2021年08月01日
【ご報告】横濱うお時、新たなるステージの始まりです。
暑い日が続きますね。見えるところが全部真っ黒に日焼けしている、うお時・清高です。多くの方に、ゴルフ焼け?と質問されることが多いのですが、実はゴルフクラブ、大学卒業以来、握って(笑)、もといプレイしてません。でもアラフィフだし、25年ぶりに再開しようか悩んでいます。
閑話休題、今回は長文になるかもしれません。
最期までお付き合い頂ければ幸いです。
以前、告知をしておりました、弊社うお時の新事業、エリアコミュニケーション事業部が、この7月末より正式稼働し、『濱街沿線ダイアリー』という地域ポータルサイトの運営をスタート致しました。
該当エリアは、川崎市・横浜市・横須賀市・三浦市・逗子市・葉山町、いわゆる神奈川県東部の広いエリアです。
「なぜ、お弁当屋さんが地域ポータルサイトの運営をするのか?」そう思われる方はきっと多いと思います。
一言でこの質問に回答するとすれば、僕は、何らかの方法を通じて、地域振興、街おこしのお手伝いをしたい、そう思い続けて来たからです。僕の言う地域振興、街おこしとは、その地域にある素敵な物、団体活動、お店、そういったスポットやイベントをより多くの方に紹介して、実際にその街、イベント、店舗に行っていただきたい、そういう活動を意味しています。
30歳の時に、サラリーマンをドロップアウトして、うお時を継ぎました。
中学校から私立だったので、家業を継いだ時に、周囲に小学校時代の同級生や、商店の子息との縁というか繋がりがなく、どうしたら人脈が築けるだろう?と当時悩んでいました。自分でいうのもなんですが、へそ曲がりな性格で、既存にある団体、例えば横浜青年会議所や、法人会といった組織に入る事が、今から思えば不思議なのですが、とってもイヤというか面倒臭くて・・・。(団体行動が苦手な山手学院生OBの典型的なパターンですな。w)
そんな僕、今から思えば、すごく恵まれていて、横浜でも有名なお爺さん達に可愛がって頂きました。
その中で、特に2人の方に薫陶を受けました。今は鬼籍に入られてしまいましたが、関内のBarBarBarのオーナー鶴岡さん。この方は、横浜スタジアムやエフエム横浜の社長を兼務され、JAZZとお酒、そして関内地域をこよなく愛するとんでもなく粋な爺様でした。
もうお1人は、現在も横浜市中区で精力的に活動をされている小林紙工の小林会長。東急の桜木町駅廃線問題や、初黄町の再開発を、地元のリーダーとして行政と対峙しながら進めた方です。京急の日ノ出町駅~黄金町駅間のガード下を含む地域の活性化はこの方の活動なしでは語れません。遊び人(怒られるかな 笑)と学者肌。全然タイプは違いますが、地元愛にあふれたお二人でした。
そんなお二人から薫陶を受け、特に小林会長のご子息である直樹さんをご紹介頂き、共にボランティア団体「ヨコハマヲアソボウ」という団体を立ち上げ、大さん橋やみなとみらい地区でキャンドルをつけるイベントを開催したり、地元伊勢佐木町を含む地域の3代目、4代目(候補も含む)若手団体、ABYを立ち上げ、「空港の街」というブログで情報発信をしたりしていました。
また、個人的には、I love yokohamaが主催するボランティアの清掃イベントに幾度か参加させて頂いて、地域や業種、関係なく多方面の方々と友人になることが出来ました。本当に青天の霹靂ではないですが、一気に視野、世界が広がった、そんな高揚感を当時は感じていました。
ただ、40歳近くになり、家業の業績が悪くなり、そういった地元活動に参加できなくなってしまいました。
もう、本当に家業、家族の事で頭も時間もいっぱいで。
でも、心のどこかで、「こんな僕でも何か出来ることはある筈」と常に思っていました。
なぜなら、鶴岡の爺さん、小林会長に言われ続けて来たこと「街おこしには、よそ者と馬鹿者が必要」という言葉が頭から離れなかったからです。
この馬鹿者とは、地域の既成概念や常識にとらわれない者、という意味ですが。
そしてコロナ禍の時代を迎え、その思いがだんだん強くなってきました。
元外食企業従事者だったからかもしれません。そんな時に、今、居住している鶴見で、地元飲食店が自主的にテイクアウト商品を持ち寄り、マルシェというスタイルで販売するイベントが有る、と聞きました。調べてみると、鶴見区内では様々な地域で、それぞれの団体が、知恵を絞って活動をしている。こんな町はないよなぁ、と感心するとともに、よそ者の僕が、何か手伝えることはないか?と思うようになりました。
区内だけじゃ勿体ない。折角のイベント、これを活かして、普段、鶴見を通過してしまう人にも街を知って頂けたらいいのに…なんて実行委員会のメンバーでもないのに勝手に考えている自分がいるのに気づいたのです。ふつふつと若い頃の気持ちが心に沸いてきた、そんな感じです。
それで、ふと考えたのです。弊社はお弁当屋さん。その注文のほとんどはインターネットをみたお客様から入ってくる。
であれば、今まで仕事として経験・活用してきたインターネット・SNSの知識を使って、こういった地域活動を告知出来ないか?と。
でも、それをするには、僕一人では無理だな、と。
幸い、僕はラッキーでした。そんな事を考えてる時に、webライターの細山麻実さんと出逢い、この方となら、僕の想いを形に出来るんじゃないか?と。しかも、イベントや地域活動だけでなく、生活に必要な情報、僕は「揺り籠から墓場まで」と呼んでいますが、そういう情報を判り易く、多くの皆さんに提供して、役立てることが出来るサイトを構築できるのではないか、と。
細山さんとの出会いから約半年で、今回のサイトオープンをなんとか迎えることが出来ました。
掲載される情報に、興味、関心を持って頂いて、出来れば体験して頂きたい。
また普通に尋ねにくい事や、人生で必要となること、例えば、介護や葬儀といった一般的に情報発信が少ない業界、分野も判り易く皆様に発信し、活用して頂くために、基本、細山編集長と各地域に点在するママさんライターが中心となって、このサイト発信・運営を行います。
ライター希望の方や、取り上げて欲しい情報があれば、いつでもご連絡ください。
皆様の生活の中では普通と思えることが、他の人から見れば、特別な経験、場所、情報、そして体験や思い出になります。
そんな情報が行きかうポータルサイトを目指して参ります。
是非、皆様、ご活用ください。そして共に育ててください。
本当に生まれたばっかりのサイトですが、今後ともどうぞ、よろしくお願い致します。
濱街沿線ダイアリー
http://blog.hama1.jp/
追記:鶴岡の爺さんのリンク画像、このOA後、1年経たずに亡くなられてしまいました。なんだか下町っ子として、すごい遺言を残された気がします。微力ですが、爺さん目指して頑張ります。
閑話休題、今回は長文になるかもしれません。
最期までお付き合い頂ければ幸いです。
以前、告知をしておりました、弊社うお時の新事業、エリアコミュニケーション事業部が、この7月末より正式稼働し、『濱街沿線ダイアリー』という地域ポータルサイトの運営をスタート致しました。
該当エリアは、川崎市・横浜市・横須賀市・三浦市・逗子市・葉山町、いわゆる神奈川県東部の広いエリアです。
「なぜ、お弁当屋さんが地域ポータルサイトの運営をするのか?」そう思われる方はきっと多いと思います。
一言でこの質問に回答するとすれば、僕は、何らかの方法を通じて、地域振興、街おこしのお手伝いをしたい、そう思い続けて来たからです。僕の言う地域振興、街おこしとは、その地域にある素敵な物、団体活動、お店、そういったスポットやイベントをより多くの方に紹介して、実際にその街、イベント、店舗に行っていただきたい、そういう活動を意味しています。
30歳の時に、サラリーマンをドロップアウトして、うお時を継ぎました。
中学校から私立だったので、家業を継いだ時に、周囲に小学校時代の同級生や、商店の子息との縁というか繋がりがなく、どうしたら人脈が築けるだろう?と当時悩んでいました。自分でいうのもなんですが、へそ曲がりな性格で、既存にある団体、例えば横浜青年会議所や、法人会といった組織に入る事が、今から思えば不思議なのですが、とってもイヤというか面倒臭くて・・・。(団体行動が苦手な山手学院生OBの典型的なパターンですな。w)
そんな僕、今から思えば、すごく恵まれていて、横浜でも有名なお爺さん達に可愛がって頂きました。
その中で、特に2人の方に薫陶を受けました。今は鬼籍に入られてしまいましたが、関内のBarBarBarのオーナー鶴岡さん。この方は、横浜スタジアムやエフエム横浜の社長を兼務され、JAZZとお酒、そして関内地域をこよなく愛するとんでもなく粋な爺様でした。
もうお1人は、現在も横浜市中区で精力的に活動をされている小林紙工の小林会長。東急の桜木町駅廃線問題や、初黄町の再開発を、地元のリーダーとして行政と対峙しながら進めた方です。京急の日ノ出町駅~黄金町駅間のガード下を含む地域の活性化はこの方の活動なしでは語れません。遊び人(怒られるかな 笑)と学者肌。全然タイプは違いますが、地元愛にあふれたお二人でした。
そんなお二人から薫陶を受け、特に小林会長のご子息である直樹さんをご紹介頂き、共にボランティア団体「ヨコハマヲアソボウ」という団体を立ち上げ、大さん橋やみなとみらい地区でキャンドルをつけるイベントを開催したり、地元伊勢佐木町を含む地域の3代目、4代目(候補も含む)若手団体、ABYを立ち上げ、「空港の街」というブログで情報発信をしたりしていました。
また、個人的には、I love yokohamaが主催するボランティアの清掃イベントに幾度か参加させて頂いて、地域や業種、関係なく多方面の方々と友人になることが出来ました。本当に青天の霹靂ではないですが、一気に視野、世界が広がった、そんな高揚感を当時は感じていました。
ただ、40歳近くになり、家業の業績が悪くなり、そういった地元活動に参加できなくなってしまいました。
もう、本当に家業、家族の事で頭も時間もいっぱいで。
でも、心のどこかで、「こんな僕でも何か出来ることはある筈」と常に思っていました。
なぜなら、鶴岡の爺さん、小林会長に言われ続けて来たこと「街おこしには、よそ者と馬鹿者が必要」という言葉が頭から離れなかったからです。
この馬鹿者とは、地域の既成概念や常識にとらわれない者、という意味ですが。
そしてコロナ禍の時代を迎え、その思いがだんだん強くなってきました。
元外食企業従事者だったからかもしれません。そんな時に、今、居住している鶴見で、地元飲食店が自主的にテイクアウト商品を持ち寄り、マルシェというスタイルで販売するイベントが有る、と聞きました。調べてみると、鶴見区内では様々な地域で、それぞれの団体が、知恵を絞って活動をしている。こんな町はないよなぁ、と感心するとともに、よそ者の僕が、何か手伝えることはないか?と思うようになりました。
区内だけじゃ勿体ない。折角のイベント、これを活かして、普段、鶴見を通過してしまう人にも街を知って頂けたらいいのに…なんて実行委員会のメンバーでもないのに勝手に考えている自分がいるのに気づいたのです。ふつふつと若い頃の気持ちが心に沸いてきた、そんな感じです。
それで、ふと考えたのです。弊社はお弁当屋さん。その注文のほとんどはインターネットをみたお客様から入ってくる。
であれば、今まで仕事として経験・活用してきたインターネット・SNSの知識を使って、こういった地域活動を告知出来ないか?と。
でも、それをするには、僕一人では無理だな、と。
幸い、僕はラッキーでした。そんな事を考えてる時に、webライターの細山麻実さんと出逢い、この方となら、僕の想いを形に出来るんじゃないか?と。しかも、イベントや地域活動だけでなく、生活に必要な情報、僕は「揺り籠から墓場まで」と呼んでいますが、そういう情報を判り易く、多くの皆さんに提供して、役立てることが出来るサイトを構築できるのではないか、と。
細山さんとの出会いから約半年で、今回のサイトオープンをなんとか迎えることが出来ました。
掲載される情報に、興味、関心を持って頂いて、出来れば体験して頂きたい。
また普通に尋ねにくい事や、人生で必要となること、例えば、介護や葬儀といった一般的に情報発信が少ない業界、分野も判り易く皆様に発信し、活用して頂くために、基本、細山編集長と各地域に点在するママさんライターが中心となって、このサイト発信・運営を行います。
ライター希望の方や、取り上げて欲しい情報があれば、いつでもご連絡ください。
皆様の生活の中では普通と思えることが、他の人から見れば、特別な経験、場所、情報、そして体験や思い出になります。
そんな情報が行きかうポータルサイトを目指して参ります。
是非、皆様、ご活用ください。そして共に育ててください。
本当に生まれたばっかりのサイトですが、今後ともどうぞ、よろしくお願い致します。
濱街沿線ダイアリー
http://blog.hama1.jp/
追記:鶴岡の爺さんのリンク画像、このOA後、1年経たずに亡くなられてしまいました。なんだか下町っ子として、すごい遺言を残された気がします。微力ですが、爺さん目指して頑張ります。
【僕にとって本質って何?】やっぱりシンプルなのが1番じゃないのかな?
【改めて思う事】経営者は人気商売ではない、という事
【1年の計はGWにあり】今期経営計画書の作成です
【ちょっとの不便やこだわりが…】人生を豊かにするのかもね
【気長さって愛かも】人財育成に関して思う事
【you're not alone】久々に鬱病が再発するかと…
【改めて思う事】経営者は人気商売ではない、という事
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