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2021年10月08日

己の王でありなさい! (love me or leave me)

横濱王

生粋の濱っ子を自負する僕としては、このタイトルを見たら買わねば…という事で、レコードでいうところのジャケ買いに近いノリで購入。
詳しくは書きませんが、関東大震災、戦後の焼け野原の横浜の描写が、なんとなくコロナ禍の現在に被るような気がします。
内容的には非常に読みやすく、判り易い内容。

タイトルの「己の王でありなさい」は、原三渓が作中で発した言葉。
このタイトルを語りたいけど、そうするとストーリーを纏めなきゃいけなくなるので、気になる方は購入して読んでみてください。


上記のシチュエーション以外に、僕の心に残ったのは、年老いたBARのママと、若い女性シンガーとの会話。
年老いたBARのママが「辛い記憶、苦い思い出は、忘れてしまった方がいい。その方が幸せになれるからね。お嬢さんだってそうだろう」と話すと
若い女性シンガーが「忘れたくても忘れられないこともあります。でも、それでも前に進みたいから・・・」と応える。
そうするとBARのママは「そう、辛い記憶は忘れた方が幸せになれるのさ。だがね、その記憶の中だけに生きている誰かを忘れたくないからこそ、その痛みや傷をも抱えていたくて仕方がない。そういう事もあるのさ」と言う。そして続けて「ただね、そういう記憶を重い足かせにして、ひきずりながら生きていく事が、自分の人生だと思い込んだら、その時から心は止まってしまって動けない‥‥(中略)、可哀そうだ事」と述べる。

なんだかとっても、心に引っ掛かるセンテンスでした。

ちなみに、この老婆は、横浜大空襲の中で、”Love me or leave me"を大音量で聞きながら、その生涯を終える。
変化する、という事なのは、そういう事なんだろうな、と思う。ビジネスも、僕の人生も、きっとそういうタイミングなんだろうな、と。
己の王になるために。自分らしくあるために。

戦前の録音物は見つけられなかったけど、ニーナ・シモンの1958年録音の"love me or leave me"はこの曲。



凄く深くて、とってもいい曲ですよね。切ないけど、強さを感じる。
60~70年代に、公民権運動で活躍したニーナ・シモンらしい、本当に素敵な曲だと思いませんか?
過去にとらわれず、未来に向かって・・・かくありたい、そう思いました。


  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 22:44Comments(0)生存報告

2021年01月27日

【久々に】横浜商科大学で講師をしてきました。

横浜商科大学の佐々先生、秋山先生のお誘いを受けて
本日、登壇してきました。

といっても、コロナ禍。
先生方、僕は教室にいるのに、生徒さん達は
それぞれの場所で授業を受けている・・・という
初めての体験。




今回の授業自体が特別講義という事で、
時間もいつもより長め。
しかも、受講生の皆さんのほとんどが飲食業でバイト経験がある、
との事だったので、例年行わせて頂いている「飲食店セミナー」よりも
コロナ禍を意識し、リアルな内容に仕上げました。
そのせいか、僕自身のテンションも上がり気味でした。

目の前に生徒さん達がいないので、
イマイチ反応が判らず、若干、不安感を持ちつつ
なんとか、準備していたpp資料を使ってなんとか講話終了。

その後の質問タイムで、
「仕事へのモチベーションを維持する方法は?」という質問が
とっても印象的でした。

仕事ありき、ではなく、自分の人生・目標を生きるために・・・・
その方法論が仕事、という回答をしましたが・・・・
正直な思いではありますが、まだ確信を持てていない自分がいたりします。

ただ、思う事は、自分が経験、学んできたこと、すなわち、生きてきたことが
同じような悩み、未来に不安を感じている人達に対して、伝えてくることで
その人達に何らかの影響、パッションを感じて頂けるなら、
僕の人生そのものが、活きてくるんじゃないかと。

「生きる」と「活きる」は文字通り違う。
でも、「活きる」になれば、誰かの役に立てるかもしれないし、
その経験を通じて、僕自身もより生きれる、つまり新たな経験や視点を
学ぶきっかけになるんじゃないか、と。

だから、2021年、僕はアウトプットを心掛け、出来るだけ実践してみようと思います。
それは恥ずかしさだったり、勇気が必要だったりしますが・・・
でも、そうすれば、今迄見えなかった、経験できなかった事にチャレンジできるきっかけが
創れるんじゃないか、と。

人生は短い!
だから夢を持ち、それに近づけるために、日々ベストを尽くすのみ。
それが自分自身にとって痛みを伴うことであっても。

変化を求めることは勇気が必要。
その勇気、第1歩を踏むことが、普通という言い訳をする人よりも先行できる。
それがコロナ禍の世の中で一番大切な事なんじゃないか、と。
まとまるんじゃねーよ、って。
人生を切り開くのは、勇気でしかない、それが今回、伝えたかったメッセージです。
46歳のおっさんでも頑張ってるんだから、20代前半のみんなには。恐れず
その1歩を踏みだしてほしい。受講生のみんなに伝わったかな?


佐々先生、秋山先生、貴重な機会、ありがとうございました!
  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 23:32Comments(0)生存報告

2021年01月20日

【ご参考になれば幸です】コロナ鬱にならないために・・・・

こんにちは、うお時・清高です。
前回の投稿「告白・僕はコロナに羅患しました」に、多くのメッセージを頂き
ありがとうございました。

僕の経験が、コロナウィルス、療養に関して、
皆様の不安や疑問を少しでも軽減することが出来ていれば
とっても嬉しいです。

閑話休題、今回も意味深なタイトルですいません。
あくまでも、僕の視点で現状を見渡し、考えると
うつ病になる人が増えそうで、本当に心配なのです。

というのも・・・・
将来・現在への不安や、人と逢えず、コミュニケーションが取れなくなると
もの凄く、孤独、疎外感を感じるようになる。
そうすると、「どうしてこんな風になっちゃったんだろう?」
「何をしていいのかわからない?」みたいに思うようになり
結果、うつ病を患ってしまう。。
まさに、コロナ禍の今、そういう風に感じている人が多いのでは?

何故、そんな事が言えるのか?
そう、僕も数年前にうつ病になったことがあるからです。

今から5年ほど前になりますが、お弁当屋さんから
所謂「中食」にビジネスを移行しようと考え、
みなとみらい地区のマークイズみなとみらい、
相模大野のボーノショッピングデンターに出店しました。

当時、料理の味には自信、こだわりがありました。
でも開店したら、本当に全く売れない。
毎日、朝から晩までお店に立ち、商品の説明をしても
なかなか手に取っててもらえず、商品が売れ始めるのは
夕方18時を過ぎて、値引きしてから。
利益が出ず、資金は底をつき、支払いが滞りがちになり
督促の電話や手紙が来るようになると、
破産という言葉が頭の中に浮かびだし、
「これから、僕はどうなるんだろう?」
「破産したら、両親、妻の暮らしはどうなるんだろう?」
そんな事を考え続けているうちに、気がつけば、
僕はうつ病になってしまったんです。

今から振り返って思うと、うつ病に至るまで、こんな自覚症状がありました。
・睡眠がちゃんと取れない。(一晩で何回も起きてしまう、そもそも寝つけない)
・普通に生活しているのに息苦しく感じる
・体中がこわばってる感じがする
・常に頭痛
・食欲が全くなくなる
・酒量が増える
・人に逢いたい、と思えないようになってくる

それが続くと
・自分で物事が決められなくなる
・喜怒哀楽、その中で、怒と哀の感情表現が多くなる
・頭の中がぼーっとして、何も考えられなくなる
・仕事柄だと思うのですが、料理をすることが死ぬほど苦痛になる
・自殺したら、どうなるんだろう、と考えるようになってしまう
実際、帰宅後、自宅でテレビを観ている時に、
無意識に、風呂上り、首に巻いてたタオルをネジネジしてて・・・
あの時、携帯が鳴ってなかったら、
僕は今、この世にいなかったかもしれません。

でも、なぜ、僕が今、うつ病を克服し、普通に生活出来てるのか、と言えば
はっきり言って、幸運だったから、それだけです。

心の中で、「あぁ、僕一人じゃ、もうこれ以上どうにもならないや」って思い
誰かに相談、あるいは愚痴れる人に話を聞いて貰わなきゃ、
僕、多分、死んじゃう。
そう思えたからです。
今から思えば、それが克服への第1歩だったと思います。

そこから、弁護士や、経営に詳しい方、あるいは同業者で
同じような立場、悩みを持っている人、お医者さんに素直に、その時の
自分の現状や体調を話したら、各々の皆さんが、それぞれの知識や経験で
解決策や、方法論を一緒に考えてくださり、
店舗を閉鎖し、それに付随した問題を解決しながら、本業の弁当屋を続け、
結果、約2~3年くらいかけて病を克服することが出来ました。
休まずに働きながら治すのは、正直、しんどかったです。

こういう方々が周囲にいるから、僕は今、生きてると実感してます。
だから幸運だったと、本当に思っています。
今でも、心から感謝しています。

コロナ禍で世の中、本当に変わってしまいました。
飲食業者だけでなく、企業で働く人にとっても
今まで普通だと思っていたことが、普通じゃない時代になってしまいました。
つまり、今迄通りじゃ、うまくいかない。
そう感じている人は、かなり多いのではないでしょうか?
不安な上に、人とコミュニケーションしづらい環境。
気持ちを発散できず、どんどん内向きになってしまって、
結果、心も体もクタクタになって、うつになってしまう。

コロナの脅威が去り、以前のように、誰もが自由に飲食や会話を
リアルの世界で出来るようになるのが一番ですが、
それさえも先が見えない現状。

だから、不安や過剰なストレスを感じてる人が、このブログを
読んで頂いていたとしたら、一言だけ。
「あなたが頑張ってうまくいかないんだったら、世の中、みんなうまくいかないよ」、と。
その上で、友達や専門家に、愚痴で良いんです、話をしてみてください。
メールやラインじゃなくて、口に出して伝える事。
そしたら、気持ちが少しは軽くなる筈。
話す事って、とっても大切なことだと思います。
そして話を続けているうちに、「こうすればひょっとしたらうまくいくかも・・・」とか
「この人に手伝ってもらえば、何とかなるかも」とか、
少しづつ、気持ちが前向きになっていきます。

愚痴ることは恰好が悪い、全ては自己責任、他人なんて信用できないって思ってる人ほど
ストレス溜めてうつ病になりやすい、と個人的には思います。
だって、以前の僕がそうだったから。

人に甘える、借りを作りたくない、と思ってるかもしれません。
でも、それはお互い様です。
自分が元気になったら、元気じゃない人を励まし、出来るレベルでサポートすれば良いと思います。
それが恩返しじゃないかと。

それと、うつ病はある意味、コロナより面倒な病気かもしれません。
だって、症状は心・気持ちという、他人から見えない部分に原因が
ある訳ですから。無論、病気になって苦しむのは自分です。
でも、それを理解してもらいにくい、そんな病気でもある訳です。
つまり、無症状のコロナ陽性者が、感染拡大をしてしまうように、
うつ病患者本人は、そんな気がなくても、周囲の人々を傷つけてしまう。
病気とは言え、本当にひどかったなぁ、と今でも悔やんでます。
だから、コロナ以上に、この病気への理解が必要な気がします。
本人にとっても、家族や周囲の人にとっても。

なんか長文になってすいません。
でも、うつ病はだれにでも起こり得る病気。
一生懸命、真面目だからこそなり得る病気。
だから、少し、肩の力を抜いて、「あぁ僕だけじゃないんだ」と思う事が大切かと。
「まぁ、なんとかなるさ」って。

ただ、これはあくまでも僕の経験なので、人によって症状や環境は違うと思うので
まぁ、こんな感じなのかな、ぐらいに読んで頂ければ幸いです。

尚、最近、ドラマ化されたこの本がおススメです。
患者、ご家族、周囲にとっても、うつ病って何?が判り易く描かれています。


元うつ病患者としては、あぁ、俺、こんなだったなぁ~と思える内容です。
是非、お試しを!

あー緊急事態宣言があけて、みんなが自由に逢えて、話して、飲んで
そんな日が早く来ることを切に願います。
皆さん、辛くなったら、まわりに愚痴っちゃいましょう!w








  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 15:48Comments(0)生存報告

2021年01月10日

【告白】僕はコロナに羅患しました。。

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願い致します。

タイトルを見て、驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
実は、12月28日にPCR陽性反が出て、1月1日まで自宅療養(隔離)を
余儀なくされておりました。
ただ、医学的には2日以降、外出しても問題にはならない、と
保健所から言われておりましたが、やはり不安で、
自主的判断というか、結局3日迄、自宅から出ず、職場にも6日から
出勤とさせて頂きました。
無論、年末年始休業期間の12月29日~1月4日の間に衛生・清掃をし、
幸いにも、発症日前後には、僕自身お休み等を頂いていた為、職場に濃厚接触者はおらず
1月5日から通常営業再開をしております。ご安心くださいませ。
(今のところ、まだ、僕は製造・キッチンには入っておりません、念のために)

何故、このような告白をしたのか。
正直悩みましたが、決定打になったのは、1月10日朝日新聞のデジタル版の
配信記事で、「健康よりも世間の目が心配」と答えた方が67%もいらっしゃる、
という事を知ったからです。

仕事柄、僕の告白が、マイナスに作用することも考えました。
けれども、やっぱり、コロナの真実を皆さんに知って頂いて、
予防、拡散の防止に役立てて頂きたい、と思い、告白を決意しました。
あくまでも、僕の経験でしかありませんが、経緯や対応など、まとめさせて頂きます。
散文になると思いますが、ご一読して頂ければ幸いです。

【発症から自宅療養終了までの経緯】
僕の場合、昨年の2月から、月に2回ほど、ダイエットと体調管理を目的として
計画的に通院をしています。
それで、12月23日(水)の通院の際に、熱も平熱で、軽く咳が出る程度の症状がある旨を
ドクターに報告し、胸部レントゲン撮影を行ったうえで、風邪薬を処方。
帰宅後、胸と二の腕に張りを感じ、23日、24日とも睡眠がなかなか取れず
25日(金)、再度病院へ。平熱だったため、通常通り、待合室にて順番待ちをしていると
急に腰が痛くなり、同時に倦怠感を感じるようになり、
その旨、受付に伝えると処置室に連れていかれ、そこで待機&主治医の診断。
結果、熱は36.8度だったけれど、発熱外来のある病院に予約を入れてもらい、そのまま移動、検査。
検査内容は、肺のCT。ただ、この段階では肺炎症状は見受けられなかったので
念のためにPCR検査を実施。金曜の午後の検査だったため、判定連絡は月曜日午前と
発熱外来のドクターに言われ、そのまま帰宅。
(CTで肺炎症状がみられない人で、PCRを拒否して帰ってしまう人が多いと聞きました)

週明け28日(月)の午前中、確か10時くらいに発熱外来のドクターから電話をもらい
「陽性」が判明。ドクターから、保健所へ告知する旨、また自宅待機を命じられる。
午後15時位に、保健所から連絡があり、約20分くらいかけて下記の事を質問、
説明等を受ける。
・発症は22日と想定されるので、発症日から10日、つまり元旦迄の自宅療養
 (外出禁止)
・服用している薬の種類(処方されている風邪薬以外の有無も含め)
・悪化しにくい体質かの確認(身長・体重・血圧、糖尿病・喫煙の有無、過去の病歴等)
・自宅療養期間中は、午前8時と15時に、保健所からライン、もしくは電話で体調確認がある
・食事の手配の有無(僕はお断りしましたが)
・初症した22日を含め前後2日間(つまり20~24日の間)に濃厚接触者がいたかどうかの確認

【悪化しなかった要因】
実際の僕はというと、28日にドクターから連絡をもらったときには風邪の症状は殆どなく
所謂、無症状に該当するレベルだったので、「陽性」の結果に本当に驚きました。
僕の症状が悪化しなかったのは、下記ポイントがあったからだとかかりつけのドクターが
言っておりました。
・1年間で15kg体重を落としたことで、循環器系の負担が少なくっていた事
・禁煙というか、ここ十年ぐらいタバコを吸っていない事
・糖尿病ではない事
・風邪の引きはじめで、早めに投薬治療をスタートさせたこと
つまり、頑張り屋さんで、デブで、タバコを吸って、糖尿持ち、
あるいは高血圧の人だったら悪化しやすい、という事だそうです。
早め早めの処置が、悪化を未然に防ぐ方法と僕のかかりつけのドクターは言っておりました


【自宅療養で困ったこと】
・買い物に行けないので、必要物資の手配(食料やトイレットペーパーなど生活雑貨)
・自宅療養期間中の薬の手配
・家族や従業員に感染者が出ないか、という漠然とした不安
・無症状とはいえ、本当に悪化しないか、という不安、孤独感

【私感・感想】
僕は幸いにも、無症状と言えるくらいの軽度の陽性患者ですが、その症状レベルは
各々の体質によるところが大きく、また、感染から発症まで4日、またはそれ以上と言われており
その間、無自覚でコロナウィルスをまき散らしていた可能性が高く、
結果、どこで、誰から感染するか、本当に判らない病気なんだな、と実感した次第です。
実際、僕の友人で、今、重症病棟でコロナと戦っている奴もいます。
僕より若い彼ですが、基礎疾患が多く、今回も吐血して
初めて感染に気付いた、と連絡が来ました。

なので、普通に健康体の方なら、必要以上にコロナを恐れる必要はないと思います。
ただ、いつもより、風邪症状を感じたら、市販薬なんて飲まないで、さっさと病院に行き
初期段階での治療・投薬をスタートさせること。
また、日々の健康管理、体質改善をしっかりと行っておくこと、
これが出来ていれば、比較的悪化しずらい病気である、という事。

恐らく抗体検査をしたら、ほとんどの方が陽性、と出てしまう
状況なのかもしれません。
発病するか、しないか、あるいは重症化するかどうかは、
その方の基礎体力(疾患の無い身体)か
どうかにかかってる、そんな気がします。
日々の自己管理が問われる、そんな病気と言えるかもしれません。

誰でもが罹り得る、コロナウィルス。
皆様、くれぐれも、自己に慢心なさらずに、健康チェック、体質改善を進めてください。
それが、おそらく重症化を防ぐ唯一の方法だと思いますので。

2021年初日の出


自宅療養最終日、元旦の朝にみた「初日の出」。
僕だけでなく、世界中の多くの人がコロナを克服し、以前のように
マスクなしで、普通に会食できる日がきっと戻ってくる、
そんなことを感じました。
コロナで時代は激変しました。でも、きっとその変化を、みんな乗り越えられるはず。
世界中の人々が、コロナを克服して、素敵な1年にきっとなる。

僕自身、自分を律して、気持ちに正直に、日々ベストを尽くして、
happyになる日々を積み重ねていきたい、それを痛感しました。
コロナは人生同様、日々の積み重ねが、結果として現れるんじゃないか、と。

大変な時代ですが、皆様、絶対にこの危機を乗り越えられるはずです。
頑張りましょう! 克服した暁には、みんなで祝杯を上げる、
その日が1日でも早く来ることを切に願っています。never give up!
僕らは絶対に負けない!頑張りましょう!
(長文、お付き合い頂きありがとうございます)













  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 14:28Comments(0)生存報告

2018年11月28日

brothers in the arms

齢44歳の私・・・・
先日の運転免許更新の際、
適正検査で、視力の衰えを感じ・・・
まぁ、なんとか裸眼で免許更新出来たのですが・・

確かに運転時に、道路案内や標識が見にくい・・・
また自宅でテレビを見ていて、テロップが読めない・・・
という自覚があったので


遂に・・・・
あぁ、眼鏡作らなきゃ。泣

というわけで、
山手学院22期、中・高校、通算6年も机を並べた
マブダチ、佐々木くんのお店、オプティカル・トゥモローへ。

前にブログで書きましたが・・・
彼は僕と違って、とんでもなく真面目な漢で
堅実に、鶴ヶ峰で眼鏡店を経営されてます。

で、アポを取り、検査してもらうと・・・・
「お前、0.2しか見えてないぞ!」との事。
運転免許試験場の視力テストは上下左右しか
ターゲットがないので、意外と見えてしまうそうです。w

なかなかメンドクサイ僕の眼だったようですが、
本当に丁寧に、何度も検査、チェックしてくれました。
生真面目な彼の性格由来なのか、あるいは
プロフェッショナル意識の高さなのか。

レンズテストをしたり、フレームを選んだり・・・
なんだか久々にトモヒロと話をしたような。。
とっても楽しい買い物時間を過ごし、その日は帰宅。

それから2週間ほどして、完成したのがコチラ。

kiyotakamegane
(本当は1週間で出来上がってたんだけど、伺えなくてすまん)

どうでしょう?いい感じでしょw
ハ〇キル‐ぺではありませんが、「世界が変わる!」
(ケツで踏んだりしませんが・w)

まだ、眼鏡慣れしてない僕には、とっても違和感というか
恥ずかしい感じが致しますが。

12歳で出会い、30年超の付き合い。
性格は正反対。業種は違えど、今ではお互い家業を継いで
共通項がいっぱいある親友、心友。

でも一番しっくりくるのは、brothers in the arms!(戦友)かな。
戦友がいる限り、キツイ時にでも戦い続けられる。
まぁ、お互い、連む事が苦手な山手学院OBらしく、
滅多に連絡は取りませんが。。w
俺も、もっと頑張らなきゃ、そう思える訪問でした。
トモヒロ、sunx!! お互い、頑張ろうな!


追記:
トモヒロ、本当に職人気質、プロフェッショナルな奴です。
山手学院OBとしては貴重な。w
眼鏡でお困りの際には、是非! 素敵な眼鏡に出逢えること
間違いなしです。

オプティカル・トゥモロー
http://www.optical-tomorrow.jp/

  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 17:09Comments(0)生存報告

2018年06月30日

別れと、出会いと、再会と・・・・

気がつけば、今年も今日で上半期が終了。
もう半年経ってるんですね。
月日の経つことはなんと早い事か・・・。

運転してて、ふと気づいたのですが・・・
今年は、例年以上にいろんな方々にお逢いしているな、と。


先日の横浜市大で僕の話を聞いてくださった山本先生と、
横浜商大の秋山先生。


mass×mass関内フューチャーセンターの株主総会&
取締役会の後の1ショット


鶴見の魚春ととやで再会した、金井さん。
何年ぶりに逢ったんだろう??

写真は撮ってませんが・・・・
中学時代の親友、洋一君とも数年ぶりに。
(僕の結婚式以来か???)
それと久しくお会いしていなかったJA横浜の
元某店長とも偶然ばったり。
先日参加した食品展示会でも素敵な社長様に
お会い出来ましたし・・・・
そうそう、横浜市立大学の柴田先生も
ご無沙汰の再会でした。
忘れてました、ハマスタでキム兄にも逢ったね。

そして横浜商科大学、横浜市立大学で逢った
学生の皆さん。
(皆さん、レポートありがとう。ちゃんと拝読しました。)


上半期、出会いと別れのバランスで考えたら
正直、別れの方が多く、インパクトというか、
衝撃が多かったと思います。
親父が亡くなり、僕の親友・右腕だった石井店長も帰郷し。

でも、その代わりと言ってはなんだけど・・・
5月6月と新しい出会いと再会が本当にたくさんあって。。

今年44歳の僕、そんな時期なのかもしれませんね。
44歳まであと3か月、どんな方々にお逢いできるか、
楽しみな夏になりそうです。


  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 18:52Comments(0)生存報告

2017年04月04日

クリエイティブな仕事とは??

外食産業に代表されるような所謂、フードビジネスは恒常的に
人材採用が難しいと言われています。

人材募集媒体に広告を出しても、キッチンスタッフの
募集だと、問い合わせが1週間に2〜3件あれば良い方です。
デリバリー要員だと、もう少し反響があるんですが・・・。

実際、スタッフが足りず、売上げ低下、店舗閉鎖に伴う
人材不足による破産、という話も、本当にあることです。

そんな中、経営者としては、どうすれば人材が採用できるのか?
いろいろな業務の中で、かなり重要、かつ難題の課題です。

一番簡単な方法は、給与面の待遇を上げること。
でも、この方法は、一時的には有効ですが、
中・長期的に考えると、人件費が経営を圧迫しかねない
状況になるのは目に見えています。

なので、出来ることは、他の企業・店舗さんと
弊社がどう違うのか?
限られた予算の中で、弊社の社風や状況、仕事内容を
どうアピール出来るのか???

実は、僕、サラリーマン時代に採用担当人事マンでした。
その時に1番学んだことは、人材採用するタイミングと、
広告の紙面づくりで、応募者状況は本当に変わるということ。

その教訓を生かして、今週、アルバイト、パートさんの
募集広告をタウンワークさんに掲載しました。
無論、広告代理店の営業マンとみっちり打ち合わせしました。




驚くべきは、そのキャッチコピー。
「唐突ですが社長を助けてあげてください。
このままだと奥さんと夕飯の食卓を
囲むこともできなくなってしまいます…。」


いつも頼んでいるアドプランナーさんの、
弊社担当、K君にやられました。
こんなキャッチ、過去に1度しか見たことがありません。
それも、弊社ではなく、僕がご紹介した某居酒屋さんの
採用媒体で。

まさか、廻り回って、
自分のところのキャッチコピーになるとは・・・。笑

限られた状況の中で、可能な限り知恵を絞り、
新しい形を作り出す。
改善とは、クリエイティブなものなんだなぁ、
と改めて実感しました。
この広告で、どれだけの反響が来るのか、楽しみです。。


≪実際の紙面はこちら≫
https://townwork.net/detail/clc_2143201001/joid_47193393/  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 06:30生存報告

2017年03月31日

僕がしげよしさんと組んだ理由

先日の事ですが、弊社うお時の高級ライン「しげよし」に大量のご注文を頂きました。
それをフェイスブックでご紹介したところ、親しい友人から、なぜ、FCに加盟したの?という
質問を受けました。

確かに、うお時が「しげよし」ブランドを作る。「しげよし」のサイト上ではうお時ではなく
しげよし横濱関内店と表記されているし・・・。

どうしてこうなったかというと・・・・

?うお時の商品群の中で、高級商品群(2,000円以上)の商品力が弱い
?65年続けてきた商品づくり、メニュー立案、製造ペレーションに
 限界を感じるようになってきた
?しげよしを運営する寿美家和久という会社との契約がFCではなく、
 どちらかというと、弊社側にも裁量がある業務委託に近いものだったから

という点が挙げられます。

仕出し屋さん、お弁当屋さんを取り巻く状況は、本当に厳しいものがあります。
一口に仕出しといっても、お客様層、価格帯も本当に多岐にわたっています。
ネットの普及により、お客様へ直接、お弁当をご提案できるようになると
今まで以上に、商品力、コストパフォーマンスを望まれるお客様が増えてきてます。

そんな状況の中、弊社としても、今までターゲットにしにくかった一般顧客、
つまり個人・ご家族のお客様層へのアプローチを考えていました。
しかしながら、ここ数年、少なくとも僕が経営に携わるようになってから
冠婚葬祭等を対象としたお弁当、商品にあまり力を入れておらず
ラインナップも、おそらく20年以上変わってないものでした。

それを打開するために、今回、しげよしさんと提携を結び、弊社の弱点である部分を
改善、改革してみようと考えた次第です。

実際、今回の大量注文を経験して、スタッフから、「きれいなお弁当だった〜」
「このおかずの切り方、入れ方をこうしたらもっときれいになるかも」
といった、前向きな意見が出てきたのが僕自身、驚きでした。

65年続けてきたやり方を改革する、それは本当に難しく、劇的な変化はリスクを伴うと思います。
でも、やり方を変える、という事は、結局、人を育てるっていう事なんだろうと考えています。
では、人、つまり人財を育てるためには・・・・まずはお手本を見つけて、真似してみることが
1番、やりやすいのでは・・・と。

弊社のしげよし商品群、4月5月、積極的に販促をかけていき、横浜市中区・西区のお客様に
認知、アピールをしていきます。ご注文が増えていく中で、スタッフがどう創意工夫、改善が
進んでいくのか、本当に楽しみです。

そのうえで、うお時らしい、新しいお弁当をどう開発していくのか・・・・
それが僕の仕事になりそうです。

いずれにしても、、皆様、今後とも叱咤激励、ご指導、ご鞭撻、何卒、よろしくお願い致します。


雅
  


Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 05:30生存報告

2017年03月30日

小さい事ですが、業務改善。



昨日、公私ともにお世話になってる小林紙工様で、
新しいタイムカードレコーダーを購入しました。

以前、使用していたものは、7〜8年使用していて
印字はズレ、色も薄くで、給与計算時に結構、
工数がかかってました。
(薄く印字されたタイムカードを、複合機で、
色を「濃く」に設定し、コピー)

そのコピーしたタイムカードを使えば良いわけですが・・・・
問題はズレ。日にち、曜日がずれて、
1人1人シフト表と見比べて出勤確認…。
その確認後に、個々の勤務時間の集計。
従業員、約10名で、1時間半〜2時間かかる作業でした。

弊社は2月決算。というわけで、
新年度という事もあり
新しいタイムレコーダーを
購入したわけですが・・・・
機能満載で驚いています。

普通に打刻できるのは当然の事として・・・・
?日次で勤務時間を1人1人づつ算出できる
?月次で、1人、1か月分の勤務時間の集計を
自動的にやってくれる

これで、給与業務の内、大半の時間を割いていた、
出勤確認、集計の手間が削減できます。
工数にして、約1時間。。大きいですよね。
少しの投資で、既存の業務の工数削減。
この様に、自分の周囲を見渡して、業務の見直し、
工数削減に努めていきます。
目標は、ルーティンワーク、月間10時間の削減です。

そのうえで、スタッフの勤務時間短縮、効率化をどう図っていくのか、
同じ様なスキームで、従業員を巻き込んで進めていきます。

  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 12:30生存報告

2017年03月24日

鶴ヶ峰で「まちゼミ」開催中!

まちゼミ・鶴ヶ峰

皆さん、「まちゼミ」をご存知ですか???
簡単にいうと商店街の店主が先生、講師になって、
その専門知識をお客様に伝授する、ミニ講義@商店街、みたいな
イメージです。

現在、横浜市旭区にある、鶴ヶ峰商店街で、この「まちゼミ」の
募集がスタートしています。

なぜ、この鶴ヶ峰の「まちゼミ」を知ったかというと、僕の中1からの親友
というより、もはや兄弟といっても過言ではない、佐々木君が
この町で、眼鏡と時計屋さんを経営しています。

彼は、高校ぐらいからかな、実家を継ぐことを視野に入れていて
大学卒業後、大手の眼鏡チェーン店や、都内にある某商店街の中にある
個性的な眼鏡店などで勤務し、確か20台後半で家業を継いだ、まじめな男です。
彼がすごいのは、20代後半にて、自分が参加している商店街の役員を務め
商売だけでなく、町おこしにもとっても精力的に活動し続けていることです。

そんな彼の、新ネタが、この「まちゼミ」。
なかなか面白いプログラムです。是非、ご興味のある方は、ご参考になさってください。

詳細はこちら「タウンニュース旭区版」をご参照ください。
http://www.townnews.co.jp/0105/2017/03/23/375110.html
  

Posted by 仕出し弁当「濱乃や」 at 09:32生存報告地域活動