2023年03月29日
【アラフィフの独り言】年齢を重ねる事って幸せな事だよね
3月29日㈬
今日は、本当に雑感を纏めたいと思います。ただ感じるままに。
ご存じの方、多いかもしれませんが、僕は月に2回ほど大阪出張しています。この出張は弊社「うお時のお弁当部門」ではなく「エリアコミュニケーション事業部」のお仕事として行っています。で、具体的に何をしているかというと、株式会社ハジメフーズという飲食関連企業のコンサルティング業務を行っています。それで、毎回、会議や臨店を通じて、社長以下、店長、バイトスタッフともコミュニケーションをとっています。一応、肩書も「社外取締役」という役職でお仕事をさせて頂いています。
それで、話は前後するのですが、以前にも書いたことがあると思うのですが、約20年前に株式会社プライム・リンクという会社に勤めていた時期があります。このプライム・リンクは、日本全国の有望な飲食店を見つけ、FC化し、全国に広げていく、そんな会社でした。そのため、1年近く大阪に住んでいたこともありました。この時、会社として携わっていた飲食ブランドはいくつかあるのですが、一番思い出に残っているのが「牛角」でした。オープン担当のマネージャーとして、加盟店様のオープン準備のため、10日間、新店にお邪魔し、スタッフ面接や教育、実際のオープンまでを1つのパックとして、文字通り、お店からお店に渡り歩く、そんな生活でした。そして、その後、採用担当になり、大阪在住から横浜に戻り、週に1~2回の大阪出張という生活を経験し、プライム・リンクを辞した後、実家である弊社に戻ってきました。
今回、ひょんなことがきっかけとなり、ハジメフーズの山元社長と出会い、ご一緒にお仕事をさせて頂くことになりました。考えてみれば、大阪の企業様。しかも、20年ぶりに飲食店舗の現場に携わる事になったわけですが…
ある種のデジャブ感を感じています。そういえば、昔も同じような事で悩んでいたよな、とか、同じような事を言ってたよな、とか。
あの時と一緒かも…みたいな。
(ハジメフーズ会議風景。若い店長陣なので、すごい刺激をもらっています)
この20年間、ずっとそばに居続けてくれた人もいる。
もう会えないと思っていたけれど、20年間で再会できた人もいる。
そして、この20年間の経験を必要としてくれる人がいる。
確実に、20年間、いや少なくとも、この数年で僕の人生は激変したと思っています。でも、そのような方々に出会ってしまうと、なんだか恥ずかしいような嬉しいような、そして刺激を与えあうような、そんな空気感を感じてしまうから不思議なんです。
多分、僕が一番変わったこと、それは「決断と頑固さ」だと思います。サラリーマンを辞してから、決めたことをやり切る事、悩んでいることを決断する事、それを是として過ごしてきました。それこそ独裁者並みに。w でも未熟だったから、独りよがり、全然周囲に伝わらなかったことも多かったです。でもブレちゃいけない、そう思っていたのは事実です。
ただし、それは鬱病になるまで。鬱病の時は、本当に自分で何も決められなくなって…朝出かけるときに着ていく服、晩御飯のメニュー、スーパーでの買い物、すべてが息苦しくて何も決められなかった。イライラしてた。でも、今思えば、そんなときにでも、「ちょっと手伝ってほしい」とか「相談のってくれる」なんて声をかけられると、その時はものすごく楽しかった記憶があります。不思議ですよね、自分の事を自分で決められないくせに、人に頼まれると、全然苦じゃなくむしろ楽しい。ある種の現実逃避だったのかもしれません。
でも、考えてみると、昔から、僕、そんな奴だった気がします。
ただ、人との距離感や、伝え方が少し変わっただけで。
目の前にいる人に喜んでもらいたい、それだけしか考えられない人間だから。
自分の本質は変えられない。だけど、意識は変えられる。そうすれば思考や行動が変わり、結果が変わる。
ありたい自分の姿、周囲に映る自分の姿を意識できれば。
僕の場合は、「自分ひとりじゃどうにもならん、誰かに助けてもらわなきゃ死ぬ」から、意識が変わったと思います。その意識変化が、僕の生活・生き方を変えたのだと思います。頼られることが好きなら、自分が頼ってもいいんじゃないか、って。
20年ぶりに再会した元直属の上司がいて、再会直後は「キヨは変わらないなぁ~」と言われるのに、「別れ際には、全然変わったなぁ。大人になったなぁ」なんて言われたり。別の元上役からも「立場が人を作るんだね、成長したね」と言われたり。
先日も、1年ぶりにお逢いした、企業経営の大先輩に「まさか、清ちゃんとこんな話が出来るようになるとは思わなかったよ!」と。
50歳近くになって、自分で考え、決断し、行動が出来る。確かに誰かが僕を守ってくれるわけではないので、その人生はシンドイと言えばシンドイです。でも、それだけ、自分がどうすればいいのか、常に考えて時間を過ごせるというのは、なんと幸運なんだろうと。その分、きっと学びが多いはずだから。そして、そんな生き方を通じて学んだ経験を必要としてくれる方々がいて、その方々の苦しみや喜びを共有できる現実って、なんて幸せなんだろう、そう思います。まさに幸せのスパイラルですね。
でも、その分、心にとげのように引っかかっていることがあります。
鬱病を患っているときに、ご迷惑をかけ、傷つけ、不快な思いをされて離れていった皆さんに嫌な思いをさせてしまった事です。正直、なんと表現していいのか、いまだに言葉が浮かびません。本当に申し訳ない、それだけじゃ不十分なのはよくわかっているのですが。どうお詫びをすればいいのか、全く見当もつきません。
でも、経験上、僕は運命論者ではないですが、これだけは言えます。
再会できる人には再会できるし、出来ない人との思い出は死ぬまで胸の中に残り続けるという事を。
もし再会することがあれば、その方が望むような距離感、付き合いがまた出来たら、と思っています。
そのためには、もっともっと自分を高めなきゃ。嫌な思いをさせてしまった分、より自分が成長して、その方のために出来ることを考え、行動できるような人間にならなきゃ、と。無論、相手が何を望んでいるかを考えたうえで。
歳をとる、という事は、しんどいことも多々ありますが・・・・
でも等身大の自分でいれば、歳をとった分、いろんな事を学び、経験できる。
歳を重ねるって、本当に幸せだな、と痛感しています。そして、いつかの再会を期待している自分がいます。甘い、と言われるかもしれないけれど。
清高、まだまだです。
今日は、本当に雑感を纏めたいと思います。ただ感じるままに。
ご存じの方、多いかもしれませんが、僕は月に2回ほど大阪出張しています。この出張は弊社「うお時のお弁当部門」ではなく「エリアコミュニケーション事業部」のお仕事として行っています。で、具体的に何をしているかというと、株式会社ハジメフーズという飲食関連企業のコンサルティング業務を行っています。それで、毎回、会議や臨店を通じて、社長以下、店長、バイトスタッフともコミュニケーションをとっています。一応、肩書も「社外取締役」という役職でお仕事をさせて頂いています。
それで、話は前後するのですが、以前にも書いたことがあると思うのですが、約20年前に株式会社プライム・リンクという会社に勤めていた時期があります。このプライム・リンクは、日本全国の有望な飲食店を見つけ、FC化し、全国に広げていく、そんな会社でした。そのため、1年近く大阪に住んでいたこともありました。この時、会社として携わっていた飲食ブランドはいくつかあるのですが、一番思い出に残っているのが「牛角」でした。オープン担当のマネージャーとして、加盟店様のオープン準備のため、10日間、新店にお邪魔し、スタッフ面接や教育、実際のオープンまでを1つのパックとして、文字通り、お店からお店に渡り歩く、そんな生活でした。そして、その後、採用担当になり、大阪在住から横浜に戻り、週に1~2回の大阪出張という生活を経験し、プライム・リンクを辞した後、実家である弊社に戻ってきました。
今回、ひょんなことがきっかけとなり、ハジメフーズの山元社長と出会い、ご一緒にお仕事をさせて頂くことになりました。考えてみれば、大阪の企業様。しかも、20年ぶりに飲食店舗の現場に携わる事になったわけですが…
ある種のデジャブ感を感じています。そういえば、昔も同じような事で悩んでいたよな、とか、同じような事を言ってたよな、とか。
あの時と一緒かも…みたいな。
(ハジメフーズ会議風景。若い店長陣なので、すごい刺激をもらっています)
この20年間、ずっとそばに居続けてくれた人もいる。
もう会えないと思っていたけれど、20年間で再会できた人もいる。
そして、この20年間の経験を必要としてくれる人がいる。
確実に、20年間、いや少なくとも、この数年で僕の人生は激変したと思っています。でも、そのような方々に出会ってしまうと、なんだか恥ずかしいような嬉しいような、そして刺激を与えあうような、そんな空気感を感じてしまうから不思議なんです。
多分、僕が一番変わったこと、それは「決断と頑固さ」だと思います。サラリーマンを辞してから、決めたことをやり切る事、悩んでいることを決断する事、それを是として過ごしてきました。それこそ独裁者並みに。w でも未熟だったから、独りよがり、全然周囲に伝わらなかったことも多かったです。でもブレちゃいけない、そう思っていたのは事実です。
ただし、それは鬱病になるまで。鬱病の時は、本当に自分で何も決められなくなって…朝出かけるときに着ていく服、晩御飯のメニュー、スーパーでの買い物、すべてが息苦しくて何も決められなかった。イライラしてた。でも、今思えば、そんなときにでも、「ちょっと手伝ってほしい」とか「相談のってくれる」なんて声をかけられると、その時はものすごく楽しかった記憶があります。不思議ですよね、自分の事を自分で決められないくせに、人に頼まれると、全然苦じゃなくむしろ楽しい。ある種の現実逃避だったのかもしれません。
でも、考えてみると、昔から、僕、そんな奴だった気がします。
ただ、人との距離感や、伝え方が少し変わっただけで。
目の前にいる人に喜んでもらいたい、それだけしか考えられない人間だから。
自分の本質は変えられない。だけど、意識は変えられる。そうすれば思考や行動が変わり、結果が変わる。
ありたい自分の姿、周囲に映る自分の姿を意識できれば。
僕の場合は、「自分ひとりじゃどうにもならん、誰かに助けてもらわなきゃ死ぬ」から、意識が変わったと思います。その意識変化が、僕の生活・生き方を変えたのだと思います。頼られることが好きなら、自分が頼ってもいいんじゃないか、って。
20年ぶりに再会した元直属の上司がいて、再会直後は「キヨは変わらないなぁ~」と言われるのに、「別れ際には、全然変わったなぁ。大人になったなぁ」なんて言われたり。別の元上役からも「立場が人を作るんだね、成長したね」と言われたり。
先日も、1年ぶりにお逢いした、企業経営の大先輩に「まさか、清ちゃんとこんな話が出来るようになるとは思わなかったよ!」と。
50歳近くになって、自分で考え、決断し、行動が出来る。確かに誰かが僕を守ってくれるわけではないので、その人生はシンドイと言えばシンドイです。でも、それだけ、自分がどうすればいいのか、常に考えて時間を過ごせるというのは、なんと幸運なんだろうと。その分、きっと学びが多いはずだから。そして、そんな生き方を通じて学んだ経験を必要としてくれる方々がいて、その方々の苦しみや喜びを共有できる現実って、なんて幸せなんだろう、そう思います。まさに幸せのスパイラルですね。
でも、その分、心にとげのように引っかかっていることがあります。
鬱病を患っているときに、ご迷惑をかけ、傷つけ、不快な思いをされて離れていった皆さんに嫌な思いをさせてしまった事です。正直、なんと表現していいのか、いまだに言葉が浮かびません。本当に申し訳ない、それだけじゃ不十分なのはよくわかっているのですが。どうお詫びをすればいいのか、全く見当もつきません。
でも、経験上、僕は運命論者ではないですが、これだけは言えます。
再会できる人には再会できるし、出来ない人との思い出は死ぬまで胸の中に残り続けるという事を。
もし再会することがあれば、その方が望むような距離感、付き合いがまた出来たら、と思っています。
そのためには、もっともっと自分を高めなきゃ。嫌な思いをさせてしまった分、より自分が成長して、その方のために出来ることを考え、行動できるような人間にならなきゃ、と。無論、相手が何を望んでいるかを考えたうえで。
歳をとる、という事は、しんどいことも多々ありますが・・・・
でも等身大の自分でいれば、歳をとった分、いろんな事を学び、経験できる。
歳を重ねるって、本当に幸せだな、と痛感しています。そして、いつかの再会を期待している自分がいます。甘い、と言われるかもしれないけれど。
清高、まだまだです。
2023年02月17日
【川村屋さん閉店の報を聞いて】伝統・老舗という言葉に思う事
2月17日㈮ JR桜木町駅にある立ち食い蕎麦屋「川村屋」さんが、3月いっぱいで閉店の報を聞きました。このお店は、伊藤博文から営業許可もらい店舗をスタートしたと言われるほど長く、今年で123年を迎える老舗中の老舗。123年ってすごいですよね。オープン5年で8割が閉店しちゃう飲食業界の中で、本当にすごい歴史だと思います。
なので、ネットニュースが流れると、SNSで、その驚きや残念さを書き込んだコメントを多く見かけています。正直、僕にとっても寂しい。学生時代、テニススクールの帰りに仲間と通った懐かしい思い出が頭をよぎります。まぁイセザキ界隈の下町っ子には、大概そんな思い出があるお店だと思います。
そんなわけで、前の駅舎時代から利用してたから、かれこれ35年くらいはお店を知っています。。でも、最近、お邪魔していたかというと…最後にお邪魔したのはいつだったか、多分、10年近く伺ってなかったのでは…と。
このニュースを読んで思ったことは、「老舗」とか「伝統」って何なんだろう?と。
店歴、社歴なのか?あるいは、変わらないことなのか?
弊社は、爺さんが創業して僕で70年続いているけど、「老舗」とか「伝統」とか、正直あまり意識していない。確かに商品名や、自社を説明するときに、そう言った単語を使う事はあるけれど、日常意識しているか?と聞かれると完全に否です。ただ、恵まれていると思うのは、70年続いた中で、今、ビジネスをするためのヒントがたくさんあるという事。それは商品だったり、叔母や母、そして、その中で育った僕の経験だったり。
うお時で爺さんから続く伝統、というかブランドのコアな部分は「冷めても美味しい料理(弁当)をお届けする」。それだけです。でも、爺さん、親父、そして僕は、全く違うアプローチをしています。何故なら、時代が変わり、お客様が変わってきたから。
例えば、ロゴ1つとってもそう。
7~8年前まで、うお時はこんなロゴでした。
でも、今は・・・
以前のロゴには、渡邉家としての思い入れもあり、僕自身も、うお時=井桁の六(旧ロゴ)だとずっと思ってましたから。
でも、悩んだ末に変えました。それな何故か?
一言でいえば、インターネットでお弁当販売をするようになった時に、「井桁の六」ではうお時らしさが伝わらない、と感じたからです。確かに旧ロゴを知ってる方はいらっしゃいます。でも、知らない人にとっては、全くわからない。
つまり、販売の仕方=商売環境が変わったから、それに合わせて、見せ方を変えた、という事なんです。
ロゴを変えても、うお時の本質「冷めても美味しい料理(弁当)をお届けする」、は変わらない、むしろより多くの方々に知っていただくチャンスだと感じたからです。
横濱うお時=魚が得意なお弁当屋さん、どうですか、今のロゴのほうが判りやすくありませんか?
このロゴに合わせて、今の商品群を考えました。何となく感じていたブランドイメージを、ロゴやコンセプトに一旦まとめて、それに合わせて顧客を想定し、その顧客層に商品とアピールしていく方法に意識とフローを変えました。でも、基本は何も変えない。むしろ、より良く改善していく。結果、うお時は既存のお客様のみならず、新規のお客様もご利用頂けるようになりました。おかげさまで、コロナ渦もなんとか乗り越えられそうな気がします。希望的観測ですが。wでも、これだって何年続くか判りません。常にこのルーティーンを繰り返していく事が、お客様満足を高める方法の1つだと思うわけです。
失敗や何かのきっかけで、今まで当たり前と思っていた事を見直してみると、意外と面白い視点が見えてくる。
でも、コアな部分は絶対に譲らない。方法論や戦略を顧客に合わせる。きっと、これが3代続いた理由なんじゃないかと思います。
そして、これがそれこそ100年、200年続いてきた会社が本当の意味で「老舗」なんじゃないか、と。
今、飲食を取り巻く環境はものすごく厳しいです。原価高騰に人件費UP。そして集客を計算できる物件の家賃は高く、正直、ビジネスとして飲食業、かなり厳しいです。(昨日のニュースで、飲食大手ロイヤルでさえ最終利益は2%ですよ。すかいらーくは大赤字。)
会社をやめる、お店をやめる、というのはある意味、自分の人生が終わる、それくらいの意味を持っていることだと思います。まさに苦渋の選択なのは過去の経験からすごく分かります。閉店理由は様々だと思います。むしろ単純ではなく、複合した理由が積み重なって、だと思います。正直、弊社だって、いつ倒産するか、判りません。危機感だらけです、本当に。
だからこそ、常にお客様意識を学び続けなければいけないと思います。飲食業に従事する者、経営者は。その勉強を活かして、一見するとわからないけど、でも、何処よりも進化、深化し続けることが老舗になると思います。
清高もうお時も、まだまだ勉強し続けなきゃ、と。
そして、常に改善(進化・深化)をし続けなければ、と。
時間作って川村屋さんの天ぷらそば、食べに行こうと思います。123年間、本当に進化・深化の日々の繰り返しだったと思います。ガキの頃には判りませんでしたが、その凄さを最後に勉強させて頂こうと思います。
みなさまも是非、老舗の凄さを味わいに行きませんか!
なので、ネットニュースが流れると、SNSで、その驚きや残念さを書き込んだコメントを多く見かけています。正直、僕にとっても寂しい。学生時代、テニススクールの帰りに仲間と通った懐かしい思い出が頭をよぎります。まぁイセザキ界隈の下町っ子には、大概そんな思い出があるお店だと思います。
そんなわけで、前の駅舎時代から利用してたから、かれこれ35年くらいはお店を知っています。。でも、最近、お邪魔していたかというと…最後にお邪魔したのはいつだったか、多分、10年近く伺ってなかったのでは…と。
このニュースを読んで思ったことは、「老舗」とか「伝統」って何なんだろう?と。
店歴、社歴なのか?あるいは、変わらないことなのか?
弊社は、爺さんが創業して僕で70年続いているけど、「老舗」とか「伝統」とか、正直あまり意識していない。確かに商品名や、自社を説明するときに、そう言った単語を使う事はあるけれど、日常意識しているか?と聞かれると完全に否です。ただ、恵まれていると思うのは、70年続いた中で、今、ビジネスをするためのヒントがたくさんあるという事。それは商品だったり、叔母や母、そして、その中で育った僕の経験だったり。
うお時で爺さんから続く伝統、というかブランドのコアな部分は「冷めても美味しい料理(弁当)をお届けする」。それだけです。でも、爺さん、親父、そして僕は、全く違うアプローチをしています。何故なら、時代が変わり、お客様が変わってきたから。
例えば、ロゴ1つとってもそう。
7~8年前まで、うお時はこんなロゴでした。
でも、今は・・・
以前のロゴには、渡邉家としての思い入れもあり、僕自身も、うお時=井桁の六(旧ロゴ)だとずっと思ってましたから。
でも、悩んだ末に変えました。それな何故か?
一言でいえば、インターネットでお弁当販売をするようになった時に、「井桁の六」ではうお時らしさが伝わらない、と感じたからです。確かに旧ロゴを知ってる方はいらっしゃいます。でも、知らない人にとっては、全くわからない。
つまり、販売の仕方=商売環境が変わったから、それに合わせて、見せ方を変えた、という事なんです。
ロゴを変えても、うお時の本質「冷めても美味しい料理(弁当)をお届けする」、は変わらない、むしろより多くの方々に知っていただくチャンスだと感じたからです。
横濱うお時=魚が得意なお弁当屋さん、どうですか、今のロゴのほうが判りやすくありませんか?
このロゴに合わせて、今の商品群を考えました。何となく感じていたブランドイメージを、ロゴやコンセプトに一旦まとめて、それに合わせて顧客を想定し、その顧客層に商品とアピールしていく方法に意識とフローを変えました。でも、基本は何も変えない。むしろ、より良く改善していく。結果、うお時は既存のお客様のみならず、新規のお客様もご利用頂けるようになりました。おかげさまで、コロナ渦もなんとか乗り越えられそうな気がします。希望的観測ですが。wでも、これだって何年続くか判りません。常にこのルーティーンを繰り返していく事が、お客様満足を高める方法の1つだと思うわけです。
失敗や何かのきっかけで、今まで当たり前と思っていた事を見直してみると、意外と面白い視点が見えてくる。
でも、コアな部分は絶対に譲らない。方法論や戦略を顧客に合わせる。きっと、これが3代続いた理由なんじゃないかと思います。
そして、これがそれこそ100年、200年続いてきた会社が本当の意味で「老舗」なんじゃないか、と。
今、飲食を取り巻く環境はものすごく厳しいです。原価高騰に人件費UP。そして集客を計算できる物件の家賃は高く、正直、ビジネスとして飲食業、かなり厳しいです。(昨日のニュースで、飲食大手ロイヤルでさえ最終利益は2%ですよ。すかいらーくは大赤字。)
会社をやめる、お店をやめる、というのはある意味、自分の人生が終わる、それくらいの意味を持っていることだと思います。まさに苦渋の選択なのは過去の経験からすごく分かります。閉店理由は様々だと思います。むしろ単純ではなく、複合した理由が積み重なって、だと思います。正直、弊社だって、いつ倒産するか、判りません。危機感だらけです、本当に。
だからこそ、常にお客様意識を学び続けなければいけないと思います。飲食業に従事する者、経営者は。その勉強を活かして、一見するとわからないけど、でも、何処よりも進化、深化し続けることが老舗になると思います。
清高もうお時も、まだまだ勉強し続けなきゃ、と。
そして、常に改善(進化・深化)をし続けなければ、と。
時間作って川村屋さんの天ぷらそば、食べに行こうと思います。123年間、本当に進化・深化の日々の繰り返しだったと思います。ガキの頃には判りませんでしたが、その凄さを最後に勉強させて頂こうと思います。
みなさまも是非、老舗の凄さを味わいに行きませんか!
2023年02月04日
【再勉強中】牛肉の部位ってこんなにあったっけ??
元、焼肉店チェーンの店長ですが・・・・
最近の色々なお店を臨店して思うこと。それは肉の種類が多すぎてよくわからん。
「これは勉強しなきゃ、アカン」、というわけで…
この表を見ながら学びなおしてます。
関東、関西で呼び方が違ったりするので、これがなかなか難しい。
差別化や専門性を追求した結果、部位もこんなに細かく分けるようになったのかな、なんて思ったりします。それがお客様にちゃんと伝わっているのか?また、それがお客様のご満足・ご理解に繋がっているのか、正直、悩んでいます。
その分、スタッフのコミュニケーション能力、サービス力が他店とのカギになってくるんだろうな、と。やっぱり、人、なんですよね、商売は結局。
そんな風に感じています。
それにしても・・・・
まさか、プライムリンクを卒業して20年。また焼肉の勉強をすることになるとは。人生ってやっぱり面白いですね。
最近の色々なお店を臨店して思うこと。それは肉の種類が多すぎてよくわからん。
「これは勉強しなきゃ、アカン」、というわけで…
この表を見ながら学びなおしてます。
関東、関西で呼び方が違ったりするので、これがなかなか難しい。
差別化や専門性を追求した結果、部位もこんなに細かく分けるようになったのかな、なんて思ったりします。それがお客様にちゃんと伝わっているのか?また、それがお客様のご満足・ご理解に繋がっているのか、正直、悩んでいます。
その分、スタッフのコミュニケーション能力、サービス力が他店とのカギになってくるんだろうな、と。やっぱり、人、なんですよね、商売は結局。
そんな風に感じています。
それにしても・・・・
まさか、プライムリンクを卒業して20年。また焼肉の勉強をすることになるとは。人生ってやっぱり面白いですね。
2022年08月25日
【大阪社長MTG】社長の悩みはやっぱり一緒
久々のブログです。7月、久々にメンタルをやられていました。ただ、そこに至った原因がはっきりわかっているので、今回は復調が早かった気がします。ここ数年の気疲れ、経営者としての悩み、家族の事・・・・まぁ生きていれば本当に色々なことがありますよね。それを改めて痛感している今日、この頃です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。。
実は、今週22日~24日まで大阪に出張に出ておりました。
今回のメインタスクは・・・・
横浜の社長を大阪にアテンドして、大阪の社長との交流会を行う、という試みです。
過去に2回、沖縄で同じようなことをしましたが、今回は大阪のポータルサイト「オオサカジン」さんとの協同企画なので結構、緊張してこの日を迎えました。
横浜からは僕が参加するYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)のメンバーが8名、大阪からは16名、計24名。
大阪の参加者は、オオサカジンで取材を受けられた方々から。(CF オオサカジン特集 社長インタビュー)
16時セミナーからスタートし、17時過ぎには交流会(名刺交換会)、そして18時半ごろから会食しながらの交流会。
セミナーはZ世代を代表して、舞洲キャンパスの中学3年生による、「INSTAGRAMを用いたマーケティング戦略-ユーザーの心を掴むIT戦略」という内容。中学校3年生の講師、かなりインパクトがありましたが、内容も充実していてビックリしました。僕の頃とは全然違う。。ちょっとだけ未来が怖くなったのは僕だけでなかった筈。
交流会・懇親会では異業種、様々な経営者の方々とお逢いさせて頂きました。共通しているのは、生活や活動している地域は別ですが、経営に携わる方々の悩みは共有できるという事。つまり、皆さん、同じような悩みを抱えているんだなぁ、
と改めて痛感した次第です。
そして経営者同士だから、率直に話し合える、考えてみたらコロナ渦でこんな風に感じたのはいつぶりだったのだろうか?と。
効率だけ考えれば、ZOOMでも十分だけど、
やっぱり、リアルが良い。
今年は様々な地域の方々とリアルで繋がっていきたいな、
リアルで分かり合えなきゃ、やっぱり面白くないですもんね。そして分かり合うことが出来れば、きっと色々なことが始まるはず。
やっぱり人は影響しあってナンボ、なんだな、と。
そして、それが僕にとって最高に楽しいことだと改めて痛感した次第です。
このところ、人付き合いが消極的で、つまらなくしていたのは自分自身だったな、と。
もっと生活や人生を愉しくしていきたいな、と。
自らを振り返ることが出来たり、未来へのワクワクを感じたり、とても実り多い出張となりました。
ご参加いただいた皆様、ジェイライン野上社長、オオサカジン編集部の皆様には心から感謝、御礼申し上げます。
さて、次はどこで交流会開催しようかな?なんだかワクワクしています。
今度は、皆さんもご一緒しませんか?
追記:
YMS理事で、僕の親友の窪田さんが、今回のセミナーをレポされているので、下記にご紹介いたします。
窪田恭史のリサイクルライフ 「3年ぶり出張YMS、大阪交流会-第141回YMS」
実は、今週22日~24日まで大阪に出張に出ておりました。
今回のメインタスクは・・・・
横浜の社長を大阪にアテンドして、大阪の社長との交流会を行う、という試みです。
過去に2回、沖縄で同じようなことをしましたが、今回は大阪のポータルサイト「オオサカジン」さんとの協同企画なので結構、緊張してこの日を迎えました。
横浜からは僕が参加するYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)のメンバーが8名、大阪からは16名、計24名。
大阪の参加者は、オオサカジンで取材を受けられた方々から。(CF オオサカジン特集 社長インタビュー)
16時セミナーからスタートし、17時過ぎには交流会(名刺交換会)、そして18時半ごろから会食しながらの交流会。
セミナーはZ世代を代表して、舞洲キャンパスの中学3年生による、「INSTAGRAMを用いたマーケティング戦略-ユーザーの心を掴むIT戦略」という内容。中学校3年生の講師、かなりインパクトがありましたが、内容も充実していてビックリしました。僕の頃とは全然違う。。ちょっとだけ未来が怖くなったのは僕だけでなかった筈。
交流会・懇親会では異業種、様々な経営者の方々とお逢いさせて頂きました。共通しているのは、生活や活動している地域は別ですが、経営に携わる方々の悩みは共有できるという事。つまり、皆さん、同じような悩みを抱えているんだなぁ、
と改めて痛感した次第です。
そして経営者同士だから、率直に話し合える、考えてみたらコロナ渦でこんな風に感じたのはいつぶりだったのだろうか?と。
効率だけ考えれば、ZOOMでも十分だけど、
やっぱり、リアルが良い。
今年は様々な地域の方々とリアルで繋がっていきたいな、
リアルで分かり合えなきゃ、やっぱり面白くないですもんね。そして分かり合うことが出来れば、きっと色々なことが始まるはず。
やっぱり人は影響しあってナンボ、なんだな、と。
そして、それが僕にとって最高に楽しいことだと改めて痛感した次第です。
このところ、人付き合いが消極的で、つまらなくしていたのは自分自身だったな、と。
もっと生活や人生を愉しくしていきたいな、と。
自らを振り返ることが出来たり、未来へのワクワクを感じたり、とても実り多い出張となりました。
ご参加いただいた皆様、ジェイライン野上社長、オオサカジン編集部の皆様には心から感謝、御礼申し上げます。
さて、次はどこで交流会開催しようかな?なんだかワクワクしています。
今度は、皆さんもご一緒しませんか?
追記:
YMS理事で、僕の親友の窪田さんが、今回のセミナーをレポされているので、下記にご紹介いたします。
窪田恭史のリサイクルライフ 「3年ぶり出張YMS、大阪交流会-第141回YMS」