌いにならなくなったから不思議です。多分、嫌な部分ではなく、面白い部分・良い部分、共感できる部分を知ろうとしているからなのかな、なんて思っていますが。
失敗を乗り越えれば、あるいは乗り越えようとすれば、必ず人は成長する。環境が人を育てる。
それを痛感している日々です。正直、生きててよかったなぁ~と思います。
どんどん聞き上手になって、100人100個の意見や思いを聞いて、みんなで面白いことを始めたり、やりたいな。
何かを悩んでいる人に、僕が何か出来る事をサポート出来ないかな? みたいな。
そんな人生を過ごしていきたいな、そう思っている日々です。
人を理解する、という事は、聞き上手になる事。
もっともっと、聞き上手になりたいな、と思う日々です。
なので、もっともっと、僕に想いや考えをお話しください。その時間が僕にとっては本当に幸せな時間なので。
(結婚前、いやもっと前に判っていれば、僕の人生、もっと愉しかったかも…という気持ちは正直ありますが 笑)
うお時も清高も、まだまだこれからです。
皆様、色々と勉強させてください。宜しくお願い致します。
(見るからに生意気そうでしょ、僕…笑)
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