2023年04月18日
【you're not alone】久々に鬱病が再発するかと…
4月18日㈫
先週後半~週末にかけて、久々に公私に渡り「これでもか!」というほどのトラブルや、出来事、情報が入ってきて、久々に鬱が再発するかと思いました。いや、本当にしんどくて、きつかったです。
あまりにも色々な事があったので、個々の詳細は省きますが、数日経ち、振り返ってみた結果・・・・
『あっ、俺、仕事に夢中過ぎたのは、独りっきりになるのが嫌だったんだ』という事に気づいたこと。
数年前の経営危機から鬱病発症したわけですが、その時、まず考えたのは、会社(経営)をなんとかしなきゃ、という事。あの頃、もし会社が破産してたら、金融機関の連帯保証人になっていた両親の財産まで差し押さえられてしまう。だから、まずは会社を立て直さなきゃ、と思い、動き出したのが鬱を脱する第1歩だったと思うんです。その直後に親父が急逝。この頃は、本当に死ぬんじゃないか、って思うほど、鬱状態が酷かった時期でした。
再生のために、まずお弁当の販売部門(B to C)を部門閉鎖し、デリバリーに特化することを決め、それまでと全く違う、横濱うお時をReブランディング&ネットでの受注販売を開始したのが4年前。つまりコロナ渦の1年前。部門閉鎖という事はリストラをしたという事です。このストレスはさらに鬱病を悪化させたな、と今なら客観的に思います。そのためか、この頃から夫婦別居しなきゃと思い、結果、後刻、離婚に至りました。
ご存じのようにコロナ渦が来て、運が良く、神奈川県のコロナ陽性・軽症者収容施設(ホテル)にお弁当を搬入するお弁当屋さんのJV(みたいな集合体というのが正しいのかな?)に参画し、結果的に見れば、今までお弁当を必要としなかった企業、お客様ご本人に、弊社のお弁当を知っていただくことができ…折から会食が難しい環境だったので、デリバリー需要拡大の波に上手く乗ることができ、コロナの影響、少なくて済みました。
そして、この横濱うお時Reブランドの経験を活かし、「洋食喫茶イセザキ」「濱乃や」等のブランディングを立ち上げ、2021年(2年前)には、お弁当の販売促進のために、活用されていなかった横浜のブログポータルサイトを買収・改修して『濱街沿線ダイアリー』の運用を開始。
この『濱街沿線ダイアリー』を運営する、エリアコミュニケーション事業部では、ママさんSEとライターをスタッフに抱え、神奈川県東部の情報を発信するだけでなく、僕が今まで実践してきた、webマーケティング手法、販促手法を他業種の方々に提供するビジネスもスタートしました。
この『濱街沿線ダイアリー』が参画する全国のポータルサイトArearesと連携して、全国各地の食材探し、セミナーの旅が始まったのもこの頃から。
また、以前にも経験があったのですが、昨年秋より、株式会社ハジメフーズのコンサルタントを経て社外取締役に就任し、現在月2回の大阪出張。飲食店舗部門事業を中心に売上・収益率の改善のためにお仕事をさせて頂いています。
結果、おかげさまで弊社の経営環境は大分、改善してきています!
経営改善が進んでも、悩みが尽きないのが、経営者の面白いではあると思うのですが・・・。w
改善はしてきていますが、まだまだなんですよね、それでも力不足を実感してますが。
まぁ、自分で考えても、この数年間の仕事量・アウトプットは・・・・。
波乱万丈、ジェットコースターみたいな人生だと思ってます。
正直言って、かなり充実した毎日を過ごしています。平日は…
でも、週末や祝日、嫌いなんです、というか怖いんです、本当のことを言うと。
前述したように、鬱病から脱する事が出来たのは、仕事に没頭できたから。でも、なぜ、ここまで没頭出来たかというと、鬱で失った元嫁さんや、親友に、いつの日か「あの頃は本当にごめんなさい。でも、今の僕は大丈夫だよ」って言いたかった、思ってほしかったから、それだけだったと。現実的に考えれば、それって、とんでもなく甘い夢みたいな話ですが。でも、その微かな希望というか光が見えたから、最初の1歩を踏み出せたと思うんです。無論、それを可能にしてくれたのは、以前、このブログで纏めたように、僕の周りに、僕を助けてくれた方々が沢山いたからに外ならず、本当に運が良かったと思っています。僕は本当に人に恵まれている、そう思います。
これも以前、ブログで書きましたが、渡邉家はとっても特殊な家族で。祖母と叔母は熱心な宗教の信者。そして、これは初めて書くと思いますが、親父はとんでもない放蕩息子。僕と同様、心が弱かったのかな?あるいは元々が病弱だったから?か、親父が元気で仕事をしている思い出が僕には全くないんです。本当に。良い記憶として覚えているのは、一緒にゴルフ練習したり、旅行したり、派手な車を乗り回したり。でも、やっぱり悪い記憶の方が多くて、失踪して、親父の車を探しに母と羽田空港に行ったり、長期入院中に病院を抜け出して騒動を起こしたり、家に引きこもってたり、年末年始には毎年恒例の夫婦大喧嘩…。お袋はとんでもなく忙しく過ごしているのに、なんで親父は??
その分、子供の頃から母が不憫に見えて、「あんな親父、大人になりたくない」と反面教師として育ったと思います。
だから、きっと、僕にとって結婚は、凄く意味があったことだと思います。
そして、それがうまく行かなかったことに、トラウマを感じているのかもしれません。結局は親父と一緒になってしまったんじゃないか?と。
なので、週末、デパートやスーパー、あるいは家族連れが集まるようなスポットに行くと、気分が滅入ってしまう。
結果、週末、深酒してしまう事が多いような気がします。
長くなりましたが・・・
「鬱病になって失ったもの、つまり信用を取り戻したい」ってことが、鬱病を克服するきっかけになったと思います。
そのために仕事に没頭し、会社もなんとかなって来つつあるけれど…あれ、僕、全く鬱病を発症した時と全く変わってないじゃん。周りは変わっているのに、と今回、感じてしまったんです。正直「寂しい…」と。寂しさを感じたくないから、週末が嫌いだったんですね、僕は。
でも、今回、再発せずに済んだのは、こんな僕でも必要としてくれる人がいる、と感じることが出来たから。孤独じゃないから。
偶然にも、僕以上に過去から苦しみを抱えている友人からSOSの連絡が入ってきたり、自分より若い友達が僕の事を見ているって実感できたから。カッコ悪くても、自分をさらけ出せば、彼らの役に立てるかもしれない。見知らぬ人でも、過去の僕と同じように苦しんでいる人がいるかもしれない、その人に何かを伝えることが出来たらと思って書いています。
今の僕の希望の光は、同じような事を悩んでいる人に、「大丈夫だよ、僕だって生き残れたんだから」と伝える事なんじゃないか?
それが使命なんじゃないか?そう考えています。
だから鬱状態に陥ることはあっても、鬱病が再発することは無いと思っています。きっと大丈夫だと。
とはいえ、たまにこうやって、おっこってしまう。
メンタルダウンしてしまう。人間だから仕方ないとはいえ、本当にまだまだですね。強くならなきゃ。
さて、今日も頑張りますか。長文、お付き合いして頂きありがとうございます。
(嫌な思いをされた方がいたら、お詫びします)
追記:いつの日か、元嫁さんと親友、昔みたいに話せたら…という夢、心の片隅に大切に残しておこうと思っています。感謝と共に。
伝えるために書いている訳じゃない…ですからね。w 本当に。
先週後半~週末にかけて、久々に公私に渡り「これでもか!」というほどのトラブルや、出来事、情報が入ってきて、久々に鬱が再発するかと思いました。いや、本当にしんどくて、きつかったです。
あまりにも色々な事があったので、個々の詳細は省きますが、数日経ち、振り返ってみた結果・・・・
『あっ、俺、仕事に夢中過ぎたのは、独りっきりになるのが嫌だったんだ』という事に気づいたこと。
数年前の経営危機から鬱病発症したわけですが、その時、まず考えたのは、会社(経営)をなんとかしなきゃ、という事。あの頃、もし会社が破産してたら、金融機関の連帯保証人になっていた両親の財産まで差し押さえられてしまう。だから、まずは会社を立て直さなきゃ、と思い、動き出したのが鬱を脱する第1歩だったと思うんです。その直後に親父が急逝。この頃は、本当に死ぬんじゃないか、って思うほど、鬱状態が酷かった時期でした。
再生のために、まずお弁当の販売部門(B to C)を部門閉鎖し、デリバリーに特化することを決め、それまでと全く違う、横濱うお時をReブランディング&ネットでの受注販売を開始したのが4年前。つまりコロナ渦の1年前。部門閉鎖という事はリストラをしたという事です。このストレスはさらに鬱病を悪化させたな、と今なら客観的に思います。そのためか、この頃から夫婦別居しなきゃと思い、結果、後刻、離婚に至りました。
ご存じのようにコロナ渦が来て、運が良く、神奈川県のコロナ陽性・軽症者収容施設(ホテル)にお弁当を搬入するお弁当屋さんのJV(みたいな集合体というのが正しいのかな?)に参画し、結果的に見れば、今までお弁当を必要としなかった企業、お客様ご本人に、弊社のお弁当を知っていただくことができ…折から会食が難しい環境だったので、デリバリー需要拡大の波に上手く乗ることができ、コロナの影響、少なくて済みました。
そして、この横濱うお時Reブランドの経験を活かし、「洋食喫茶イセザキ」「濱乃や」等のブランディングを立ち上げ、2021年(2年前)には、お弁当の販売促進のために、活用されていなかった横浜のブログポータルサイトを買収・改修して『濱街沿線ダイアリー』の運用を開始。
この『濱街沿線ダイアリー』を運営する、エリアコミュニケーション事業部では、ママさんSEとライターをスタッフに抱え、神奈川県東部の情報を発信するだけでなく、僕が今まで実践してきた、webマーケティング手法、販促手法を他業種の方々に提供するビジネスもスタートしました。
この『濱街沿線ダイアリー』が参画する全国のポータルサイトArearesと連携して、全国各地の食材探し、セミナーの旅が始まったのもこの頃から。
また、以前にも経験があったのですが、昨年秋より、株式会社ハジメフーズのコンサルタントを経て社外取締役に就任し、現在月2回の大阪出張。飲食店舗部門事業を中心に売上・収益率の改善のためにお仕事をさせて頂いています。
結果、おかげさまで弊社の経営環境は大分、改善してきています!
経営改善が進んでも、悩みが尽きないのが、経営者の面白いではあると思うのですが・・・。w
改善はしてきていますが、まだまだなんですよね、それでも力不足を実感してますが。
まぁ、自分で考えても、この数年間の仕事量・アウトプットは・・・・。
波乱万丈、ジェットコースターみたいな人生だと思ってます。
正直言って、かなり充実した毎日を過ごしています。平日は…
でも、週末や祝日、嫌いなんです、というか怖いんです、本当のことを言うと。
前述したように、鬱病から脱する事が出来たのは、仕事に没頭できたから。でも、なぜ、ここまで没頭出来たかというと、鬱で失った元嫁さんや、親友に、いつの日か「あの頃は本当にごめんなさい。でも、今の僕は大丈夫だよ」って言いたかった、思ってほしかったから、それだけだったと。現実的に考えれば、それって、とんでもなく甘い夢みたいな話ですが。でも、その微かな希望というか光が見えたから、最初の1歩を踏み出せたと思うんです。無論、それを可能にしてくれたのは、以前、このブログで纏めたように、僕の周りに、僕を助けてくれた方々が沢山いたからに外ならず、本当に運が良かったと思っています。僕は本当に人に恵まれている、そう思います。
これも以前、ブログで書きましたが、渡邉家はとっても特殊な家族で。祖母と叔母は熱心な宗教の信者。そして、これは初めて書くと思いますが、親父はとんでもない放蕩息子。僕と同様、心が弱かったのかな?あるいは元々が病弱だったから?か、親父が元気で仕事をしている思い出が僕には全くないんです。本当に。良い記憶として覚えているのは、一緒にゴルフ練習したり、旅行したり、派手な車を乗り回したり。でも、やっぱり悪い記憶の方が多くて、失踪して、親父の車を探しに母と羽田空港に行ったり、長期入院中に病院を抜け出して騒動を起こしたり、家に引きこもってたり、年末年始には毎年恒例の夫婦大喧嘩…。お袋はとんでもなく忙しく過ごしているのに、なんで親父は??
その分、子供の頃から母が不憫に見えて、「あんな親父、大人になりたくない」と反面教師として育ったと思います。
だから、きっと、僕にとって結婚は、凄く意味があったことだと思います。
そして、それがうまく行かなかったことに、トラウマを感じているのかもしれません。結局は親父と一緒になってしまったんじゃないか?と。
なので、週末、デパートやスーパー、あるいは家族連れが集まるようなスポットに行くと、気分が滅入ってしまう。
結果、週末、深酒してしまう事が多いような気がします。
長くなりましたが・・・
「鬱病になって失ったもの、つまり信用を取り戻したい」ってことが、鬱病を克服するきっかけになったと思います。
そのために仕事に没頭し、会社もなんとかなって来つつあるけれど…あれ、僕、全く鬱病を発症した時と全く変わってないじゃん。周りは変わっているのに、と今回、感じてしまったんです。正直「寂しい…」と。寂しさを感じたくないから、週末が嫌いだったんですね、僕は。
でも、今回、再発せずに済んだのは、こんな僕でも必要としてくれる人がいる、と感じることが出来たから。孤独じゃないから。
偶然にも、僕以上に過去から苦しみを抱えている友人からSOSの連絡が入ってきたり、自分より若い友達が僕の事を見ているって実感できたから。カッコ悪くても、自分をさらけ出せば、彼らの役に立てるかもしれない。見知らぬ人でも、過去の僕と同じように苦しんでいる人がいるかもしれない、その人に何かを伝えることが出来たらと思って書いています。
今の僕の希望の光は、同じような事を悩んでいる人に、「大丈夫だよ、僕だって生き残れたんだから」と伝える事なんじゃないか?
それが使命なんじゃないか?そう考えています。
だから鬱状態に陥ることはあっても、鬱病が再発することは無いと思っています。きっと大丈夫だと。
とはいえ、たまにこうやって、おっこってしまう。
メンタルダウンしてしまう。人間だから仕方ないとはいえ、本当にまだまだですね。強くならなきゃ。
さて、今日も頑張りますか。長文、お付き合いして頂きありがとうございます。
(嫌な思いをされた方がいたら、お詫びします)
追記:いつの日か、元嫁さんと親友、昔みたいに話せたら…という夢、心の片隅に大切に残しておこうと思っています。感謝と共に。
伝えるために書いている訳じゃない…ですからね。w 本当に。
2023年03月29日
【アラフィフの独り言】年齢を重ねる事って幸せな事だよね
3月29日㈬
今日は、本当に雑感を纏めたいと思います。ただ感じるままに。
ご存じの方、多いかもしれませんが、僕は月に2回ほど大阪出張しています。この出張は弊社「うお時のお弁当部門」ではなく「エリアコミュニケーション事業部」のお仕事として行っています。で、具体的に何をしているかというと、株式会社ハジメフーズという飲食関連企業のコンサルティング業務を行っています。それで、毎回、会議や臨店を通じて、社長以下、店長、バイトスタッフともコミュニケーションをとっています。一応、肩書も「社外取締役」という役職でお仕事をさせて頂いています。
それで、話は前後するのですが、以前にも書いたことがあると思うのですが、約20年前に株式会社プライム・リンクという会社に勤めていた時期があります。このプライム・リンクは、日本全国の有望な飲食店を見つけ、FC化し、全国に広げていく、そんな会社でした。そのため、1年近く大阪に住んでいたこともありました。この時、会社として携わっていた飲食ブランドはいくつかあるのですが、一番思い出に残っているのが「牛角」でした。オープン担当のマネージャーとして、加盟店様のオープン準備のため、10日間、新店にお邪魔し、スタッフ面接や教育、実際のオープンまでを1つのパックとして、文字通り、お店からお店に渡り歩く、そんな生活でした。そして、その後、採用担当になり、大阪在住から横浜に戻り、週に1~2回の大阪出張という生活を経験し、プライム・リンクを辞した後、実家である弊社に戻ってきました。
今回、ひょんなことがきっかけとなり、ハジメフーズの山元社長と出会い、ご一緒にお仕事をさせて頂くことになりました。考えてみれば、大阪の企業様。しかも、20年ぶりに飲食店舗の現場に携わる事になったわけですが…
ある種のデジャブ感を感じています。そういえば、昔も同じような事で悩んでいたよな、とか、同じような事を言ってたよな、とか。
あの時と一緒かも…みたいな。
(ハジメフーズ会議風景。若い店長陣なので、すごい刺激をもらっています)
この20年間、ずっとそばに居続けてくれた人もいる。
もう会えないと思っていたけれど、20年間で再会できた人もいる。
そして、この20年間の経験を必要としてくれる人がいる。
確実に、20年間、いや少なくとも、この数年で僕の人生は激変したと思っています。でも、そのような方々に出会ってしまうと、なんだか恥ずかしいような嬉しいような、そして刺激を与えあうような、そんな空気感を感じてしまうから不思議なんです。
多分、僕が一番変わったこと、それは「決断と頑固さ」だと思います。サラリーマンを辞してから、決めたことをやり切る事、悩んでいることを決断する事、それを是として過ごしてきました。それこそ独裁者並みに。w でも未熟だったから、独りよがり、全然周囲に伝わらなかったことも多かったです。でもブレちゃいけない、そう思っていたのは事実です。
ただし、それは鬱病になるまで。鬱病の時は、本当に自分で何も決められなくなって…朝出かけるときに着ていく服、晩御飯のメニュー、スーパーでの買い物、すべてが息苦しくて何も決められなかった。イライラしてた。でも、今思えば、そんなときにでも、「ちょっと手伝ってほしい」とか「相談のってくれる」なんて声をかけられると、その時はものすごく楽しかった記憶があります。不思議ですよね、自分の事を自分で決められないくせに、人に頼まれると、全然苦じゃなくむしろ楽しい。ある種の現実逃避だったのかもしれません。
でも、考えてみると、昔から、僕、そんな奴だった気がします。
ただ、人との距離感や、伝え方が少し変わっただけで。
目の前にいる人に喜んでもらいたい、それだけしか考えられない人間だから。
自分の本質は変えられない。だけど、意識は変えられる。そうすれば思考や行動が変わり、結果が変わる。
ありたい自分の姿、周囲に映る自分の姿を意識できれば。
僕の場合は、「自分ひとりじゃどうにもならん、誰かに助けてもらわなきゃ死ぬ」から、意識が変わったと思います。その意識変化が、僕の生活・生き方を変えたのだと思います。頼られることが好きなら、自分が頼ってもいいんじゃないか、って。
20年ぶりに再会した元直属の上司がいて、再会直後は「キヨは変わらないなぁ~」と言われるのに、「別れ際には、全然変わったなぁ。大人になったなぁ」なんて言われたり。別の元上役からも「立場が人を作るんだね、成長したね」と言われたり。
先日も、1年ぶりにお逢いした、企業経営の大先輩に「まさか、清ちゃんとこんな話が出来るようになるとは思わなかったよ!」と。
50歳近くになって、自分で考え、決断し、行動が出来る。確かに誰かが僕を守ってくれるわけではないので、その人生はシンドイと言えばシンドイです。でも、それだけ、自分がどうすればいいのか、常に考えて時間を過ごせるというのは、なんと幸運なんだろうと。その分、きっと学びが多いはずだから。そして、そんな生き方を通じて学んだ経験を必要としてくれる方々がいて、その方々の苦しみや喜びを共有できる現実って、なんて幸せなんだろう、そう思います。まさに幸せのスパイラルですね。
でも、その分、心にとげのように引っかかっていることがあります。
鬱病を患っているときに、ご迷惑をかけ、傷つけ、不快な思いをされて離れていった皆さんに嫌な思いをさせてしまった事です。正直、なんと表現していいのか、いまだに言葉が浮かびません。本当に申し訳ない、それだけじゃ不十分なのはよくわかっているのですが。どうお詫びをすればいいのか、全く見当もつきません。
でも、経験上、僕は運命論者ではないですが、これだけは言えます。
再会できる人には再会できるし、出来ない人との思い出は死ぬまで胸の中に残り続けるという事を。
もし再会することがあれば、その方が望むような距離感、付き合いがまた出来たら、と思っています。
そのためには、もっともっと自分を高めなきゃ。嫌な思いをさせてしまった分、より自分が成長して、その方のために出来ることを考え、行動できるような人間にならなきゃ、と。無論、相手が何を望んでいるかを考えたうえで。
歳をとる、という事は、しんどいことも多々ありますが・・・・
でも等身大の自分でいれば、歳をとった分、いろんな事を学び、経験できる。
歳を重ねるって、本当に幸せだな、と痛感しています。そして、いつかの再会を期待している自分がいます。甘い、と言われるかもしれないけれど。
清高、まだまだです。
今日は、本当に雑感を纏めたいと思います。ただ感じるままに。
ご存じの方、多いかもしれませんが、僕は月に2回ほど大阪出張しています。この出張は弊社「うお時のお弁当部門」ではなく「エリアコミュニケーション事業部」のお仕事として行っています。で、具体的に何をしているかというと、株式会社ハジメフーズという飲食関連企業のコンサルティング業務を行っています。それで、毎回、会議や臨店を通じて、社長以下、店長、バイトスタッフともコミュニケーションをとっています。一応、肩書も「社外取締役」という役職でお仕事をさせて頂いています。
それで、話は前後するのですが、以前にも書いたことがあると思うのですが、約20年前に株式会社プライム・リンクという会社に勤めていた時期があります。このプライム・リンクは、日本全国の有望な飲食店を見つけ、FC化し、全国に広げていく、そんな会社でした。そのため、1年近く大阪に住んでいたこともありました。この時、会社として携わっていた飲食ブランドはいくつかあるのですが、一番思い出に残っているのが「牛角」でした。オープン担当のマネージャーとして、加盟店様のオープン準備のため、10日間、新店にお邪魔し、スタッフ面接や教育、実際のオープンまでを1つのパックとして、文字通り、お店からお店に渡り歩く、そんな生活でした。そして、その後、採用担当になり、大阪在住から横浜に戻り、週に1~2回の大阪出張という生活を経験し、プライム・リンクを辞した後、実家である弊社に戻ってきました。
今回、ひょんなことがきっかけとなり、ハジメフーズの山元社長と出会い、ご一緒にお仕事をさせて頂くことになりました。考えてみれば、大阪の企業様。しかも、20年ぶりに飲食店舗の現場に携わる事になったわけですが…
ある種のデジャブ感を感じています。そういえば、昔も同じような事で悩んでいたよな、とか、同じような事を言ってたよな、とか。
あの時と一緒かも…みたいな。
(ハジメフーズ会議風景。若い店長陣なので、すごい刺激をもらっています)
この20年間、ずっとそばに居続けてくれた人もいる。
もう会えないと思っていたけれど、20年間で再会できた人もいる。
そして、この20年間の経験を必要としてくれる人がいる。
確実に、20年間、いや少なくとも、この数年で僕の人生は激変したと思っています。でも、そのような方々に出会ってしまうと、なんだか恥ずかしいような嬉しいような、そして刺激を与えあうような、そんな空気感を感じてしまうから不思議なんです。
多分、僕が一番変わったこと、それは「決断と頑固さ」だと思います。サラリーマンを辞してから、決めたことをやり切る事、悩んでいることを決断する事、それを是として過ごしてきました。それこそ独裁者並みに。w でも未熟だったから、独りよがり、全然周囲に伝わらなかったことも多かったです。でもブレちゃいけない、そう思っていたのは事実です。
ただし、それは鬱病になるまで。鬱病の時は、本当に自分で何も決められなくなって…朝出かけるときに着ていく服、晩御飯のメニュー、スーパーでの買い物、すべてが息苦しくて何も決められなかった。イライラしてた。でも、今思えば、そんなときにでも、「ちょっと手伝ってほしい」とか「相談のってくれる」なんて声をかけられると、その時はものすごく楽しかった記憶があります。不思議ですよね、自分の事を自分で決められないくせに、人に頼まれると、全然苦じゃなくむしろ楽しい。ある種の現実逃避だったのかもしれません。
でも、考えてみると、昔から、僕、そんな奴だった気がします。
ただ、人との距離感や、伝え方が少し変わっただけで。
目の前にいる人に喜んでもらいたい、それだけしか考えられない人間だから。
自分の本質は変えられない。だけど、意識は変えられる。そうすれば思考や行動が変わり、結果が変わる。
ありたい自分の姿、周囲に映る自分の姿を意識できれば。
僕の場合は、「自分ひとりじゃどうにもならん、誰かに助けてもらわなきゃ死ぬ」から、意識が変わったと思います。その意識変化が、僕の生活・生き方を変えたのだと思います。頼られることが好きなら、自分が頼ってもいいんじゃないか、って。
20年ぶりに再会した元直属の上司がいて、再会直後は「キヨは変わらないなぁ~」と言われるのに、「別れ際には、全然変わったなぁ。大人になったなぁ」なんて言われたり。別の元上役からも「立場が人を作るんだね、成長したね」と言われたり。
先日も、1年ぶりにお逢いした、企業経営の大先輩に「まさか、清ちゃんとこんな話が出来るようになるとは思わなかったよ!」と。
50歳近くになって、自分で考え、決断し、行動が出来る。確かに誰かが僕を守ってくれるわけではないので、その人生はシンドイと言えばシンドイです。でも、それだけ、自分がどうすればいいのか、常に考えて時間を過ごせるというのは、なんと幸運なんだろうと。その分、きっと学びが多いはずだから。そして、そんな生き方を通じて学んだ経験を必要としてくれる方々がいて、その方々の苦しみや喜びを共有できる現実って、なんて幸せなんだろう、そう思います。まさに幸せのスパイラルですね。
でも、その分、心にとげのように引っかかっていることがあります。
鬱病を患っているときに、ご迷惑をかけ、傷つけ、不快な思いをされて離れていった皆さんに嫌な思いをさせてしまった事です。正直、なんと表現していいのか、いまだに言葉が浮かびません。本当に申し訳ない、それだけじゃ不十分なのはよくわかっているのですが。どうお詫びをすればいいのか、全く見当もつきません。
でも、経験上、僕は運命論者ではないですが、これだけは言えます。
再会できる人には再会できるし、出来ない人との思い出は死ぬまで胸の中に残り続けるという事を。
もし再会することがあれば、その方が望むような距離感、付き合いがまた出来たら、と思っています。
そのためには、もっともっと自分を高めなきゃ。嫌な思いをさせてしまった分、より自分が成長して、その方のために出来ることを考え、行動できるような人間にならなきゃ、と。無論、相手が何を望んでいるかを考えたうえで。
歳をとる、という事は、しんどいことも多々ありますが・・・・
でも等身大の自分でいれば、歳をとった分、いろんな事を学び、経験できる。
歳を重ねるって、本当に幸せだな、と痛感しています。そして、いつかの再会を期待している自分がいます。甘い、と言われるかもしれないけれど。
清高、まだまだです。
2023年03月26日
【目撃者】ガジュマルは見ている!w
3月26日(日)
午後、帰宅出来たのでホームセンターに珍しく立ち寄り。
で、何を購入しに行ったかというと、なんと園芸用品です。
実は別居を期に、1人暮らしに戻った際に、なんとなく部屋が殺風景に感じたので、僕の身長(170cm)ぐらいあるガジュマルの木を購入して部屋に飾っているんです。ガジュマルを選んだのは…
①ガジュマル、育てやすいってオススメして頂いたから
②結婚生活を通じて沖縄が大好きになったから
③ペットを飼う自信がなかったので、観葉植物でも育ててみようかな、と思ったから
そういえば、この木を自宅まで運ぶのに、愛車ビートルの幌を開けて、無理くり積んで来たっけ。あれ、信号に止まる度にみなさんに見られて恥ずかしかったな。でも今となれば、あれも良い思い出です。w
で、肝心のガジュマル君、ここ数か月、あんまり元気がなくなってきてて。葉っぱが落ちるのは季節柄仕方ないのですが、新芽が出て来なくて。調べてみたら、どうも根腐りしているようで。解決策としては、大きい鉢に移し変える必要との事。本来であれば春先~梅雨ぐらいの期間に移し替えるのがベストらしいのだけど、流石にそこまで持たないんじゃないか、と。
で、決断しました。
園芸、土いじりなんてした事無いですが、ガジュマル君は唯一の同居人なので、長生きしてもらわなきゃ困るので。
鉢と受け皿、軽石、軽石を包むネット、観葉植物用の土、軍手、スコップ、新聞紙。なんせ身長が高いですから、鉢の直径は35cm、深さもそこそこ。かなり重い。スタッフさんに伺ったところ、この鉢、基本的に室外用らしいです。
それらを車に積み、自宅まで。お弁当屋さんの車なので台車をいつも積んでいて本当に良かった。w
そして、お家でベランダに新聞紙を敷いて初園芸。今までの鉢が小さかった、というより育ちすぎたのか、抜き取る作業だけで約15分。そこから、新しい鉢に、ネットで包んだ軽石を底にひき、購入して来た土を軽く乗せ、そこにガジュマル君を移植。前の鉢から抜いた土と、残りの土を混ぜて鉢に加えて。ただ、結構なサイズなので、なかなか直立出ず、スコップで刺しては土を混ぜの作業を繰り返して完成。多分、20分ぐらやっていたんじゃないかな。そして最後に、たっぷりのお水を注いで、作業していたベランダを片付けて作業終了。農家の皆さんは本当に大変だな、と痛感。
ガジュマル君、元気になってくれると良いのですが。
で、感じたことなんですが・・・
器、つまりキャパって大切だな、と。放っておいたら、ウチのガジュマル君みたいに根が詰まり、成長が止まり、衰弱してしまう。
だからこそ、どこかのタイミングで鉢を変えてあげないと、順調に育ってくれない。これって、人生と同じことなんじゃないか、と毎日水を差し、タイミングをみて鉢を植え替えないと、元気に育ってくれない。言い換えれば、毎日積み重ねたことを、どこかのタイミングで活かしたり、その先の事を考えてアクションしないと、成長していかない。まさに人生そのものなんじゃないかな、って。
もっと成長したいから、日々出来る事を続け、チャンスを活かさなきゃ成長は止まってしまう。つまり同じ日は決してなく、そこに満足していたら僕自身も根腐れしちゃう。逆に、チャンスを活かし、さらなる経験を積んでいければ、自分の器・キャパシティーを広げることになる。初めて植え替え、移し替えっていう行為をしてみて、そんな風に感じました。
当たり前の日常の中に、色々な気づきとチャンスがあり、チャレンジできる可能性がある。それを活かすも殺すも自分次第。
忙しさにかまけて、ガジュマル君、構ってあげれなくてごめんね。でも大切な事を教えてもらえたよ。本当にありがとう。
今度時間が出来たら…今の家に住み始めて2年半。大分、荷物が増えたので収納を整備しようと思っています。さてさて、何を感じるか、とても楽しみです。
日々の中に学びがある。
清高、まだまだです。
(今までの倍くらいの、大きな鉢になりました。ガジュマル君がもし言葉を話せたら…いろんなことを暴露されそうでマジで怖いですw)
午後、帰宅出来たのでホームセンターに珍しく立ち寄り。
で、何を購入しに行ったかというと、なんと園芸用品です。
実は別居を期に、1人暮らしに戻った際に、なんとなく部屋が殺風景に感じたので、僕の身長(170cm)ぐらいあるガジュマルの木を購入して部屋に飾っているんです。ガジュマルを選んだのは…
①ガジュマル、育てやすいってオススメして頂いたから
②結婚生活を通じて沖縄が大好きになったから
③ペットを飼う自信がなかったので、観葉植物でも育ててみようかな、と思ったから
そういえば、この木を自宅まで運ぶのに、愛車ビートルの幌を開けて、無理くり積んで来たっけ。あれ、信号に止まる度にみなさんに見られて恥ずかしかったな。でも今となれば、あれも良い思い出です。w
で、肝心のガジュマル君、ここ数か月、あんまり元気がなくなってきてて。葉っぱが落ちるのは季節柄仕方ないのですが、新芽が出て来なくて。調べてみたら、どうも根腐りしているようで。解決策としては、大きい鉢に移し変える必要との事。本来であれば春先~梅雨ぐらいの期間に移し替えるのがベストらしいのだけど、流石にそこまで持たないんじゃないか、と。
で、決断しました。
園芸、土いじりなんてした事無いですが、ガジュマル君は唯一の同居人なので、長生きしてもらわなきゃ困るので。
鉢と受け皿、軽石、軽石を包むネット、観葉植物用の土、軍手、スコップ、新聞紙。なんせ身長が高いですから、鉢の直径は35cm、深さもそこそこ。かなり重い。スタッフさんに伺ったところ、この鉢、基本的に室外用らしいです。
それらを車に積み、自宅まで。お弁当屋さんの車なので台車をいつも積んでいて本当に良かった。w
そして、お家でベランダに新聞紙を敷いて初園芸。今までの鉢が小さかった、というより育ちすぎたのか、抜き取る作業だけで約15分。そこから、新しい鉢に、ネットで包んだ軽石を底にひき、購入して来た土を軽く乗せ、そこにガジュマル君を移植。前の鉢から抜いた土と、残りの土を混ぜて鉢に加えて。ただ、結構なサイズなので、なかなか直立出ず、スコップで刺しては土を混ぜの作業を繰り返して完成。多分、20分ぐらやっていたんじゃないかな。そして最後に、たっぷりのお水を注いで、作業していたベランダを片付けて作業終了。農家の皆さんは本当に大変だな、と痛感。
ガジュマル君、元気になってくれると良いのですが。
で、感じたことなんですが・・・
器、つまりキャパって大切だな、と。放っておいたら、ウチのガジュマル君みたいに根が詰まり、成長が止まり、衰弱してしまう。
だからこそ、どこかのタイミングで鉢を変えてあげないと、順調に育ってくれない。これって、人生と同じことなんじゃないか、と毎日水を差し、タイミングをみて鉢を植え替えないと、元気に育ってくれない。言い換えれば、毎日積み重ねたことを、どこかのタイミングで活かしたり、その先の事を考えてアクションしないと、成長していかない。まさに人生そのものなんじゃないかな、って。
もっと成長したいから、日々出来る事を続け、チャンスを活かさなきゃ成長は止まってしまう。つまり同じ日は決してなく、そこに満足していたら僕自身も根腐れしちゃう。逆に、チャンスを活かし、さらなる経験を積んでいければ、自分の器・キャパシティーを広げることになる。初めて植え替え、移し替えっていう行為をしてみて、そんな風に感じました。
当たり前の日常の中に、色々な気づきとチャンスがあり、チャレンジできる可能性がある。それを活かすも殺すも自分次第。
忙しさにかまけて、ガジュマル君、構ってあげれなくてごめんね。でも大切な事を教えてもらえたよ。本当にありがとう。
今度時間が出来たら…今の家に住み始めて2年半。大分、荷物が増えたので収納を整備しようと思っています。さてさて、何を感じるか、とても楽しみです。
日々の中に学びがある。
清高、まだまだです。
(今までの倍くらいの、大きな鉢になりました。ガジュマル君がもし言葉を話せたら…いろんなことを暴露されそうでマジで怖いですw)
2023年03月19日
【私事ですが】コンプレックスは武器になるかも…
3月19日㈰
本当に私事で恐縮なのですが、この2か月間ドタバタしていて、2回ほど美容院の予約をキャンセルしてしまいました。まぁ、皆様ご存じのように、僕の頭頂部は見事に髪が薄くなっておりまして…別にそれを隠す訳でもないのですが、よく言う「バーコード親父」にはなりたくないので、ここ数年、短髪にカットしてもらってました。その短髪が2か月もカットできてないと、それは悲惨な訳で。w
で、木曜日のゴゴイチ、来週以降の予約を取るために美容院にTELしたところ、その日の最終(16:30)だったら最速で入れます、との事。
それは行くしかないでしょう…というわけで、仕事を一気に片付け、愛車をかっ飛ばし、美容院のある弘明寺まで。ただ、18時に某デザイナーさんと生麦でアポがあった為、気持ち早めに到着して良いか尋ねて16:20ぐらいに、カットシートに座ったわけです。
僕がカットをお願いしている女性美容師とは、かれこれ20年以上のお付き合い。その彼女曰く「清さん、折角、髪の毛伸びたから、サイドは刈り上げて、その他はあまりカットしなくても良い?多分、そっちの方が面白いと思う」と。正直、僕はう~ん、どうしようか?と。
実は、僕、子供の頃から結構キツイ天然パーマな人で、正直、長くするとアフロヘアのようになってしまうんです。しかも、ここ数年、ハゲが進行しているので、髪を伸ばすことに抵抗感があって。で、一瞬悩みましたが「面白いと思う」という彼女の言葉を信じてカットをお願いしました。
カットが終わり、完成形を見た時に・・・・
あれ、これ意外と良いかもって。アリでしょって。
(おっさんの自撮りなんて見たくないと思いますがw パーマをかけたみたいにクリクリでしょw)
それで思った事なんですが…自分がコンプレックスと思っていることを活かすと、意外と面白い結果になるんだな、と。無論、20年以上、担当している彼女だから、完成イメージが湧いたと思うのですが。意味がない、あるいは得意じゃない、と思う事が周囲から見ると、全然違う形に見え、価値を生む。
自分を客観視するだけでなく、客観的に見える人の意見を聞くこと、これってとっても大切だな、と。
そうすることで、新たな経験や感性を磨くことができる。これは仕事も人生も一緒だよな、と。
色々な人のいい所、苦手な所、自信のない所、それらをひっくるめて、どうやって魅力ある人・仕事をしてもらえるか?僕の主観だけではなく、信用・信頼する第三者の意見を聞いてアクションを起こすことって、絶対に必要だな、と。
20年彼女にカットし続けてもらって本当に良かったな。そして自分もかくありたいな、と。
日常の中にも、気づきや学びが沢山ある。
清高、まだまだです。
追記:リアルでお逢いした際、特に女子の皆さん、感想をお伺いできれば幸いです。w
本当に私事で恐縮なのですが、この2か月間ドタバタしていて、2回ほど美容院の予約をキャンセルしてしまいました。まぁ、皆様ご存じのように、僕の頭頂部は見事に髪が薄くなっておりまして…別にそれを隠す訳でもないのですが、よく言う「バーコード親父」にはなりたくないので、ここ数年、短髪にカットしてもらってました。その短髪が2か月もカットできてないと、それは悲惨な訳で。w
で、木曜日のゴゴイチ、来週以降の予約を取るために美容院にTELしたところ、その日の最終(16:30)だったら最速で入れます、との事。
それは行くしかないでしょう…というわけで、仕事を一気に片付け、愛車をかっ飛ばし、美容院のある弘明寺まで。ただ、18時に某デザイナーさんと生麦でアポがあった為、気持ち早めに到着して良いか尋ねて16:20ぐらいに、カットシートに座ったわけです。
僕がカットをお願いしている女性美容師とは、かれこれ20年以上のお付き合い。その彼女曰く「清さん、折角、髪の毛伸びたから、サイドは刈り上げて、その他はあまりカットしなくても良い?多分、そっちの方が面白いと思う」と。正直、僕はう~ん、どうしようか?と。
実は、僕、子供の頃から結構キツイ天然パーマな人で、正直、長くするとアフロヘアのようになってしまうんです。しかも、ここ数年、ハゲが進行しているので、髪を伸ばすことに抵抗感があって。で、一瞬悩みましたが「面白いと思う」という彼女の言葉を信じてカットをお願いしました。
カットが終わり、完成形を見た時に・・・・
あれ、これ意外と良いかもって。アリでしょって。
(おっさんの自撮りなんて見たくないと思いますがw パーマをかけたみたいにクリクリでしょw)
それで思った事なんですが…自分がコンプレックスと思っていることを活かすと、意外と面白い結果になるんだな、と。無論、20年以上、担当している彼女だから、完成イメージが湧いたと思うのですが。意味がない、あるいは得意じゃない、と思う事が周囲から見ると、全然違う形に見え、価値を生む。
自分を客観視するだけでなく、客観的に見える人の意見を聞くこと、これってとっても大切だな、と。
そうすることで、新たな経験や感性を磨くことができる。これは仕事も人生も一緒だよな、と。
色々な人のいい所、苦手な所、自信のない所、それらをひっくるめて、どうやって魅力ある人・仕事をしてもらえるか?僕の主観だけではなく、信用・信頼する第三者の意見を聞いてアクションを起こすことって、絶対に必要だな、と。
20年彼女にカットし続けてもらって本当に良かったな。そして自分もかくありたいな、と。
日常の中にも、気づきや学びが沢山ある。
清高、まだまだです。
追記:リアルでお逢いした際、特に女子の皆さん、感想をお伺いできれば幸いです。w
2023年02月15日
【孔子の教えから】温故知新、人はいつでも同じ
2月15日㈬、本当に久々に朝5時台に出社しました。
数年前、キッチンに入り調理を担当していたころは、それこそ4時5時は当たり前、場合によっては1時2時に出社していたものですが、メニューを固定化し、スタッフのみんなも各々の仕事をより高いレベルで行ってくれるようになったおかげで、1日500とか600食といった大量のご注文を頂いても、僕がキッチンに入ることは、ほぼなくなりました。
まぁ、それでも人員が足りず、お客様にご迷惑をおかけしているのは、経営者として恥ずべきことではあるのですが。。
閑話休題、最近、とっても感じることがあります。
インターネットの普及で、世の中、とっても便利になりました。どこにいても仕事は出来るし、買い物もできる。
でも、それって本当に意味があるのか?と。
例えば・・・・
より便利さ、快適さを追求するがあまり高級になってしまった商品、
あるいは便利さゆえに、ネット中心のコミュニケーションが主体となり、意思疎通が難しくなっている人間関係、
情報が多すぎて、マーケットが絞り込めず、やりたいことや、作りたい商品の価値を見出せない企業、経営者。
便利さの反面、実は世の中、その便利さを享受している人間自身が難しくしているのでは、と。
そんな事を思っていたら、大昔に読んだ孔子に、こんな言葉があったのを思い出しました。
Life is really simple but we insist on making it complicated
人生は本当に単純、しかし、私たちがそれを難しくしている。
色々考えすぎて、八方美人になっていないか?
色々考えすぎて、人に合わせて妥協ばかりしていないか?
色々考えすぎて、人に合わせようと頑張りすぎていないか?
単純化するという事は、自分自身を見つめなおすこと。
それはとっても勇気がいる事だけど、それが判れば、無理したり、必要以上に背伸びをしなくても良いのでは?と、最近思うようになりました。
やはり己を知る、という事は、とても強い、という事なんだと思います。
そして自分がシンプルになる、という事は、周囲からも理解されやすい。
これは人生にも、仕事にも言えるんじゃないかと。
単純化する勇気を持ち続けたい、心からそう思っています。
清高も、うお時も。
より単純に、そしてそれに全力を尽くす。
孔子の教え、50手前で理解できた気がします。あとは実践し続けるのみです。
追記:妙な例えで恐縮ですが・・・・
スズキ・アルト。これ、近年の自動車にしては、本当に必要な物しかついてない。でも、その分、リーズナブル。車=移動手段として考えるなら、別にそれ以上の便利さや快適さを求めなくても良い。これも単純化の一つの答え、そして商品ブランドですよね。シンプルという事は、やっぱりわかりやすい、という事なんだな、と改めて思う商品です。
数年前、キッチンに入り調理を担当していたころは、それこそ4時5時は当たり前、場合によっては1時2時に出社していたものですが、メニューを固定化し、スタッフのみんなも各々の仕事をより高いレベルで行ってくれるようになったおかげで、1日500とか600食といった大量のご注文を頂いても、僕がキッチンに入ることは、ほぼなくなりました。
まぁ、それでも人員が足りず、お客様にご迷惑をおかけしているのは、経営者として恥ずべきことではあるのですが。。
閑話休題、最近、とっても感じることがあります。
インターネットの普及で、世の中、とっても便利になりました。どこにいても仕事は出来るし、買い物もできる。
でも、それって本当に意味があるのか?と。
例えば・・・・
より便利さ、快適さを追求するがあまり高級になってしまった商品、
あるいは便利さゆえに、ネット中心のコミュニケーションが主体となり、意思疎通が難しくなっている人間関係、
情報が多すぎて、マーケットが絞り込めず、やりたいことや、作りたい商品の価値を見出せない企業、経営者。
便利さの反面、実は世の中、その便利さを享受している人間自身が難しくしているのでは、と。
そんな事を思っていたら、大昔に読んだ孔子に、こんな言葉があったのを思い出しました。
Life is really simple but we insist on making it complicated
人生は本当に単純、しかし、私たちがそれを難しくしている。
色々考えすぎて、八方美人になっていないか?
色々考えすぎて、人に合わせて妥協ばかりしていないか?
色々考えすぎて、人に合わせようと頑張りすぎていないか?
単純化するという事は、自分自身を見つめなおすこと。
それはとっても勇気がいる事だけど、それが判れば、無理したり、必要以上に背伸びをしなくても良いのでは?と、最近思うようになりました。
やはり己を知る、という事は、とても強い、という事なんだと思います。
そして自分がシンプルになる、という事は、周囲からも理解されやすい。
これは人生にも、仕事にも言えるんじゃないかと。
単純化する勇気を持ち続けたい、心からそう思っています。
清高も、うお時も。
より単純に、そしてそれに全力を尽くす。
孔子の教え、50手前で理解できた気がします。あとは実践し続けるのみです。
追記:妙な例えで恐縮ですが・・・・
スズキ・アルト。これ、近年の自動車にしては、本当に必要な物しかついてない。でも、その分、リーズナブル。車=移動手段として考えるなら、別にそれ以上の便利さや快適さを求めなくても良い。これも単純化の一つの答え、そして商品ブランドですよね。シンプルという事は、やっぱりわかりやすい、という事なんだな、と改めて思う商品です。
2023年02月06日
【FPオフィスあしたば】投資家向けセミナー講師デビューです
2月5日、株式会社あしたば様のお誘いで、小1時間ほど講師を務めさせて頂きました。
あしたば様は会員向け独立ファイナンシャルプランナー・オフィス様です。
今回、このオフィスの会員様向けセミナーに登壇させて頂いたのですが…
考えてみたら金融関連のセミナーでお話などしたことはなく…
また前半の安藤社長のお話が面白くて、久々にド緊張での登壇となりました。しかも、当日の雰囲気が判らなかったので、パワーポイントや資料は一切用意せず、全てアドリブ、フィーリングでの50分。我ながら無謀でした。
約50名の参加。しかも、写真をご覧頂いてお分かりのように、超満員。
まぁ何とか、自分が目指す経営・経営者像を経験を通じてお話しすることが出来ました。
参加者の皆様は投資家の方々なので、その点をうまく伝えられたか、とっても不安ですが、なにはともあれ、拙いながらもお話、完了です。
そして、僕のお話のあとに…公開処刑(笑
弊社のお弁当をお召し上がりながらのランチ会!
今回は安藤社長のリクエストで、横浜うお時から「ぶりの味噌焼き弁当」
洋食喫茶イセザキから「鰆のケイジャン風弁当」と「鯖フライトマトソース弁当」の3種をご用意。
簡単にご説明した後、皆様に選んでいただきました。
約1時間のランチ会でしたが、皆様にご満足して頂けたようで一安心。
なかなか、これほどまでに参加される方々が違う場所でお話をする機会が無いですよね。伝え方や言葉、僕なりに考えてお話し出来たこと、少しだけ満足できました。ただ、もっとわかりやすく、楽しく、お伝えできればよかったな、と反省しています。また機会があったら、もう少しシンプルにお話したいと思います。
いずれにしても、今回、とても貴重な機会を頂いたあしたばの安藤社長、福永さん、本当にありがとうございました!
あしたば様のホームページ、下記に貼り付けておきますので、是非、ご覧ください!
株式会社あしたば https://ashitaba-mirai.jp/
また、今回のセミナー内容はこんな感じでした。
あしたば様は会員向け独立ファイナンシャルプランナー・オフィス様です。
今回、このオフィスの会員様向けセミナーに登壇させて頂いたのですが…
考えてみたら金融関連のセミナーでお話などしたことはなく…
また前半の安藤社長のお話が面白くて、久々にド緊張での登壇となりました。しかも、当日の雰囲気が判らなかったので、パワーポイントや資料は一切用意せず、全てアドリブ、フィーリングでの50分。我ながら無謀でした。
約50名の参加。しかも、写真をご覧頂いてお分かりのように、超満員。
まぁ何とか、自分が目指す経営・経営者像を経験を通じてお話しすることが出来ました。
参加者の皆様は投資家の方々なので、その点をうまく伝えられたか、とっても不安ですが、なにはともあれ、拙いながらもお話、完了です。
そして、僕のお話のあとに…公開処刑(笑
弊社のお弁当をお召し上がりながらのランチ会!
今回は安藤社長のリクエストで、横浜うお時から「ぶりの味噌焼き弁当」
洋食喫茶イセザキから「鰆のケイジャン風弁当」と「鯖フライトマトソース弁当」の3種をご用意。
簡単にご説明した後、皆様に選んでいただきました。
約1時間のランチ会でしたが、皆様にご満足して頂けたようで一安心。
なかなか、これほどまでに参加される方々が違う場所でお話をする機会が無いですよね。伝え方や言葉、僕なりに考えてお話し出来たこと、少しだけ満足できました。ただ、もっとわかりやすく、楽しく、お伝えできればよかったな、と反省しています。また機会があったら、もう少しシンプルにお話したいと思います。
いずれにしても、今回、とても貴重な機会を頂いたあしたばの安藤社長、福永さん、本当にありがとうございました!
あしたば様のホームページ、下記に貼り付けておきますので、是非、ご覧ください!
株式会社あしたば https://ashitaba-mirai.jp/
また、今回のセミナー内容はこんな感じでした。
2022年04月09日
おせっかいな昭和の日本人。。
サヘル・ローズさんが、『日本で失われつつある「お節介文化」に命を救われた。血縁がなくとも心で結びついた人たちに
「大丈夫?」と声をかけられて』という手記を書かています。
この手記を読んだ時に、確かに僕の子供の頃は、こんな感じだったなぁ~と懐かしく感じました。
祖父母・両親ともに商売で忙しかったので、近くの中華屋さん・畳屋さん、スナックのママさんのお店に行って晩御飯をご馳走になったり、近所のおじさん達が両親に代わって、ご自身の家族旅行に僕らを連れて行ってくれたり・・・・家族というより、地域、街に育てられた、そんな気がします。
そのせいか、常に誰かの為に何が出来るか‥‥って意識が強いと自覚してます。しかも15名のスタッフを抱えている身としては、1人1人の事を考えつつ、みんなをどうまとめていくか、これは非常に難しい問題です。
正直、頭の中では、人は人、自分は自分、と理解しているんだけど、心の中は上記の通り、誰かの為に、という意識が強いから、どうしてもギャップに苦しんでしまう自分がいる。人によっては自己顕示欲、自己満足でしょ、と指摘する方もいるのは承知しているんですが、僕が生まれ育った下町では、ある意味、優しさ=おせっかい、な部分があったから。
この数年間、色んなことが有りました。それを乗り越えられたのは間違いなく周囲の方々、スタッフの協力があったからに他なりません。そんな方々の為に恩返しというか、出来る事をしていきたい。だけど、どこまで相手の領域まで踏み込んで良いものか?と悩んでいる自分がいます。
よく自分がしたいことをすればいいじゃん、と言われます。でも、自分がしたいことは自分一人では出来ない事ばかり。まぁ鍛え抜かれたポンコツなのは自分でも良くわかってるんですが、本当に悩んでます。
親父が亡くなって、もうじき丸4年。存命中の親父をご存知の方なら分かると思いますが、いい意味で自由人、悪い意味で自分勝手。あぁなりたくないなぁ~と思い生きるようになって、もう40年近く。反面教師として親父の事を思っていた自分ですが、もし今、親父が生きてたら、相談してみたかったな、と心から思います。まぁ、多分、「なんも考えるな」と言われるのが関の山だと思いますが。w
多分、答えが出ない問題を悩んでも仕方がない、っていうのが現段階の回答なんでしょうね。
自分らしく生きるって、本当に難しいですね。
「大丈夫?」と声をかけられて』という手記を書かています。
この手記を読んだ時に、確かに僕の子供の頃は、こんな感じだったなぁ~と懐かしく感じました。
祖父母・両親ともに商売で忙しかったので、近くの中華屋さん・畳屋さん、スナックのママさんのお店に行って晩御飯をご馳走になったり、近所のおじさん達が両親に代わって、ご自身の家族旅行に僕らを連れて行ってくれたり・・・・家族というより、地域、街に育てられた、そんな気がします。
そのせいか、常に誰かの為に何が出来るか‥‥って意識が強いと自覚してます。しかも15名のスタッフを抱えている身としては、1人1人の事を考えつつ、みんなをどうまとめていくか、これは非常に難しい問題です。
正直、頭の中では、人は人、自分は自分、と理解しているんだけど、心の中は上記の通り、誰かの為に、という意識が強いから、どうしてもギャップに苦しんでしまう自分がいる。人によっては自己顕示欲、自己満足でしょ、と指摘する方もいるのは承知しているんですが、僕が生まれ育った下町では、ある意味、優しさ=おせっかい、な部分があったから。
この数年間、色んなことが有りました。それを乗り越えられたのは間違いなく周囲の方々、スタッフの協力があったからに他なりません。そんな方々の為に恩返しというか、出来る事をしていきたい。だけど、どこまで相手の領域まで踏み込んで良いものか?と悩んでいる自分がいます。
よく自分がしたいことをすればいいじゃん、と言われます。でも、自分がしたいことは自分一人では出来ない事ばかり。まぁ鍛え抜かれたポンコツなのは自分でも良くわかってるんですが、本当に悩んでます。
親父が亡くなって、もうじき丸4年。存命中の親父をご存知の方なら分かると思いますが、いい意味で自由人、悪い意味で自分勝手。あぁなりたくないなぁ~と思い生きるようになって、もう40年近く。反面教師として親父の事を思っていた自分ですが、もし今、親父が生きてたら、相談してみたかったな、と心から思います。まぁ、多分、「なんも考えるな」と言われるのが関の山だと思いますが。w
多分、答えが出ない問題を悩んでも仕方がない、っていうのが現段階の回答なんでしょうね。
自分らしく生きるって、本当に難しいですね。
2022年02月06日
【ちと重い内容になるかも】生き方、生き様について
ご存じの方も多いと思いますが、僕は鬱病を抱えながら、会社経営しています。そうなったのは色々な理由が複合的に重なって、精神がパンクしてしまった訳ですが。
ただ人生って面白いのは鬱病と診断されて、まず考えたのが「仕事の仕方を変えよう!」と。全て僕が指示、命令をするのではなく、スタッフがみんなで工夫、考えて僕に「ボス、これでやりたいんですが・・・」という状態に持っていくためにはどうすれば良いのだろう?って。
結論から言うと、数人の中堅スタッフとFBのメッセンジャー機能を作い情報発信&共有出来るようにし、経営的課題や月次の数字報告等をオープンにする事で、経営者的意識づくりをし、少しづつ、目指している方向に向かって来てます。そこは満足してる部分と言えるかも知れません。なんせ、アルバイトの面接をアルバイトが行うような会社になった訳ですから、これって大変化ですよね。
他方、社長としての僕でない部分、つまりプライベートな僕は、今、本当に空っぽな状態です。使命感?義務感?で親父から会社を引き継いで18年目。考えたら仕事中毒で、気がつけば50手前のおっさんになってる。病気とは言え、守るべき人を守れなかった、大切な友人も疎遠になった。
家族の中にも亀裂というか、溝みたいな物が出来てしまった。会社は守れたけど、目指していたゴールイメージと真逆な結果になってる。孤立感、後悔や虚無感。こんなはずじゃなかったのに、と。
先日、ウチの編集長が僕の事をこんな風に濱街沿線ダイアリーの記事の中で書いてました。『編集長細山から見た渡邉社長(通称ボス)は、とにかく人が大好きな人です。見た感じは一見、怖い感じがしますが、優しくて自分の事よりも相手の事をいつも考えてくれます。トラブルがあっても、すぐに改善策を考えてくれたり、時には、自分が悪者になればいいと、悪役を演じてくれることもしばしばあるので、誤解してしまっている方も多いのかもしれません。寂しがり屋で、たまに面倒くさいな!と感じることもあります。しかし、全てをさらけ出してくれるからこそ一緒に仕事が出来ているのだと感じています。』
主観で書いて良いよ、事前に言ってはいたのですが、意外な文章(評価)だったので、正直驚きました。僕ってこういう風に見られてるのか?って。
本当の僕は人付き合いが苦手で、そんな積極的ではないし。正直言えば、パーティや初対面の人は苦手だし、人の話を聞くのは苦手だし。でも興味を持ったら一直線みたいな。
やっぱり、僕は死ぬまで仕事中毒で走り続けなきゃいけないんだろうか?この虚無感を感じながら。
金持ちになりたい訳でもないし、名声を得ようとは思わないけど。幸せって、自己満足とはなんだろう?と自問する日々が続いています。
答えはまだ見つかってない。
でも人生は有限だから、前に進み続けなきゃいけない。
だけど、パワーが足りない。僕はどうすれば良いのだろうか?
自分らしく生きるって、当たり前のようだけど、難しいですよね。本当に。
2021年12月31日
【ワクワク感が止まりません】2021年を振り返って
本日は、2021年12月31日。昨年の今日はコロナに罹り、自宅で1人隔離療養生活の真っ只中でした。
ちなみに昨年のコロナ療養の様子はこちらでご覧ください。 https://kiyotaka.uotoki.com/e1592667.html
振り返ってみれば、その後も、今年はいろんなことが起きました。経営、家族、夫婦、交友関係の問題、悩み、そして鬱病の再発。
正直、良く生き残れたな、その位、心身ともにボロボロな状態でした。死んでいてもおかしくなかった。間違いなく、人生の中で最も辛い1年だったと思います。そんな僕を支えて下さった皆様に、まず心から感謝と御礼を申し上げたいと思います。
今年を振り返って思う事は2つあります。
1つは、自分一人で出来る事には限りがあるという事。様々な人の思いや、気持ちを全て受け止めて、それらを全て自分一人の力で対応することは非常に難しい、という事です。言い換えれば、周りの期待や要求に対してベストを尽くそうとするあまり、自分の心のキャパを完全に超えてしまった、結果、自分の生き方や思いに正直に生きれなくなり、自信を失い、鬱病になった自分を責め続けるという悪循環を繰り返していたと思います。
かかりつけのドクター、というより最早友達と相談して、一念発起。夏過ぎから仕事の仕方を変えました。一応社長さんなので会社を完全に休む事は難しいので、基本的なオペレーションはスタッフに任せ、僕は自宅で経理や財務、新ブランドの構築(企画)等を考える、そんな立ち位置で仕事をするようになりました。そうしたら、今まで消極的だったスタッフが少しづつではあるけれども、自分たちで考え、業務改善を自主的にするようになった。そして僕も妙な表現ですが、会社と距離を置くことで、今まで見えなかった事が見えるようになってきました。文字通り、距離を置くことって大切なんだな、と学びました。
これは会社だけでなく、人間関係においても同じことが言えるんじゃないか?と。何かをしてあげよう、喜んでもらおう、という気持ちがあまりに強かったのでは、と最近考えるようになりました。人、そしてその人の気持ちを理解するには、本当はすごく時間がかかる筈なのに、自分のイメージというか、条件反射的に、この人はこんな人だから、と想像して動いてたんじゃないか?と。まぁ、それは、相手への思いの裏返しでもある訳ですが。
でも、相手からしたら、「そんなの望んでないよ」って事が多々あったな、と。
なので、2022年、僕は「焦らない」をテーマに生きていきたいと思っています。じっくり、ゆっくり、相手の望んでいることを見定めて、その人が求めているレベルで、出来る事をやる、そんなイメージです。
2つ目は、どんなしんどい状況でも、hope(希望)を持ち続けるという事。
例え、それが叶わないかもと思う事でも、希望を持ち続ければ、その時抱えている問題を1つ1つ、超えていく事が出来る。
正直、僕の場合は、これでもかっていうくらいの複数の問題や悩みを一気に抱えてしまって、心がパンクしてしまった訳です。例えていうなら、ひもを解こうとしたら、余計にグチャグチャになってしまった、みたいな。
それを解決するには、1つ1つ解いていかなきゃいけない。1つ1つをクリアーする度に、「あぁ、まだこんなに問題残っているんだ」と思わず、「やれば出来るじゃん、俺」と自分を内心でほめてあげる事。そして、それら問題が全て解決したら、きっとこんな風になる、なれるんじゃないか、という希望を忘れずに思い続ければ、どんなに苦しくても、スピードは遅くても、1つ1つに逃げずに立ち向かっていける。だって頑張り続ければ、希望に近づける訳だから。なので、苦境に陥っても、絶対に希望を見失わない、それが生きていくうえでとっても大切なんだな、と実感しました。
まぁ、はっきり言えば、僕は、訓練されたポンコツだったことに気づいた年だったという事です。人の為に生きたいってプログラムされたポンコツロボット。自分の為ではなくてね。w その結果、鬱病になった。そしてこの病気はおそらく一生付き合っていかなきゃいけない病気だと思います。
でも、上記2つが分かったことで、僕は乗り越えられる気がしています。だって、今の僕には、やりたい事、チャレンジしたいことが沢山ありますから。
人が求める事ではなく、自分がしたいことから始める。
当たり前のことかもしれませんが、それが一番大切なんだなっと気づいた1年でした。
というわけで、僕がチャレンジ、より力を入れて取り組みたいのは、下記2点。両方とも仕事というのが僕らしいw
1つ目はご存知「濱街沿線ダイアリー」
https://blog.hama1.jp/
細山編集長と偶然出会い、スタートした本プロジェクト。運用は、編集長を中心としたママさんライターさんに任せていますが、経営者としてみると、このサイトには地域振興という、とっても大きく、社会貢献できる方法が沢山ある事に気づきました。このサイトを活用すれば、もっと面白いビジネスが出来るんじゃないか、とワクワクしています。それは、濱街沿線ダイアリーの地域だけでなく、他の地域の振興にもお手伝い出来る可能性を秘めています。そんなことをやった人はいない、これ以上のワクワクは無いですよね。なので、昨年以上に、この部門に力を入れて取り組んでいきたいと思ってます。
2つ目は、新ブランド、新商品をどんどん作っていきます。
https://gochikuru.com/store/3853/
2021年末、ギリギリにローンチできた新ブランド「洋食喫茶イセザキ」。
これは、僕が子供の頃、お祖父ちゃんに作ってもらったメニューの現代風リメイクです。やっぱり、僕には料理人の血が流れてる。僕の作った(考えた)料理を皆さんが召し上がり、笑顔になる。こんな幸せないじゃないですか。まぁ、これも、この1年でほぼ毎日食事を作り続けて痛感したことなのですが。なので、より多くのお客様の笑顔をみたいから、この新ブランド同様、地域性・旬を活かしたお弁当の開発や、濱乃やブランドのリニューアルも検討中です。うお時らしく、僕らしく、皆さんにもっと美味しい物、忘れられない商品をもっと作りたい、その思いが心の中いっぱいです。
2021年、本当に心身ともに厳しい1年でした。でも、その分、自分を見つめなおす事が出来た気がします。
そして、自分が何をして生きていきたいのかが、すごくわかった気がします。2022年、すごく楽しい1年に必ずなるような気がします。
皆様にとっても、素敵な1年になりますように。よいお正月をお過ごしください。
ちなみに昨年のコロナ療養の様子はこちらでご覧ください。 https://kiyotaka.uotoki.com/e1592667.html
振り返ってみれば、その後も、今年はいろんなことが起きました。経営、家族、夫婦、交友関係の問題、悩み、そして鬱病の再発。
正直、良く生き残れたな、その位、心身ともにボロボロな状態でした。死んでいてもおかしくなかった。間違いなく、人生の中で最も辛い1年だったと思います。そんな僕を支えて下さった皆様に、まず心から感謝と御礼を申し上げたいと思います。
今年を振り返って思う事は2つあります。
1つは、自分一人で出来る事には限りがあるという事。様々な人の思いや、気持ちを全て受け止めて、それらを全て自分一人の力で対応することは非常に難しい、という事です。言い換えれば、周りの期待や要求に対してベストを尽くそうとするあまり、自分の心のキャパを完全に超えてしまった、結果、自分の生き方や思いに正直に生きれなくなり、自信を失い、鬱病になった自分を責め続けるという悪循環を繰り返していたと思います。
かかりつけのドクター、というより最早友達と相談して、一念発起。夏過ぎから仕事の仕方を変えました。一応社長さんなので会社を完全に休む事は難しいので、基本的なオペレーションはスタッフに任せ、僕は自宅で経理や財務、新ブランドの構築(企画)等を考える、そんな立ち位置で仕事をするようになりました。そうしたら、今まで消極的だったスタッフが少しづつではあるけれども、自分たちで考え、業務改善を自主的にするようになった。そして僕も妙な表現ですが、会社と距離を置くことで、今まで見えなかった事が見えるようになってきました。文字通り、距離を置くことって大切なんだな、と学びました。
これは会社だけでなく、人間関係においても同じことが言えるんじゃないか?と。何かをしてあげよう、喜んでもらおう、という気持ちがあまりに強かったのでは、と最近考えるようになりました。人、そしてその人の気持ちを理解するには、本当はすごく時間がかかる筈なのに、自分のイメージというか、条件反射的に、この人はこんな人だから、と想像して動いてたんじゃないか?と。まぁ、それは、相手への思いの裏返しでもある訳ですが。
でも、相手からしたら、「そんなの望んでないよ」って事が多々あったな、と。
なので、2022年、僕は「焦らない」をテーマに生きていきたいと思っています。じっくり、ゆっくり、相手の望んでいることを見定めて、その人が求めているレベルで、出来る事をやる、そんなイメージです。
2つ目は、どんなしんどい状況でも、hope(希望)を持ち続けるという事。
例え、それが叶わないかもと思う事でも、希望を持ち続ければ、その時抱えている問題を1つ1つ、超えていく事が出来る。
正直、僕の場合は、これでもかっていうくらいの複数の問題や悩みを一気に抱えてしまって、心がパンクしてしまった訳です。例えていうなら、ひもを解こうとしたら、余計にグチャグチャになってしまった、みたいな。
それを解決するには、1つ1つ解いていかなきゃいけない。1つ1つをクリアーする度に、「あぁ、まだこんなに問題残っているんだ」と思わず、「やれば出来るじゃん、俺」と自分を内心でほめてあげる事。そして、それら問題が全て解決したら、きっとこんな風になる、なれるんじゃないか、という希望を忘れずに思い続ければ、どんなに苦しくても、スピードは遅くても、1つ1つに逃げずに立ち向かっていける。だって頑張り続ければ、希望に近づける訳だから。なので、苦境に陥っても、絶対に希望を見失わない、それが生きていくうえでとっても大切なんだな、と実感しました。
まぁ、はっきり言えば、僕は、訓練されたポンコツだったことに気づいた年だったという事です。人の為に生きたいってプログラムされたポンコツロボット。自分の為ではなくてね。w その結果、鬱病になった。そしてこの病気はおそらく一生付き合っていかなきゃいけない病気だと思います。
でも、上記2つが分かったことで、僕は乗り越えられる気がしています。だって、今の僕には、やりたい事、チャレンジしたいことが沢山ありますから。
人が求める事ではなく、自分がしたいことから始める。
当たり前のことかもしれませんが、それが一番大切なんだなっと気づいた1年でした。
というわけで、僕がチャレンジ、より力を入れて取り組みたいのは、下記2点。両方とも仕事というのが僕らしいw
1つ目はご存知「濱街沿線ダイアリー」
https://blog.hama1.jp/
細山編集長と偶然出会い、スタートした本プロジェクト。運用は、編集長を中心としたママさんライターさんに任せていますが、経営者としてみると、このサイトには地域振興という、とっても大きく、社会貢献できる方法が沢山ある事に気づきました。このサイトを活用すれば、もっと面白いビジネスが出来るんじゃないか、とワクワクしています。それは、濱街沿線ダイアリーの地域だけでなく、他の地域の振興にもお手伝い出来る可能性を秘めています。そんなことをやった人はいない、これ以上のワクワクは無いですよね。なので、昨年以上に、この部門に力を入れて取り組んでいきたいと思ってます。
2つ目は、新ブランド、新商品をどんどん作っていきます。
https://gochikuru.com/store/3853/
2021年末、ギリギリにローンチできた新ブランド「洋食喫茶イセザキ」。
これは、僕が子供の頃、お祖父ちゃんに作ってもらったメニューの現代風リメイクです。やっぱり、僕には料理人の血が流れてる。僕の作った(考えた)料理を皆さんが召し上がり、笑顔になる。こんな幸せないじゃないですか。まぁ、これも、この1年でほぼ毎日食事を作り続けて痛感したことなのですが。なので、より多くのお客様の笑顔をみたいから、この新ブランド同様、地域性・旬を活かしたお弁当の開発や、濱乃やブランドのリニューアルも検討中です。うお時らしく、僕らしく、皆さんにもっと美味しい物、忘れられない商品をもっと作りたい、その思いが心の中いっぱいです。
2021年、本当に心身ともに厳しい1年でした。でも、その分、自分を見つめなおす事が出来た気がします。
そして、自分が何をして生きていきたいのかが、すごくわかった気がします。2022年、すごく楽しい1年に必ずなるような気がします。
皆様にとっても、素敵な1年になりますように。よいお正月をお過ごしください。
2021年12月15日
【感慨深いなぁ】久々の実食
ロケ弁屋さんには、良くあることなのですが、お客様都合で急遽、お弁当の配送個数が減ってしまう事があります。例えば、天気で現場が変更になったり、予定より早く撮影が終わってしまいそうなので・・・など。
無論、当日の個数変更ですから、全額、御請求をさせて頂いておりますが。まぁ、今日、そんなことが有りまして・・・
久々に、自社のお弁当を自宅に持ち帰り晩御飯、実食しました。
総菜の味を、たまにチェックしていますが、商品自体を食べるのは久々。
で、正直な感想を言うと、「美味い」と思いました。胸を張って、「本当に美味い」と。
そして、とっても感慨深い気持ちになりました。
僕は30歳の時に、サラリーマンを辞し、実家「うお時」に戻ってきました。その頃はまだ有限会社で、ロケ弁屋ではなく、所謂、法人給食屋さん。有名な会社さんでいえば玉〇屋さんみたいな。朝、お弁当を注文すると、昼には日替わりの低価格弁当が届く。そんなお弁当屋さん。
ただ、みなとみらい地区の開発(ランドマークタワーの現場や周辺の建築現場等)が大方終わり、バブルもはじけて、売り上げは落ち、廃業寸前でした。それだけでもシンドイのに、僕にとって1番ショックだったのは、当時の経営者、つまり父や叔母、そして従業員のみんなが、みんな自信を失っていた事なんです。
自分たちが、魚を捌き、野菜を切り、全て手作りで作っていたお弁当、それを作っている自分たちが「美味しくない」、と思っている現実。
飲食店で、目の前でお客様をおもてなしするビジネスをしていた僕にとっては、その状況は全く想像だにすることができない現状でした。
あれから17年。いろんな事がありました。
成功も失敗も。スタッフも2/3くらい入れ替わりました。
法人給食をやめ、ロケ弁屋さんにターゲットを転換し続けてからも、お弁当を作り続けてきました。
この業態転換のきっかけは、日替わりではなく、メニューを固定化することで、味のブレを無くすことを考えたからです。つまり応用問題を解くのではなく、基礎力を徹底的に高めていくみたいな。自分たちの能力で出来ることの範囲を決め、それを徹底的に高めていく。そんなイメージです。
そして3年前、紆余曲折がありましたが、うお時史上、最大のリ・ブランド化に踏み切りました。以前よりも基礎力が高まり、よりお客様に認知、ご満足して頂けるように、60年以上守ってきたロゴを変え、メニューを固定して。結果、売上も順調に回復してきた時に、コロナが襲ってきました。これは僕にとっては、本当に最後の大勝負でした。多分、ここで失敗していたら、今、このブログを書いていることはなかったと思います。
コロナ禍で、幸いなことに神奈川県の療養者施設にお弁当を納品することが出来、なんとか、会社を守る事が出来ました。その頃から、お客様から、メールや口コミ等で「うお時の弁当は美味しい」という声やコメントを見るようになりました。でも、古くからいるスタッフはそれでも疑心暗鬼で。
で、先日、母が、「最近、うちのお弁当、美味しいと思うのよね」と。
よくよく見れば、古くからいるスタッフの顔つきが、以前と全然違う事に気づいたのです。あれ、会社の雰囲気が昔と全然ちがう、と。ひょっとして、自分たちも「うちの弁当は美味い」と思うようになったんじゃないか、って。
そして、今日、久々に弁当をちゃんと食べて、自分の確信になったのです。僕らが作るお弁当は、どこに出しても恥ずかしくない、本当に美味い弁当だ、と。
なかなか自信を持って、プライドを持って仕事をすることは難しい事だと思います。
でも、日々、出来ることをコツコツとやり続け、工夫やアイディアを積み重ねていくと、商品のクオリティは向上し、自分たちがつくる商品に自信やプライドを持てるようになる。そうなるためには、本当に途方もないほどの繰り返しと、工夫をし続ける事なんじゃないか?
それは商品だけでなく、人生や人付き合いも同じじゃないか?と。つまり、焦らない、じっくりと時間をかけて一緒に構築していく。
それが分かるまで、僕は17年間かかりました。
そしてうお時は、17年で少し成長しました。
でも、まだまだです。
この自信やプライドに満足することなく、更にお客様にご満足して頂く商品を作り続けていくのには、どうすればいいのか?
それをスタッフみんなが常に考え、発信、チャレンジしていける環境を作っていきたい。
今までの成功体験に満足せず、貪欲に、顧客満足という結果を追い求めていきたい。そんな組織にしていきたい。
うお時も、僕自身も、2022年、自らの殻を打ち破る、そんな年にしたいと思います。
これから17年、ひょっとしたら必要になるかもしれませんが、そのスタートは、自信をもちつつ、でも、そこに甘えない組織を目指すことから始まる、と信じて。
無論、僕の人生も会社同様、焦らず、じっくり考え、反省、失敗をすべき点を見つめなおして、それを活かす。より自分らしく生きていくために。もっと貪欲に人生を愉しむために。自分を信じて。
まずは、今の自分(自分達)が出来ることを決めて、毎日、出来ることを愚直に突き詰めていく。そして工夫やアイディアをトライ&エラーを恐れずにし続けていく。
全ては信じることから始まる。
会社だけでなく、自分自身にとっても、感慨深い実食、忘れられない実食になりました。。きっと、今晩の事は、死ぬまで忘れることはないと思います。
無論、当日の個数変更ですから、全額、御請求をさせて頂いておりますが。まぁ、今日、そんなことが有りまして・・・
久々に、自社のお弁当を自宅に持ち帰り晩御飯、実食しました。
総菜の味を、たまにチェックしていますが、商品自体を食べるのは久々。
で、正直な感想を言うと、「美味い」と思いました。胸を張って、「本当に美味い」と。
そして、とっても感慨深い気持ちになりました。
僕は30歳の時に、サラリーマンを辞し、実家「うお時」に戻ってきました。その頃はまだ有限会社で、ロケ弁屋ではなく、所謂、法人給食屋さん。有名な会社さんでいえば玉〇屋さんみたいな。朝、お弁当を注文すると、昼には日替わりの低価格弁当が届く。そんなお弁当屋さん。
ただ、みなとみらい地区の開発(ランドマークタワーの現場や周辺の建築現場等)が大方終わり、バブルもはじけて、売り上げは落ち、廃業寸前でした。それだけでもシンドイのに、僕にとって1番ショックだったのは、当時の経営者、つまり父や叔母、そして従業員のみんなが、みんな自信を失っていた事なんです。
自分たちが、魚を捌き、野菜を切り、全て手作りで作っていたお弁当、それを作っている自分たちが「美味しくない」、と思っている現実。
飲食店で、目の前でお客様をおもてなしするビジネスをしていた僕にとっては、その状況は全く想像だにすることができない現状でした。
あれから17年。いろんな事がありました。
成功も失敗も。スタッフも2/3くらい入れ替わりました。
法人給食をやめ、ロケ弁屋さんにターゲットを転換し続けてからも、お弁当を作り続けてきました。
この業態転換のきっかけは、日替わりではなく、メニューを固定化することで、味のブレを無くすことを考えたからです。つまり応用問題を解くのではなく、基礎力を徹底的に高めていくみたいな。自分たちの能力で出来ることの範囲を決め、それを徹底的に高めていく。そんなイメージです。
そして3年前、紆余曲折がありましたが、うお時史上、最大のリ・ブランド化に踏み切りました。以前よりも基礎力が高まり、よりお客様に認知、ご満足して頂けるように、60年以上守ってきたロゴを変え、メニューを固定して。結果、売上も順調に回復してきた時に、コロナが襲ってきました。これは僕にとっては、本当に最後の大勝負でした。多分、ここで失敗していたら、今、このブログを書いていることはなかったと思います。
コロナ禍で、幸いなことに神奈川県の療養者施設にお弁当を納品することが出来、なんとか、会社を守る事が出来ました。その頃から、お客様から、メールや口コミ等で「うお時の弁当は美味しい」という声やコメントを見るようになりました。でも、古くからいるスタッフはそれでも疑心暗鬼で。
で、先日、母が、「最近、うちのお弁当、美味しいと思うのよね」と。
よくよく見れば、古くからいるスタッフの顔つきが、以前と全然違う事に気づいたのです。あれ、会社の雰囲気が昔と全然ちがう、と。ひょっとして、自分たちも「うちの弁当は美味い」と思うようになったんじゃないか、って。
そして、今日、久々に弁当をちゃんと食べて、自分の確信になったのです。僕らが作るお弁当は、どこに出しても恥ずかしくない、本当に美味い弁当だ、と。
なかなか自信を持って、プライドを持って仕事をすることは難しい事だと思います。
でも、日々、出来ることをコツコツとやり続け、工夫やアイディアを積み重ねていくと、商品のクオリティは向上し、自分たちがつくる商品に自信やプライドを持てるようになる。そうなるためには、本当に途方もないほどの繰り返しと、工夫をし続ける事なんじゃないか?
それは商品だけでなく、人生や人付き合いも同じじゃないか?と。つまり、焦らない、じっくりと時間をかけて一緒に構築していく。
それが分かるまで、僕は17年間かかりました。
そしてうお時は、17年で少し成長しました。
でも、まだまだです。
この自信やプライドに満足することなく、更にお客様にご満足して頂く商品を作り続けていくのには、どうすればいいのか?
それをスタッフみんなが常に考え、発信、チャレンジしていける環境を作っていきたい。
今までの成功体験に満足せず、貪欲に、顧客満足という結果を追い求めていきたい。そんな組織にしていきたい。
うお時も、僕自身も、2022年、自らの殻を打ち破る、そんな年にしたいと思います。
これから17年、ひょっとしたら必要になるかもしれませんが、そのスタートは、自信をもちつつ、でも、そこに甘えない組織を目指すことから始まる、と信じて。
無論、僕の人生も会社同様、焦らず、じっくり考え、反省、失敗をすべき点を見つめなおして、それを活かす。より自分らしく生きていくために。もっと貪欲に人生を愉しむために。自分を信じて。
まずは、今の自分(自分達)が出来ることを決めて、毎日、出来ることを愚直に突き詰めていく。そして工夫やアイディアをトライ&エラーを恐れずにし続けていく。
全ては信じることから始まる。
会社だけでなく、自分自身にとっても、感慨深い実食、忘れられない実食になりました。。きっと、今晩の事は、死ぬまで忘れることはないと思います。